ふたつ年上の先輩

@kuronekoya

「私、面倒くさい女だからあまり構わない方がいいよ」

 そう言ってロッカールームへと向かった彼女の表情は、諦念とか渇望とか、……そんないろんな感情が入り混じっていて、僕は息を飲んでその場に立ち尽くした。


 中途半端な時間に終わった残業。

「一緒に晩ごはんでも食べて帰りませんか?」

 そう誘った相手は、ふたつ年上の先輩。

 別に深い意味はなかった。

 いや、全く気にしたこともなかったと言えば嘘になるけれど、下心などなかった……ほんの、ほんの少ししか。

 すごい美人っていうわけでもないけれど何となく気になる、表情に惹かれる――そう、庇護欲をそそるというか放っておけない気にさせる、彼女は時々そんな表情をするのだ。


 仕事はきっちりこなして、あまり残業することなく定時退社することが多い。

 歓送迎会やプロジェクトの打ち上げには参加するけれど、突発的な飲みの誘いにはめったに来ない。

 昼はお弁当派であまり人とは群れない。


 先輩のことを説明しようとすると、なぜか否定形が多くなる。


 つまり、1年以上一緒に仕事をしてきたのに業務連絡以外ほとんど接点がない先輩とちょっと話をしてみたい、そんな気持ちで誘ってみただけだったのに、なんだか妙に重い返事をされて固まってしまったのだった。


「……まだいたの?」


 ロッカールームから出てきた先輩は僕を見てひとつため息をついた。


「夕食の下ごしらえもしてあるし、食材の使いまわしの予定が狂うから、もしまた誘ってくれるなら1週間くらい前にお願いしたいな」


 そんな理由? 「面倒くさい女」って関係なくない? ってたぶん顔に出ていたのだろう。


「私ね、昔から『面倒くさい奴』ってよく言われてきたのよ。

 実際、友だちも少ないし。

 男の人と付き合っても長続きしなくて、たいてい最後に言われるのは『こんな面倒くさい女だとは思わなかった』だし。

 できるだけ職場の同僚と接点は少なくして、プライベートは切り離しておきたいの。

 君とは仕事での付き合いは長くなるだろうから、気まずくなりたくないわけ。

 だからできればごはんとかはナシで、これからも社交辞令と事務的なお話だけでほどよく距離を取って置きましょう」


 そう言って先輩は本当に帰ってしまった。




「それはアレじゃないか?

 ワガママで振り回すとか金遣いが荒いとかであらかじめ予防線を張ってるか、ヤンデレで文字通り本当に面倒くさい人なのか、どっちかじゃないのか?」


 コンビニ弁当や牛丼を食べて帰る気にもなれず、学生時代の友人に連絡を取ってみたらちょうど彼も帰るところだったようで、待ち合わせて行った居酒屋でそう言われた。


「会社じゃ敵を作るわけでもないけど、特に仲がいい人がいるわけでもなくて、そつなく誰とでも等距離を置いてる感じだなぁ。

 もしかして隠れオタクでバレたくないとかいう可能性はあるかな?」


「ありえるね。まあ理由はどうあれ、あまり構わないで欲しいって言われたんならそうした方がいいだろう」


「でも……あの人、時々すごく寂しそうな顔してることがあるんだよ。

 それがちょっと気になっててさ」


「やれやれ、普段からそれに気がつくくらい見てるんだったら、もう答えは出てるんじゃないのか?

 この後気まずくなっても当たって砕けるしかないじゃないか」


「砕けるのが前提かよ」


 とは言え、彼の言葉に背中を押してもらったのは事実で、心の中で「ありがとう」と礼を言っておく。




 気持ちは固まったものの普段からあまり会話がない上に、ふたりきりで残業したりする機会などめったにあるわけでもなく、あれこれ考えた末に「本当は就業規則違反だよな」と思いながら先輩の業務用のメールアドレスに「来週都合のよい日はありますか?」と送った。


 翌日昼食から戻るとデスクの上に折りたたまれたメモがあった。

『私用メールは就業規則違反ですよ。今度の日曜にランチでいいですか?』と、そして携帯キャリアのメールアドレスと電話番号が書いてあった。


『早速ありがとうございます。待ち合わせ場所と時間はどうしましょう?』とすぐにメールする。

 3時過ぎに返信があって、『焦らすみたいに時間をかけて期待を募らされても困りますから。時間は11:00で場所は〜』とターミナル駅のモニュメントの近くを指定された。




 日曜10:45AM。待ち合わせ場所に着くと、5分も経たずに先輩は現れた。

 シンプルな腕時計以外アクセサリーなど一切身につけず、無印良品あたりで売っていそうな生成りの服を着て、でも仕事の時とは違う髪のまとめ方にちょっとドキッとした。


「早いんですね」

「お互いにね」

「お店は決めてなかったですけど、どうしましょう?」

「あそこでもでいいかな?」


 提案されたのは、駅から少し離れたところにある、よくあるチェーン店のパスタ屋で。


「場所が悪いせいかあまり流行ってない店だからゆっくりできていいんだけど、潰れてないかちょっと心配」


 そう言って悪戯っぽく笑う横顔は、いつも会社で見せる引き締まった表情と同じ人とは思えない気安さがあった。


 幸いなことに現存していたその店は、先輩の言葉通り日曜の昼前にも関わらず待つこともなくすぐに席に案内されて、僕たちは本日のお薦めパスタセットを頼んだ。


「さて、こうやって一緒にごはんを食べに来たわけだけれど、私とどんな話をしたいのかな?」


「そんな改まって『どんな話を』なんて言わても、具体的に何か相談とかあったわけじゃないんですけど、僕、一度先輩とゆっくり話をしてみたかったんです」


「ゆっくり? どんな話を?」


「いや、その、普通に雑談とか……。

 先輩、昼休みもたいていひとりですし、飲み会にもあまり来ないし、僕が入社してから1年以上同じ職場で働いてるのに、挨拶と業務連絡以外ほとんど話をしたことがなかったなって、この前残業してる時に思ったんですよ」


「別に会社の人みんなと友達になる必要もないでしょう?

 お局様みたいな人がいて機嫌を取らなくちゃいけないなら色々気を使うこともあるけど、ウチの職場はそんなこともないし」


「それはそうですけど……。

 でも、先輩、たまにこう、すごく寂しそうっていうか辛そうな顔してる時があるんです。

 ため息ついて。

 それがなんか、すごく気になって、生意気だと思われるかもしれないですけど、力になってあげたいっていうか、話だけでも聞いてあげたいっていうか……」


 ため息をついた先輩は、たまに職場で見せる憂い顔をしていた。


「そう、昔から私が引っかかる男ってみんな同じようなこと言うの。

 私ってなんか儚げで、守ってあげたくなるような顔をしてるらしいんだけどね、別に私は何かに困ってるわけじゃないし、寂しくて構って欲しいわけでもないの。

 それなのに付き合ってみると、みんな勝手な幻想に勝手に幻滅して、最後に『こんな面倒くさい女だとは思わなかった』って言うのよ」


 その告白に僕は呆然とした。

 先輩の憂いに気がついたのは僕だけ、なんとかしてあげられるんじゃないかと思ったのは僕だけ。

 そんなのは単なる思い上がりだった。

 僕は先輩の特別なんかじゃなかった。


「私はね、自分のペースを乱されるのが嫌いなの。

 自分の立てた予定を狂わされるのが大嫌いなの。

 週末には本を読んだり、レンタルしてきた映画を見たり、一週間分のごはんの下ごしらえをして。

 平日にはなるべく定時で帰って自分で作ったごはんを食べて、お風呂に入って、念のために録画もしてあるドラマをできるだけその日のうちに見る、そんな規則正しい生活をしたいの。

 サプライズは嫌いなの」


 そこまで一気に言うと、

「ね、面倒くさいでしょう?」先輩はひとり言のように言って、ちょうど運ばれてきた出来たてのパスタをひと口頬張った。


 ああ、この人は自己完結してるんだな、と思った。

 自分で自分の幸せの形をきちんと組み立てて。

 そこにノイズは必要とされていなくて。


 僕と目を合わさないようサラダにフォークを伸ばす、うつむき加減のその表情は、でもどうしようもなく物憂げで寂しそうで。


 失敗するのかもしれない。

 先輩にとっては「また同じこと」になってしまうのかもしれない。

 アイツが言ってた「ヤンデレで面倒くさい人」っていうのはもしかしたら当たってるのかもしれない。

 でも、僕はもう迷わなかった。


「先輩のその一週間のスケジュールに、僕と会うことを組み込んではもらえませんか?」


 先輩はもう一度、深くため息をついた。


 fin

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