終章 <拭われた闇>

 アリシアは、仰向けに倒れていた。


 両手を広げ、ただ夜空を見上げていた。


 眼球だけを動かし、アリシアは見た。頭のすぐ上に立ち、額に銃を突きつけている、男を。


「撃ちなさい」


 抵抗する気がないのは、九朗にも分かっていた。銃弾を打ち込まれれば、アリシアは消滅する。


 二度と蘇えることは、ない。


「写本と霊脈移転……貴様の本当の狙いは、どちらだ」


「さあね、そこまで教えてはあげないわ」


 アリシアは、自分を覗き込む漆黒の瞳の前で、まるで童女のように笑って見せた。


「だけど、もうそんなことはどうでもいいじゃない? あなたが勝って、私が負けて」


「そういうものか」


「そういうものよ」


 九朗の銀の銃弾に抵抗する力は、もう残されてはいない。


「だけど、あなたの安息は、まだ遠いわ……ご苦労なことね」


 ふん、と九朗は短く鼻を鳴らす。


 そして、引き金を引いた。


 薬莢が一つだけ、くるくると回転し、そして芝の上に落ちた。


 


 


 目を覚ますと、そこは櫻の林であった。


 懐かしい夏の熱気がじっとりと辺りを包む中、北斗は櫻の樹の根にもたれるようにして倒れていた。


「さて、これからどうしましょうかね」


「決まってんじゃねえか」


 綾瀬はえらく間延びのした声で、首を回した。


「京都に行って、今回の顛末を聞かせてもらわなくっちゃなあ……あれだけ乱れきった帝都が、いつの間にかこんなにマトモになってるんじゃあ、気にするなってほうが無理だろ?」


「京都御所だろうが、天皇家だろうが、そう簡単に口を割るとも思えんが?」


 腕を組んだまま幹に寄りかかる梓は、しかし苦笑と共に呟いた。


「まあ、このまま済ませられるほど、お人よしでないのが残念だがね」


「戦争、起こすの?」


 不安げに尋ねる雅に、光照は愛想笑いをして見せた。


「揃いも揃って、大人げない連中だったってことさ……来なくてもいい、むしろボクは、君には参加して欲しくないけどね」


「仲間はずれにしなくてもいいでしょう」


 北斗はスーツの腰を手で払うと、喉元のネクタイに指をかけ、おもむろに引き抜いた。


「雅の生き方だからなあ、雅が自分で、決めればいいぞお」


 綾瀬、北斗、梓、光照、宝慈。


 五人の視線を受け、雅の首が縦に振られた。


 ユリシーズ、アレクセイ、ルスティアラの姿は、何処にもなかった。


 浅草寺が妖と人との邂逅の場であるならば、彼等はまた、横濱にでも行ったのだろう。






 一八七八年、九月十九日。


 公式の記録には、京都近辺における騒乱という項目はない。彼等の足取りは、浅草寺の櫻林を最後に、ふっつりと途切れていた。


 以後、急速な変貌を遂げる日本の中で、過去を振り返るものなどいようはずもなかった。


 そして七年後の一八八五年十二月二十二日、日本は内閣制度を採択し、太政官制を撤廃。


 指の間を摺り抜けて行ったものに気づいた者は、皆無であった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る