第4話
「……なに……これ」
心音が聴覚を支配している所為か、先生の声が妙に遠く聞こえる。どうしよう、どうしようもない。震えることも出来ないなんて状況があるんだ、いっそ感心する、ここまでくると動揺する余裕もなくなるなんて。不思議人間博物館の幻覚が見える。私は一生そこでくしゃみをさせられて過ごすんだ、なんて悲劇的なんだろう。なんて切ない人生。私は一体なんのために生まれたのかしら。え、生まれたことに意味なんか無い? それはとっても困ったことだわ、あはははは。
でもまだ人類は負けたわけじゃない。無理矢理に頭を振って、私は二人を振り向いた。と言うか、茫然として自分の髪に引っ掛かった勿忘草を眺める文野くんを見た。
「な、なんだろうこれ、いきなりどこから出て来たんだろ? お店の天井裏に何かしまってたりしたのかな!? だとしたら知らなかったな、どっか抜けちゃったのかもね!」
「……皆瀬さん」
「本当に凄いことになっちゃって、とにかく片付けなきゃね、お客さんもびっくりしちゃうし足の踏み場もないしっ」
「皆瀬さん、落ち着いて」
「私は落ち着いてるよ!? 本当びっくりした、くしゃみのタイミングとぴったりだったからもう何があったのかと――」
「皆瀬さん!」
しらばっくれられませんか? 私は目線を泳がせながらぎこちなく笑っている顔を少し俯かす。誤魔化せないかな、流石にわざとらしくてへたくそだったかな。嫌だ、嫌だよ。ばれたくない、こんなの絶対ばれたくないのに。こんな変な自分、おかしな自分、絶対彼に知られたくなんかないのに。
嫌われる。花粉症の方がまだ良かった? まだ市民権があってメルヘンじゃなくてリアリティがあって、白血病や結核ほどじゃなくても仕方ないと同情だってされただろう。でもこんな異常体質じゃそんなの望めない。こんなのおかしいんだから、変なんだから。変人体質、略して変体。なんて嫌な響き。彼の顔が見られない、身体が動かない、声が出ない、嫌なのに嫌なのに嫌なのに――もう嫌なのに!
小学校の頃、学校で目薬を隠されたことがあった。春先だったから花粉も多くて涙が止まらなくて、授業時間中にずっとぐすぐす言っていたことがあった。先生は呆れて、クラスメートは笑ってた。投げられたノートの切れ端、口裂け女。マスク女。余計に涙が出て、止まらなくて、だけどみんな笑ってた。あの子も笑ってた、彼も笑ってた。嫌なのに、そんなの嫌なのに。嫌われたくないし笑われたくない、普通になれなくてもせめてばれたくない。
嫌われたくなんか、ないのに。
「は……はははっ、あーははははは!」
不意に、先生が哄笑した。
「ちょっと葵、見てよこれ! 明らかに蓮よりレベル高いよ、茎の切り口も鮮やかだし花弁に傷みがまるでない! 何よりこの種類豊富さ! 春夏秋冬全般の花が集まってる状態よ、木の花まであるわ!」
「そういう問題じゃないって真樹……信じられない、蓮以外にもこんなこと出来る人がいたなんて、しかもこんなに近くに!」
「んなもんどーだって良いんだよ! 店を埋まらせるレベルだぜ? はは、感情値に左右されるとは思ってたけど、ここまで大量に出現させることが可能だとは思っても見なかったね! すげぇ、すーげぇわ!」
「……あぇ?」
……えっと、驚かれてるんですよねそうなんですよね? いや、驚かれる覚悟はあったんですが、ちょっと予想外の方向に走っているような気が激しくするんだけれどこれは如何に。私の勘違いですか? 違うよね?
顔を上げて見れば、茫然としながらもそれほどダメージを受けている様子ではない文野くんと、頬を紅潮させてしゃがみ込み花を観察している先生の姿が眼に映る。
えっと、何て言ってたっけ、誰かよりレベル高いとか――それってどういう?
がばっと身体を起こして、先生は花の海を掻き分け私に近付いてくる。肩を掴んで揺さ振られ、私の頭の混乱は最高潮に達していた。な、何事、何事ですか先生。むしろ鼻の穴が広がっていますよ、乙女としてNGですよ。私もろくな顔してないと思うんだけれどそれにしたってまずいですから、うら若き乙女として。
「皆瀬、皆瀬皆瀬皆瀬! なんでこんな面白いこと言ってくれないかなーもう!」
「せ、せんせッ」
「良いじゃないか良いじゃないかビックリ人間! 素晴らしいじゃないかサイエンス! 胸が高鳴るじゃないかバイオロジー! 心躍るじゃないかケミストリー! さあ先生に告白しろ自白しろ、いつからこんなことが出来るようになったんだ!?」
「え、ちょ、先生、ぐらぐらすっ」
「真樹、揺さ振りすぎ!」
がくがく頭を揺さ振られて脳震盪を起こしかけていたところで、文野くんの声が先生を止める。だけど先生はまるで聞いていない、掴まれた肩がいっそ取れるんじゃないかと思えるぐらいに痛い。花に埋まった足を進ませ、彼は先生の肩を掴んで私から引っぺがした。くらくらする私の肩を支えて、ふぅと一つ息を吐く。
「でも、本当に――皆瀬さん、どうしてこんなことが出来るようになっちゃったの? もしかして花粉症が治った時から?」
「う、うん、そう――」
「ははは、やっぱりだやっぱりだ! あたしの研究ってば正しかったんだーっ!」
はしゃぐ先生は花の中に埋もれて泳ぐように手足をばたつかせていた。色とりどりの花弁が舞い上がる、それに誘われて私はまた小さなくしゃみをする。タンポポがぱらぱら落ちていくのに、文野くんは深い溜息を吐いて見せた。
えぇと――
すごく状況掴めないんですけれど。
「あー……あのね皆瀬さん、引かないで欲しいんだけれどね」
「へ? な、なに?」
「僕の兄さん、蓮って言うんだけど、そいつも――くしゃみで花を出しちゃうんだ」
…………。
空が青いなあ。
窓なんか無いけど。
「と、遠くを見ないで聞いて! 真樹、って言うか先生はその原理の究明を在学時代から続けてて、だからあんなはしゃいじゃってるんだ。ごめんね、驚かせて」
「いや――その、それにも驚いたんだけど、なんていうかそれ以前に――」
「若人達、植物に心があると信じるか!?」
先生がバネ仕掛けのように身体を起こして、私達を見上げた。子供みたいな目をしてみせるその様子に、文野くんははぁっとうんざりしたような溜息を吐いてみせる。だけど先生はわたしも彼もまるで眼に入らないとでも言うように、演説を始めた。
「蓮、葵の兄貴の場合はね、神経質だったんだ。花って虫がついてるだろ? それがどうしても駄目で、彼女に花も送れないって気にしてた。あたしは花が好きだったからね。思いつめて思いつめてある日、いっそ花になっちまえば良いんだ! なーんて思って花の種を飲み込んだ!」
「え?」
彼女? 先生?
もしかして先生って?
「そしたらびっくり、くしゃみと共に花が降って来る体質に改善されちまった! これはあれだね、恋愛感情によって誘発されるホルモンや脳内麻薬が植物の種に含まれるなんらかの成分と反応して、身体に劇的な変化を与えた――なんてことじゃなく、多分植物が追い詰められた心をどうにかしてやろうと奇跡を起こしてくれたんだと思うわけよ。あたしゃ化学者だけど、だからこそ植物の心ってのを是非に証明したい。ただしこの理論、蓮限りの突然変異だとしたら成り立たないって欠点がある!」
「そこで皆瀬さんがこんなことしちゃったわけだから、姉さん年甲斐もなく大はしゃぎと言うわけだね」
「年言うな!」
「姉さん、って――文野くんと先生って、もしかして」
「義姉弟だよ? 兄さんを婿養子に攫っていったんだ、あの人。言ってなかったっけ?」
御機嫌に聞いていません。
脱力してしゃがみ込んだ私に、先生がずりずりと花の中を進んでくる。にやり、浮かべられたのは人の悪い笑み。嫌な感じだなぁ、と、潜めた声で先生が囁く。
「まあ、頑張って葵にアタックしろよ、皆瀬?」
「ッ……先生!」
「でもまあ」
ふ、と文野くんが笑って見せる。
いつもの柔らかい笑顔。
気のせいかもしれないけれど、いつもよりもっと柔らかい笑顔。
「メルヘンで素敵だよね、女の子がこんな感じだと――僕は好きだな」
ばれたくないと思ってた、ばれたらおかしいと思ってた、だから隠そうとしてたし――ちょっと卑屈にも、なってた。自分だけがおかしくて、自分だけが変だって。だから絶対に人にばれちゃいけない秘密だと思ってたのに。
その一言で何もかも見方が変わる。先生のニヤニヤしたチェシャ猫みたいな笑いも気にならない。何だかとにかく、くすぐったい。心臓がドキドキする感じは、初めて会ったときよりもっともっと大きくなっていた。
フラワーショップ・シンドローム ぜろ @illness24
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