其の玖
雪雅に術をかけてもらったおかげで陰陽師でない二人も漆のような闇を見通すことが出来、闇でも視界が開け、日の光の下と同様に動けるようになった。
占いで出た場所は右京の外れにある五条大路沿いの邸だ。丈の長い草を掻き分けて庭を分け入ると、荒れた家屋があった。家屋のすぐ前には砂が撒かれていて、草はあまり生えていない。
中に入り、奥に進むにつれ、まるで墓を暴いたような土黴じみた腐臭がしてくる。そして、その腐臭に混じって菊の花に似た香りがする。
やがて奥の部屋にたどり着いた三人は、不思議な光が照らすなかに呆けたように座り込んでいる藤花の姿を見つける。恍惚じみた笑みを浮かべ、うっとりと溶けた彼女の目は焦点を失っている。目の先には縦長の箱、人一人が入っていそうなそれを見つめている。
「誰だ!」
箱の影から男が現れる。真澄たちは警戒し、各々武器を構える。
男の顔は痩せていて、頬骨が酷く飛び出しているように見える。目は血走り、唇も乾燥して青白い。呼吸が荒く、胸を押さえて少々苦しそうだ。
「我々は検非違使だ。此度の事件、あんたが原因だな」
「邪魔をさせぬ、邪魔をさせぬ! もうすぐ……もうすぐ私は妻に会えるのだ!」
そう声を荒げながら男は箱の蓋を乱暴に開ける。同時に菊の花に似た香りが強くなる。その中には女がいた。絶世のとまではいかなくとも、美しいと思える女が。
箱に入っている女は真澄たちを見て、嗤った。そして、彼らは感じた。女は、生きていると。
「私と妻の逢瀬を邪魔するものは、今すぐここから去れ!」
男がそう言ったとき、天井から鬼が降ってきた。真澄は直刀を抜き、蘇芳は槍を構える。雪雅は剣印を結びいつでも詠唱出来るようにする。
「もうあの女は完成に近い形のようだな」
「それよりも、藤花を! 藤花を守らねばっ」
蘇芳は藤花に向かって駆け出すが鬼がその行く手を阻む。振り下ろされる手を槍で受け止め、藤花に向かって叫ぶ。
「藤花、聞こえないのか! 俺の声が聞こえるなら返事をしろっ」
「落ち着け、蘇芳!」
真澄は一喝すると同時に鬼の指を何本か切り落とす。鬼がよろけた瞬間、距離を詰め、足を何度か切りつけ、時に鬼の動きを利用して紙一重の動きで躱すとお返しとばかりに鬼の身体を削っていく。
「真澄、下がれ!」
雪雅の指示通り、真澄は素早く鬼から距離を取る。同時に風の刃に姿を変えた符が鬼を切り裂く。
「蘇芳の妹はお前が何とかしろ。蘇芳よりお前の方が動けるだろう」
「わかった。あの鬼は任せるぞ」
真澄はもう一度駆け出す。行く手を阻む鬼を避けながらなんとか藤花の傍にたどり着く。
膝を付き、視線を合わせるが彼女の目に真澄が映ることはない。
「藤花殿。真澄です、おわかりになりますか」
いつも通り、優しく穏やかに声をかけるが反応はない。藤花の瞳には光が戻らない。ただ、ただ目の前の女とそれによりそう男を見つめている。そんな様子に真澄は眉を顰めた。
「こちらを向きなさい。私を見なさい。あなたの目の前にいるのは私だ。あのような女でも、愛に狂った男でもない。今は、私を……俺だけを見ろ、藤花」
「あ……」
呼びかける声は徐々に熱っぽく低くなり、真澄は藤花の頬を両手で包み、無理矢理視線を合わせる。ふと藤花の目が焦点を結び、瞳に真澄を映す。
「……真澄、様。ここは……私は、鬼に攫われて」
「助けに参りました。蘇芳も雪雅も一緒です。もう心配はいりません」
そう、ですかと呟いて藤花は安心して力が抜けてしまい真澄に寄りかかる。肩を抱き寄せ、細い体を支えるべく力を籠める。
藤花の安全が確認できた蘇芳は槍に込める力を強める。
「よくも俺の妹を傷つけてくれたな。私の大事なものを傷つけた報いを受けてもらうぞ」
怒りを押し殺せていない低い声を発し、蘇芳は槍を突き刺す。鬼の肩を貫いた。そして、素早く引き抜き、そのまま切っ先を真円に振るい、腕を跳ね飛ばす。
跳ね飛ばされた腕は血飛沫をまき散らしながら転がっていく。
しかし、それでもなお鬼は蘇芳に向かってまだ残っている片腕を振り下ろす。
「くっ。このっ」
「退け、蘇芳」
鬼の手を避け、反撃にかかろうとした瞬間、雪雅が止めた。
符を眼前で構えたまま目を閉じて、調伏の呪文を詠唱する。そして、よく通る声で凛と言い放った。
「――万魔拱服!」
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