第5話 手を伸ばし、そして抱きしめる
僕が遭いたい人に会えた時、必ずすること
それは握手を交わし、許されるなら抱擁すること
許されるならとは、まぁこちらもいい年をしたおやじである
若い子は、そういう暑苦しいことはいやがることもある……のかなと思っている
男子であれ、女子であれ、許されるならハグをするし、僕がイタリア人ならきっとそれ以上のことをするだろうけれど、僕はまぁ、道産子なのでそういうのは苦手で、道端で乳繰り合っている男女をみかけるとこちらが赤面してしまう
嗚呼、うらやましい
以前の執筆で”人は距離の生き物”(*1)という話をしました
いい言葉です
僕の言葉でないのが残念ですが、その言葉を教えてくれた人にはいずれ何か形のあるものでお礼をしなければなりません
ただ、それはもっと未来の話になるでしょう
僕はまだ、その人からいろいろと学ばなければならない
いちいちお礼をしていたらありがたみも薄れてしまうというものです
いや、僕はケチではないのですが、どうも人に贈り物をするのは苦手で
嘘も方便、言い訳も使いようです
僕にとっての逢いたい人との距離感というものは、ハグができて苦手な贈り物は勘弁してもらえるような付き合い方――そういうことになります
でも僕にとってもっと重要なこと、それはその人の声を聴くことです――話をすることとは、すこし意味合いが違います。
会話は重要、それはそうなのですが、僕にとって逢うということはその人の肉声を直接空気を挟んで聞くことです
”聞きたいのは君の声だ”
あの歌をつい口ずさんでしまいます
僕は会話しているときの人の気分を顔の表情やしぐさからよりも声で察知します
人の名前や顔は忘れても声は忘れない
嘘をついているかどうか、声を聴くだけでわかってしまう……などということはありませんが、いや、もしかしたらそういうこともできるのかもしれませんが、僕には必要のないことです
嘘はつかれるよりも、付く方がつらいものだと、僕は思っていますから
見るということは、果たしてそれがどう見えているか、甚だ疑問です
それは飾っているかもしれないし
嘯いているかもしれない
気分が乗っていないのかもしれないし
慌てているのかもしれない
酔っているのかも知れないし
寄っているのかも知れない
”見た目”とは、
すべてであると同時に、見えないところを見ていないということでもある
僕は”見る目がない”ので見たものをあまり信じません
人の見た目は変わっていきますし、変わります
声というのはなかなかに変わらないものです
だから見るのは楽しい
あれ、今日は珍しくジーンズだ
とか
ずいぶん体の線がはっきりでる服だなぁとか
とか
髪型変えた、かわいい
とか
でもそういうことは、楽しくもうれしくもあるのですが、やはり思うのです
”聞きたいのは君の声だ”
僕はこれまでどれだけの逢いたい人に会ってきたのだろうか
手を差し伸べて
そのてを握ってくれて
ぎゅっとしって
身を寄せて
ぐっときて
ぎゅっと抱き寄せて
”また会おう”
って声をかけて、それで手を振る
僕はいつも振り返らずにその場を去る
それが僕の流儀
また会いたい
また君の声を聴きたい
またあなたの声を聞かせて欲しい
だから僕はあなたに逢いに行く
まだ僕の知らないあなたにめぐり合うために
なーんちゃってね
そんなかっこいいものじゃないのですよ
歳をとって、子供たちも大きくなるとね
ぜんぜん相手してくれないの
ただの寂しがり屋の中年オヤジの世迷言です
人肌恋しくなってね
ついつい誰かに甘えたくなってしまうのですよ
でも、そう見られないように虚勢をはって生きているのです
だから、嘘つきの辛さは、僕が一番、よく知っている
ではまた次回
虚実交えて問わず語り
注*1
https://kakuyomu.jp/works/1177354054885225268/episodes/1177354054885232057#end
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