継章 <三社祭>

 女の手を離し、女童は通りに溢れんばかりの人ごみと、そして夜店とに目を奪われながら走っていく。


 まだおぼつかない足取りにほほえましく思いながらも、女は今年で三つになる愛娘を抱き上げ、そして手を繋いだ。


 カラカラと風が舞い、夜店の庇の下で風車が音を立てて回る。玉砂利を見る間もないほどに、この参道は人で溢れていた。


「ねえ、竹とんぼ」


 愛娘は、素早く夜店の中に並ぶ玩具に目をつけたようだ。店の主もまた、訪れた幼い客ににこやかな笑顔を向け、そして緑と紅を羽根に塗った竹とんぼをくるくると回して見せた。主の指の間に摘まれた竹籤を支点にして、空中に描き出される緑と赤の二重丸に、娘は手を叩いて喜んだ。


「一つ、頂きます」


「へい毎度ッ!」


 主は先に竹とんぼを娘に渡すと、娘は歓声を上げて飛び上がった。


 早く、これを自分の手で飛ばしてみたい。その衝動を抑えきれず、娘は人ごみの中へと走っていってしまう。娘の反応はある程度は考えられたものの、女も主の手の上に硬貨を落とすと、慌てて娘のあとを追う。




 あっと、そのとき、女は声を上げた。


 人ごみの中から揺れ上がるように、竹とんぼが舞い上がったのだ。


 待ちきれず、娘が飛ばしたものであろう。こんなところで手を離してしまえば、どこへ飛ぶか分からない竹とんぼなど、すぐに見失ってしまう。悪くすれば、誰かに踏み折られてしまうかも知れないのだ。


 急いで竹とんぼの行方を目で追う女の視線の先に、若い警官がいた。不意に飛んできた玩具に半ば驚きつつも、警官はそれを手に取った。


「す、すみません、どうも」


 駆け寄る女は、既に警官の足元に辿り着いていた娘の姿を見つけた。頭を下げながら、娘の頭を軽くはたく女に、警官は微笑みつつも人攫いに気をつけて、と短く伝えた。


 腰を屈め、娘に竹とんぼを渡す。


「もっと広いところで遊ぶんだよ。人にぶつかったら危ないからね」




 娘は笑顔のまま、それを受け取った。


「どうもありがとうございましたっ」


 両手で買って貰ったばかりの玩具を持ち、警官に大げさなほどのお辞儀をする。


「それでは」


 警官は制帽の鍔に手をかけると、女の前から姿を消した。




 そういえば、あの人は警官をしていたって話してくれたっけ。


 あの人の腕枕で、そんな話を聞いた記憶があった。


 でも、名前が思い出せない。思い出せないが、記憶はある。だから、娘の名前には、あの人の名前から文字を借りたのだ。


 


 女は、警官の名前を聞いておけばよかったと、不思議な後悔をした。


 警官の名は、田之上といった。柔和そうな、およそ警官には似つかわしくない、男であった。


 浅草寺の三社祭は、まだまだ賑わいそうであった。





                        新編 妖之園       完

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新編 妖乃園 Episode6 不死鳥ふっちょ @futtyo

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