第5話

「ぐ――――ぅ、ぐッ!」

 幸いだったのは火球が丁度僕の胸の高さを狙ってきてくれた、ということだろう。上でも下でもなく真ん中、それは腕を上げるのが一番早くて簡単に出来る場所だと言うことだ。そして僕は、コンマ数秒が過ぎて突き出した自分の手が灼熱に焦がされるのに――歯を食いしばって耐える。

 炎の塊に自分の腕が飲み込まれていく、腕の半分までを飲み込んだところでそれははじけ、火力が増し僕の腕を包んだ。皮膚の表面は水ぶくれを瞬時に通り越して乾燥し、角質を剥がしていく。やがて露出した様々な内蔵物も、高熱に焼き尽くされていく。

「っぐ、あぁああぁッ!」

 火炎が消える。

 特殊繊維の手袋は無事でも、僕の手は勿論そうはいかない。無惨に炭化してしまった皮はぼろぼろと落ち、耐熱温度を上回られたチューブも焼き切れて、音を立てて体液を飛び散らせた。指には皮膚が残っていない、腕ではなく棒になってしまった自分の身体の延長、そこからは骨の代わりに入れられている金属フレームが剥き出しにされていて、その先に不自然なほど無骨な手がぶら下がっている。およそ人の皮の下にあるべきものではないだろうフレーム、チューブ、ベアリング。それは骨の代わりに血管の代わりに筋肉の代わりに僕の中に内蔵されているものだ。疼痛が手首や腕を覆って、ダガーのケースも皮膚と一緒に焼け落ちた。

 ビクン、と上腕二等筋が震えると、それを合図に僕の中に組み込まれた自己修復システムは動き出す。放出される補填材、フレームを覆う新しいチューブ。ビチビチと音をたてながら焼け爛れた僕の腕は修復される、奥歯を噛み締めてその不快感に耐える僕は――彼女を見る。

 彼女は満足そうに微笑んでいた。

「よろしくてよ。大変よろしくてよ、刹那・クリストフ。卑しくも人間の脳というものを内包しているのならば、そのぐらいはやって下さらなくては面白みもございません。反射神経、思い切り、見切り、実によろしくてよ。私は少し楽しくなってまいりましたわ――小手先の魔法程度、何の恐れにもならない。どうやら貴方の再生能力は少々の傷など物ともしない様子、傷付いた細胞を簡単に切り離して高速度で再生してしまえるようですわね。つまり、致命傷を与えなければ、貴方を止める事は出来ない。私の任務は完了しない、そういうことになりますわね?」

 それは最早断定の言葉だった。疑問符、上げられた語尾にはなんの意味もない。無意味だ。彼女はまだ余裕があると言うことだろう、奥の手は何だ? この程度で近衛なんてありえない、何がある。

 僕は床から足を引き抜き、身構え、彼女の次の動作を待つ。

 彼女は優雅な動作で自分の白い近衛の軍服の懐に手を入れた。新しい魔法陣をひらりと落とす。距離がありすぎてその陣に描かれている名前は読み取れなかった。だけどそれを例の如くに剣で床に突き立てた彼女の短い詠唱に、僕は目を見開かされる。

「――我が意思を汲め、傀儡」

 聞き慣れたその呪文は。

「ッ傀儡系魔法使いか!」

「いえ、全般的に強化されておりますわ」


 にこりと嗤った彼女の足元、石の床から生まれる人形。

 それは不細工でのっぺらぼうの木偶などではなく。

 直線的なフォルムを持った、巨大な、


「――騎士、使い?」

「申し上げましたでしょう、私は近衛ですのよ? この程度は出来ますの――さて刹那・クリストフ。武器のない状態でどう戦いますの? 大人しく私の元に下るか、それとも、ここで一度スクラップになりますか?」

 涼しげな顔で言った彼女は、ぱちんと指を鳴らした。合図に騎士は腕を振り、壁に手を付く。ぱらぱらと落ちてきた天井の欠片も気にせず、僕はその騎士の動作を眺めた。メタリックレッドの身体、腕、壁に赤い光の巨大な魔法陣が生まれ――そこから炎に包まれた剣を取り出す。

 足の噴射で跳躍したのか、彼女はいつの間にか騎士の肩に乗っていた。騎士は剣を構え、僕を見下ろしている。赤い光を湛える一つ目に見下ろされながら、僕は――

 僕は溜息を吐いた。

「本当に――十年前に、そんなのは終わったと思ってたのに」

 もう、こんなものの相手をすることなんてないと思っていたのに。あの時それほどまでに叩き壊したと言うのに、十年前のあの日に一生分の戦闘を、一生分の戦火を、一生分の―― 一生分の、戦いをしたはずだったのに。それでも僕は戦っている、今も僕は戦っている。いつも僕は戦っている。

 それでも止まるのは嫌なんだと、自分を確認するように、僕は戦い続けている。

 十年前からずっとずっと、僕は、戦い続けているんだ。

「国を出るまで終わらない、のかな……この狂った戦いの繰り返しは」

「まだ逃げられるおつもりですの? よろしくてよ刹那・クリストフ、その愚かな態度は。押さえつけて屈服させて差し上げたくなります」

「良い趣味だね、瞬・ラリナム・オリシネス――」

 振り下ろされた剣を跳躍で避け、壁際で膝を崩し身体を低くする。僕はさっきの騎士と同じように壁に手をつけた。もう片手を懐に突っ込んで銀色の人形を取り出す。それはいつでも出撃できると示すように、仄かな光を纏っていた。

 それを床に叩きつけるようにする。壁と床に浮かんだ魔法陣、僕は呟いた。

「我が意思を汲め、傀儡」


 騎士と同程度の大きさの傀儡――木偶が二体生まれたので、聖堂は少し狭くなってしまっていた。僕の反撃に騎士の肩の上の彼女はつまらなそうな顔をしている。短く切り揃えられた黒髪に手を入れ、心底つまらなそうに、彼女は僕を見下ろす。

「どうやらあなたも傀儡使いのようですのね、刹那・クリストフ。ですが、たかが木偶で騎士に太刀打ち出来ると思いますの? 格が違いますわ、時間稼ぎのおつもりですの?」

「我が意思を汲め、傀儡!」

「そうやって作り続けて、数で攻めて攻略出来ると?」

「我が意思を汲め、傀儡!」

「よろしくありませんわね、頭の悪い相手は――嫌いです、刹那・クリストフ」

 定員オーバーになった聖堂の中には六体の木偶と一体の騎士。ただの木偶ならば何体居たところで、騎士の相手になどなりはしない。取るに足らない塵芥のようなものにしかならないだろう、そんな事は分かっている。聖堂中を走り回った所為で少し上がってしまった呼吸、僕は木偶の中の一体に視線を向けた。

 僕の意思は通じているだろう、何故無駄と分かっていてこんな数の木偶を作ったか。だったら、そのまま、汲んで見せろ。

 頭を振った彼女は、騎士の赤いボディにすっと手を触れさせた。魔法陣が生まれ、騎士の剣から上がる炎が更に大きくなる。体感温度が高い、湧き出る汗を拭うほどの余裕も無い。彼女は冷たい目で僕を見下ろす。熱さと冷たさ、彼女の気持ち悪い矛盾、白い衣服は聖堂を照らす炎で赤く染められているようにすら見えた。腰に手を当て、こちらを見下ろしてくる姿は――記憶の中の兄にも似ていて。

 僕は指を鳴らす、木偶の三体が騎士に向かっていった。しかしそれは簡単になぎ払われ、上半身と下半身の真二つになる。上半身が落ちるズズンッと言う音が空気を震わせ、塵を舞わせ、僕は手で口元を覆った。騎士は木偶ではなく僕の方へと向き直る、そして彼女は言い放つ。

「期待はずれでしたわ、刹那・クリストフ。この程度、この程度の兵の捕獲の為にこの私が足を伸ばしたと? たったこの程度の――まったくもってよろしくありません。国王陛下があなたにどんな秘められた力を期待したのかは存じませんが、飛んだ無駄骨でしたわ。要求に従わない場合は破壊も許すとの仰せ、従わせて頂きます。あなた程度の兵など溢れているのですからね」

 口元を覆っていた手を外し、僕は彼女を見上げ、ニヤリと笑みを浮かべた。彼女は顰めるように眉を寄せる。

「それは、随分と悪いことをしたみたいだけれどね――ははっ、本当に」

「何を笑っているのです?」

「瞬・ラリナム・オリシネス。君は国王に何を聞いて僕を捕獲しろと言われた?」

 僕の言葉に彼女は怪訝そうな顔を見せる。だが答えてくれるだろうとは思っていた、それが彼女の流儀だろうから。そして予想通りに、彼女は口唇を開く。

「国境へ向かっている凶悪な逃亡兵を捕獲しろ、力は未知数、全力で――」

「それだけ?」

「それだけですわ」

「はは……ははははははは、あはははははは!」

 僕は笑う。大声で笑った、障害物が多すぎて反響は無かったけれどそれでも聖堂全体に響く声で僕は――僕は、彼女を嗤った。そして兄上を、王を嗤った。

 まったく、本当に、懲りていない。全てを隠し通したままで僕を捕獲できると思っているのが滑稽で、まだそんなことが可能だと高を括っているのが滑稽で、そして何も知らされずにここにやって来た彼女すらも滑稽で、嗤わずに居られないほどに滑稽で。

 一瞬唖然とした彼女は次の瞬間に、その血の気の無い白い頬を高潮させて激昂した。

「……何を笑っておりますの? 何が愉快だと言いますの? あなたはここで私に焼かれ切り裂かれるのだというのに、何を笑っておりますの!」

 自分の剣を振り翳して僕に向け、彼女は叫ぶ。だけど僕は笑い続ける、嗤い続ける。

 止められるものか、こんな茶番を。

 ああ、本当に、なんて愚かなんだろう――誰も彼も自分も。

「く、くくッ……君は本当に、何も知らされず……僕の名前すらも知らされずにここに来たんだね、瞬・ラリナム・オリシネス。僕は君が可哀想で仕方ないよ」

「なに、をッ」

「もう良いんだよ、僕は。もう、何も知らされずに捨て駒にされた君なんかどうでも良い。心の底からどうだって良いね」

「……貴様ァッ!」


 大上段に振りかぶられた、炎の剣。

 僕は指を鳴らす。

 三体の木偶が、がら空きになったその胴体に取り付いた。


「邪魔だ、木偶ごときが!」


 彼女は叫ぶ。

 騎士は剣を振るう。

 殴るように片付ける、一体、二体。

 至近距離だから自然と柄を使わざるを得なくなる。

 ぼろぼろと崩れるそれ。

 僕は笑う。

 しがみ付く最後の一体を殴る。

 割れる石の表面。

 下から覗いたのは、白く光る目。


「――え?」


 驚愕は一瞬だった。


 殻が剥がれ落ちるように、覆っていた木偶の表面が落ちていく。僕は終わりを予感して自分の腕、そして手首を押さえた。

 孵化するように生まれたのは、白銀。曲線的なフォルムを持つそれは、ゆっくりと片腕を挙げて騎士の顔を掴んだ。真っ白な手が、真っ赤な頭部を鷲掴みにし、そして――メキッ、と音が鳴った。

「ば、かな……ばかな、そんなはずがないッ……そんなはずがない!」

 彼女は叫ぶ、僕はやっと姿を現した自分の傀儡――劫を、見上げる。

「ばかな! 聖隷だと、聖隷だと? 逃亡兵が、たかが一兵卒が、何故そんなものを持っている? 何故そんなものを所有している? 何故操ることが出来る! ばかな、ばかなこんなことが、王は何も――」

「だから言ったじゃないか」

 僕の声に、彼女は血走った目を僕に向けた。

 僕は、肩を竦める。

「君は捨て駒にされたんだって」

「な、にをッ」

「僕の名前はね、刹那・クリストフ・リトエルト。先王の第八王子。兄上、現在の王に厭われて無理矢理士官学校に入れられた。聖隷レベルの傀儡使いを強化すればどの程度の戦力となるか、その実験にね」

「王家――だと?」

「そう」

「王家、には、永劫の、忠誠を……」

 人形のように、機械のように、彼女は呟く。壊れてしまったように、混乱してしまったように、プログラムされた言葉を吐いてプログラムされた動作をしようとして。騎士の肩の上で膝を付こうとする身体を、僕は哀れみを込めた視線で見上げた。機械のように、ロボットのように、そうしている彼女は本当にそうなのかもしれない。自分の意思なんて本当はどこにもないのかもしれない。だけど、彼女は命令を携えているのだ――それを杖にして、また曲げた膝を伸ばしてしまうだろう、きっとすぐに。

 想定外の事象には弱かったらしいけど、彼女は仮にも近衛隊にまで上り詰めた軍人なのだから、そんなショックからは簡単に抜け出してしまうだろう。そして対策を立てる、もしかしたら逃げ出すかもしれない。だけど僕はそれを許すことなど出来はしないんだ。

 そんな時間を許すほどに、僕は甘くはない。

「劫!」

 僕は声を掛ける、そして合図を出す。応じるように目を光らせた劫は、いつものあの低い声で、呟くように、逆らうように、十年前のように、その言葉を無常に告げた。


《お前は、居ない》


 ザラリ、と。

 騎士は、赤い炎の騎士は、風食に遭った砂のように崩れた。

 その肩に乗っていた彼女を。

 床に叩き付けるように、劫は手を下ろした。

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