其の拾
一瞬の光ののち鬼は黒焦げになって転がり、どろどろに溶けて消えてしまった。
女は、ただ微笑んで、真澄たちを見ている。
男はそんな女に縋り付いている。ようやく会えた妻に涙を流し、悦んでいるがその瞳は濁っており生気を感じない。
「……真澄、刀を貸せ」
「あぁ」
直刀を受け取り、雪雅は男の胸ぐらを掴み無理矢理立たせ、向き合う。そして、胸倉を掴んでいた手で拳を作り、顔を殴りつけた。
鈍い音が響く。男は何も反応せず床に倒れたままだ。
「目を覚ませ。これはお前の妻などではない。ただの作られた偽物、化け物だ」
冷ややかな声と視線が男に刺さる。男はゆっくりと顔だけ雪雅に向けたが、その目は焦点を失っており、まるで人形のようになっている。
「こんなまがい物、この世にあってはならない。こんなもの、斬り捨てろ!」
顔を歪め、怒りにまかせて直刀を振り下ろす。しかし、それは肉を切ることはなかった。刃が触れた瞬間、女は穴の開いた革袋から水が溢れるように溶けて崩れた。あとには何も残っていない。
これですべて終わった。
真澄は藤花を蘇芳に渡し、雪雅の手から直刀を抜き取り鞘に納める。そして、いつまでも女がいた場所を睨み付けている彼の肩を叩く。
顔を合わせる雪雅の顔は酷く寂しそうで、瞳には未だ消えない怒りが映っている。真澄は彼の頭をぐしゃぐしゃと撫でたあと、倒れている男を抱える。
「行くぞ、雪雅。これ以上ここにいると気が滅入りそうだ」
「……あぁ。そうだな」
邸を出るころには東の空は白みかけていた。
気が抜けてふらついた藤花の体を蘇芳が支えた。すこし疲れた顔で、だがしっかりと微笑んだ彼女の顔を真澄は美しいと思った。
「さて、私は雪雅と共にこの男を引き渡しにいく。蘇芳たちは邸に戻り、休むといい」
「いいのか? 報告なら俺も」
首を横に振り、真澄は大丈夫と言うように笑う。
藤花は蘇芳に支えられながら真澄と向き合う。頬を染め、口をもごもごさせていたが大きく息を吸って意を決した。
「また、笛を聞かせてもらえますか?」
そう不安そうに聞いてくる藤花に真澄は懐から笛を取り出し、彼女に差し出す。思わぬ行動に驚きながらも笛を受け取る。
「必ず。それまで、私の笛を預かっていただけますか?」
「! 約束ですよ」
大切に笛を抱きしめ、藤花は笑みを浮かべた。
***
一連の事件ののち、都は平穏を取り戻した。しかし、検非違使には休む暇も許されない。都の治安維持や民政など仕事はいつも待っていた。事件を解決した真澄は別当代理となり、今まで以上に忙しい日々を送っていた。
事件の後処理、別当代理としての仕事の引継ぎ。何もかもやっと落ち着いた頃、真澄は蘇芳の邸を訪れた。
「お待ちしておりました」
優しい笑みを浮かべる藤花はあの時よりも顔色がよく、今では体調を崩すこともなくなっている。そんな彼女につられて真澄も笑みを浮かべる。
文机の下に置いてある箱を手に取り、笛を取り出す。
「約束を、果たしてもらえますか?」
「えぇ喜んで」
笛を受け取り、真澄は久しぶりに笛を奏でる。
そして、穏やかな二人を見守る影が二つ。
「やはり、真澄の笛はいいな」
「なぜ、お前までいるんだ」
笛の音に聞き惚れている雪雅と彼がいることにうんざりしている蘇芳。
「俺は真澄の笛が好きなんだ。あの笛が聴けるならどこにでもいくさ」
「はぁ、お前と言う奴は……」
相変わらず自由な雪雅に呆れてため息を吐く蘇芳。しかし、音の先にいる愛しい妹と自慢の同僚の幸せそうな顔を見ると馬の合わない雪雅のことなどどうでもよくなってくる。
笛の音は響き渡り、そこにいる者たちの心を落ち着かせ、癒してゆく。
恋慕の黒い染み 赤城 玲 @akagi-rei
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