第6話

 血のようなオイルを飛び散らせ。

 内臓のような機械をはみ出させ。

 彼女は、そこに在った。


 まだ警戒心を露にしたままにいつでも攻撃が出来る体勢でいる劫を、軽く手を挙げることで制しながら、僕はパキパキと塵芥で音を立てる床を彼女に向かって歩く。開きかけた瞳孔、そんな目を僕に向けながら、彼女は指一本すらもマトモに動かせない様子だった。僕はそんな彼女を、少しだけ哀れみを込めた目で見下ろす。清潔そうだったはずの衣服は、もう汚れきっていた。外套は裂けて、彼女の身体もあちこちが裂けている。そして飛び出したものに思い知らされる――自分の身体も、同じなのだと。


 その内蔵物は僕と同じなのだ。

 彼女は僕と同じ、作り物の身体に押し込められた存在。

 なのに僕と彼女はこれっぽっちも同じじゃない。

 なんて矛盾。


「君が最後だからと僕に色々教えてくれたことに則って」

 僕が口唇を開いても彼女は何も反応せず、ただ天井を見上げている。僕はおどけるように肩を竦め、自分の胸に手を当てた。

「僕も君が疑問に思っているだろうことに答えるとね。まず聖隷の力なのだけど、これはとてもよく判らないものだ。なんと言うのかね……ここにある物質と言うのは、ある程度の確率の元に『在る』だろう? 聖隷は、その確率を変化させてしまうんだ。例えばさっき、劫――僕の聖隷は、君の騎士に向かって『お前は居ない』と言った。それは、あの騎士がここにいる確率に手を加え、零パーセントにしたって事なんだよ。王家の聖隷の記録が歴史上のどこにも無いと言うのは、聖隷が薙ぎ払った敵は、『最初から無かったもの』にされる所為だね。騎士は消えた、もう暫くすれば君も消えるよ。騎士は幼神の力を借りない、魔法使い本人の創作物だからね。創作物と製作者は切り離せない、創作物がいないということは、製作者もいないということだから――ほら、もう足が消えてきた」


 彼女はガタガタと震えだした。

 僕は哀れみを込めて、彼女を見る。


 彼女の足は消えてなんかいない。僕の言ったことは詭弁だ。騎士は確かに魔法使い個人の創作物だけれど、創作物と製作者の間にそんな因果関係は無い。

 僕はただ彼女を追い詰めているだけ。

 劫が物言いたそうにするのを制して、僕は再び彼女を見下ろす。

 震える彼女を見下ろす。


「に、……くない」

「…………」

「死にたくない……死にたく、ないッ消えたくない、私は、私は死にたくない――」

「死にたくない、か」

「死にたく、ないッ!」

 引き攣った声、合わない歯の根がカタカタと震える音が聞こえる。僕は彼女を見下ろしながらその音を聞き、他に零れだす言葉が無いか耳を澄ます。

「嫌だッ……嫌だ、嫌だッ死にたくない死にたくない死にたくない! 私は死にたくなんてない、死ぬのは嫌だ! 嫌だ、怖い! 助けて、誰か、助けてッ」


 お母さん。死にたくない。助けて。助けて助けて助けて、お母さん。お母さん助けて、僕を助けて、死にたくないよ。


 あんたのせいで。


 眼を閉じ、身体の前で手首を握った。


 僕も助けを求めた、身体の中に機械を沢山繋がれながら母親に助けを求めた。死にたくないと繰り返して必死に父母の名を呼んで助けを乞うた――だけど母が、幽閉に疲れ果てた母は目の前で僕を罵った。身体中に機械を埋められて泣き叫んで助けを求め、人間であることを望んだ僕を、罵った。

 産まなければ良かったと。

 助けてなどやれるものかと。

 一人で死ねと。


 だから瞬・ラリナム・オリシネス。誰かに助けを求めるることが出来る君は、幸せだ。


「良かったよ」

「死にたくない、死にたくない死にたくない死にたくないッ」

「君は人間だ、瞬・ラリナム・オリシネス。脳しかなくても、身体中が機械でも、人形のように命令を忠実に聞くだけだったとしても、君は人間だ」

「嫌だ、嫌だ嫌だ嫌だ死にたく」

「良かったね」

「あ?」

「人間のままに、死ねて」

 僕は右の手首を『外す』。空洞の腕、それを彼女に向けた。彼女は驚愕の表情で僕を見る、そして何かを言い掛けた。

 僕は彼女に微笑みかける。

 障害物が殆ど無くなった聖堂の中、音は大きく響いて、そして消えていった。

「……僕と、違って」

 呟いた言葉は、響きもせずに消えた。


 人形に戻った劫を懐にしまって、僕はノマトの廃墟を出た。時間は昼、明るい光が眩しく差し込んで、僕は思わず手庇を作って目を眇める。

「これならもう一度街に戻って、少し休んで、残ったもう一泊を楽しむと言うのも良いよね……」

《迷惑を掛けたくないと思うのならば止めておいた方が良いと思うがな》

「まったくだよ。本当、兄上も酷いことをする、あのシチューは本当においしかったのになぁ、惜しい惜しい」

《因果は受け容れろ》

「僕はそこまで老成できていないんだよ、残念ながら」

 溜息ついでに呟いたところで、僕は自分の腰に目をやる。

「……それにしても」

 僕の腰には現在、中々巨大な剣が差されている。彼女から奪ったものだ。仕事をして路銀を稼ぐ、ということもあまり出来ないから、こうやって倒した敵からものを奪うしかない。ちなみに彼女が支給されたんだろう交通費も拝借させてもらった、どうせ死人には必要ないのだからと言う事で。

 ダガーも溶かされてしまったから僕には武器が無いのだし、ということでこれを拝借させてもらったんだけど、どうも……。

「僕には似合わない装備だよねぇ、つくづく」

《確かにな。だが丸腰よりは良いだろう、極力その身体をつかいたくはないのだろう?》

「まあね、そうなのだけれど」

《次の街で質にでも入れて、手ごろなナイフを買えば良いだけのことだ》

「ああ、そういう手もあるね。近衛隊だったって言うんだから、結構上等な武器を使っていたんだろうし……高値で売れると良いのだけれど、どうなのかなあ」

《次の街についてから考えれば良い》

「そうだね、無事に着けたらそうしよう」


 僕は歩く、歩き続ける。昨日のように一昨日のように歩き続ける、霞みながらも近付いてきた山に向かって、国境に向かって。この狂った国を抜け出すために、ずっとずっと歩き続けている。兄上の手の内から逃げ出すために、ゆっくりと、だけど止めることなく僕は歩き続ける。

 いつまで続くのかなど考えてはいけない。いつまで歩き続けるのかなど考えてはならない。途方も無いのだと自覚してしまえば、それは全て終わってしまう――全てが絶望で終わってしまう。

 母のことを考えたり、兄のことを考えたり、父のことを考えたりする前に、僕は進まなくてはならない。

 この国を抜け出すために。

 この国が、人間と機械の間に位置する不安定な存在を、例えば僕のようなものを、これ以上増やさないように。

 いつまで続くんだろう、本当に。


「次の街は――クシミナ、か。今度こそあったかいベッドを満喫するぞ、僕は」

《希望は持たん方が良いと思うが》

「酷いこと言わないでよ……セスト海に沈みたくなるじゃないか」

《どうせまた修羅場まみれだ》

「はあ……」

《その時も、私はお前と共にあろうぞ。どのような主だろうと私は守り続ける、聖隷の誇りにおいて》

「……自分で落としておいて引き上げるんだから、君って奴はまるで新興宗教の教祖みたいだね。安心して良いよ、僕はちゃんと君を信頼してるし。むしろ、君以外にはもう誰も僕の傍にはいないんだしね。信じるしかないって言うのもあると思うなー」

《そうだな》


 それ以降、劫は黙った。

 僕も黙る。

 そしてゆっくりと、整備されていない道を歩く。

 次の街に向かって歩いていく。


 宿屋のおばさんは今夜も僕の食事を用意してくれているのだろうか、それを思うと少し心苦しくなった。おいしいと言った僕のために、チップの弾む客である僕のために、あの気の良いおばさんは用意してくれているのだろうか。それとも荷物がないことに気付いて、もう帰ってこないだろうと見当を付けてしまっているだろうか。

 大暴れして都を飛び出したのは十年前。沢山暴れて色々なものを壊した、だけどそれはすべて劫がしたことだから、誰もそんな事は覚えていない。同じ聖隷の力を持つ王族にしか、その大惨事の記憶は無い。最初から無かったことにされた沢山の人々と、沢山の機械と、沢山の建物。

 海に逃げて、それが無理だと分かって、次に山に逃げている。僕は国境に向かってゆっくりと一歩ずつ、だけど確実に近付いていっている。

 僕は、ずっと歩き続けている。

 歩き続けているのだ。



「壊して、殺して、何度も繰り返して、本当に――何をやっているんだろうな、僕は。人間か機械かも分からなくて、希望なんてなくて、救いなんてなくて、それでも止まるのを嫌ってずっとずっと歩き続けている。潮風の次には乾いた風、そのまた次には血生臭い風、オイルの臭いが混じった風、色々な風を受けながら錆付くことも出来ないでとにかく歩き続けて。狂った国から抜け出したって、世界全体が狂っていたとしたらどうしようもない。本当に何もかもどうしようもない。それでも何かに縋り付きたくて、それは例えば隣国はマトモかもしれないという希望だったりして。誰も僕なんか助けてくれない世界だったらとか、本当に僕は誰にも愛されない、神達から見放された存在だったとしたらどうしようとか、不安に思うことは限りなく沢山あるんだ。だけど僕は――それでも、僕は歩き続けて。不安を感じたくなくて、何も考えたくなくて。歩き続けて逃避でもしているのかもしれない。本当のことから逃げ続けているのかもしれない。本当は兄上やこの国からじゃなくて、僕が逃げ出したいのは、僕が本当に誰にも愛されないんだっていう現実なのかもしれない――事実、母さんさえ僕を見捨てたのだし。だとしたら、本当に、僕がしていることは道化なのかな。だとしたらその道化に壊されて殺された人達って一体何なんだろう。一番狂ってるのが、道化に人を殺し続けて機械を壊し続けている僕自身なのだとしたら、救いのない話過ぎて嗤えもしないよね」


 歩き続けて殺し続けて壊し続けて。

 求め続けて裏切られ続けて。

 悩み続けて。


「ねえ劫」

 劫は答えない。

「僕は人間だと思う?」

 返事はない。

「それとも機械なのだろうか」

 僕は溜息を吐く。

「何が、欲しいんだろうね……僕は。自分でもそれが分からないよ。何一つ分からない。やっぱり一番狂っているのは僕なのかな」


 懐の人形が発する仄かな光を抱き締めて、僕は遠い境界線を眺めた。

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永久の刹那 ぜろ @illness24

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