#4

「アニキ、この仕事いつ終わるんすかね?」

「あのタンカーに荷物を積み終わったら、だってよ。ヤス、終わったらメシ食いに行くぞ」


 降り続く雨を眺めながら、龍醒会構成員の北野は舎弟にそう話す。彼自身も腹を空かせていた。もう4時間ほど立ちっぱなしであり、先ほどまで小雨のただ中で侵入者の監視をしていたことも相まって疲れている状況だ。


「そもそも、これって何の取引なんすか?」

「さぁな、俺ら下っ端は言われたことに黙って従うことが大事なんだよ」


 と言っても、今回の取引についての噂を北野は耳にしていた。組長の道楽が高じて、別の大陸の小国との取引を行うことになった、ということらしい。未だに貴族制を固持する風通しの悪い国だ。その尊い身分の一人と龍醒会の組長は、同じプロジェクトに出資していると噂されていた。

 そのプロジェクトの研究内容について、構成員の予想は一致していた。不老不死だ。


 大鋸という男は、金と権力に執着してこの地位を得てきた。自らの欲望を満たし切るのに、ひとつの人生では足りないのではないか。彼らの意見は口に出さずとも一致していた。

 そして、この交易を主導しているのは新参の食客である。眼鏡を掛けた顔面越しに貼り付けたような不敵な笑みが特徴的な男だ。


「アニキ、なんかエンジンの音しません?」


 北野の腹心の部下であるヤスは、声色に短絡さを滲み出しながらそう言う。


「ヤス、様子を見てこい……」

「了解っす。もしかしたら交代の奴らかも知れないっすからね」


 アロハシャツの背面に描かれた極彩色のハイビスカスが小さくなっていくのを眺めながら、北野は懐からナイフを取り出し、指先でくるくると廻す。果物ナイフのように刃渡りは短いが、誰かを脅したり身を守るには充分だ。


 雨の中、北野は狭いアスファルトを駆ける漆黒のバイクを確認する。それを必死に追いかけるヤスの姿を見て、北野は小さく舌打ちした。


「今日は大人しく帰れねぇようだな……」


 夜に溶け込むほど黒いフルフェイス・ヘルメットに同じ色のライダースを羽織った男は、鬱陶しいという感情を強調するかのように乱雑にハンドルを切り、北野の立つ倉庫のシャッター前で、飛び降りるようにバイクから降りた。


「おい、おい……おっ、お前誰なんだよ……」


 肩で息をするヤスの方をメット越しに見やり、バイクの男は溜め息を吐く。


「…………ッ!」


 男がヤスに耳打ちをした瞬間、ヤスは糸の切れた操り人形のように膝から崩れ落ちた。小さな呻きとともに腹を抑えてその場にうずくまるヤスを、男はヘルメットを外しながら見下ろしている。


「ヤス……!?」

「……ったく、声がデケェんだよ……」


 ナイフを確かに握り直す北野の方へ、男がヘルメットを外しながらゆっくりと向かってくる。酔いが抜けないかのようなふらふらした足取りに対し、瞳だけが何かの決意に染まるように爛々と輝いていた。


「テメェ……俺の子分になんて事を……!」

「……なぁ、この男知らないか?」


 北野の声を遮るように眼前に突きつけられた写真には、見知った男の顔が写っていた。


「アンタ、本当に何者だよ……」

「この男はどこにいる?」


 写真に写った眼鏡の男は、食客とよく似ていた。その表情からは神経質そうな雰囲気が感じ取れ、北野はそこだけが今と違うと思った。


「残念だがねぇ、俺は見張りなんだよ。たとえ何かを知っていたとしても、言うわけがないだろ?」


 相手は生身だ。いくらヤスを昏倒させようとも、ナイフを持っている俺をどうこうはしないだろう。北野は瞬時にそう考え、男の出方を伺う。


 顔を伏せた男は、そのままその足元に転がるヤスをゆっくりと起こした。ジャケットの裏地からスキットルを取り出し、透明な液体をヤスの顔面に掛けた。


「おい、何やってんだよ!?」

「安心しろよ、ただの水だ。ちょっと話を聞きたくてな……」


 北野は男の真意を掴みかね、儀式のように自身の子分を蘇生させる不審者の様子をただ観察していた。男の行動には一貫性がなく、大きな目的以外には興味が無いように思える。まさか、手段を選ばずここを突破する気ではないか。彼の想像力が結論を導き出した瞬間、北野は叫ぶ。


「何も人質を取ることはねぇだろうが!! わかった、答えてやる。その男は今ごろタンカーの前で取引してるよ!!」


「そこまで案内してくれないか?」


 男はヤスを起こすのをやめ、ぼそりとそう呟く。


「図々しいなお前……」


 北野は固めた髪を掻きむしり、叫びたい衝動に駆られる。俺を舐めているこの男に、痛い目を見せたい。組織を裏切りたくはない。子分を失うわけにはいかない。そのような想いが交錯した瞬間、彼は持っているナイフを再度強く握った。


「わかった、俺もアイツの事は気に入られないと思ってたんだ。あの冷酷な野心家には辟易してんだよ……」


 北野はそう言い、少しづつ男の方へ近付いていく。奴に武器を持っている様子はない。持っているなら最初から使っているはずだ。つまり、間合いに近づけば刺せる。北野の肩が僅かに上下し、刃物を持った腕がぴくりと痙攣けいれんした。


「黙れ……!!」


 その瞬間、銃声が北野の耳に反響し、ガレージの錆びたシャッターに銃創が生まれる。彼の目の前に立つ男は北野にリボルバーを向けつつ、焦燥を言語化するかのように呟く。


「あと3発だけだ。無駄撃ちはしたくないんだ……」


 弾丸は彼の身体に掠りもしなかったが、北野は緊張感と恐怖で胃液が湧き上がるのを感じた。


「案内したら殺さないよな……頼むぜ……」


 イカれた男に逆らうのは得策ではない、自らの危機意識がそう告げているように感じながら、北野は濡れたアスファルトに唾を吐いた。


「右の工場跡を抜けた港に停泊されている船の前、そこに奴はいるだろうな」

 北野は周囲を警戒しつつ、限りなく身体を動かさないように指を指した。

「誰にも気づかれるなよ……! 誰かに見つかったら俺の責任になるんだ、頼むぜ?」


 砂海は北野の忠告に曖昧に返事をし、シャッターを蹴破ろうかという勢いで工場に足を踏み入れる。やはりふらついた足取りのままで、妄執じみた覚悟だけを背負って敵陣を闊歩する。


 工場跡の広い通路を通りながら、砂海は前方からいくつかの人影が迫っていることに気づく。彼はジャケットを脱ぎ、エンジンの入っていない重機の影で身を潜めた。

 まばらな足音が響く。砂海は息を止め、足音が通り過ぎるのを待つ。一歩、二歩、足音を数えながら、相手との距離感を測る。


 不意に足音が止まる。恐らく、不審者の情報が広まり始めたのだろう。彼はそう推測し、大きく息を吐いた。

 物陰から脱兎のごとく駆けた砂海は、足音のする方を見やり、状況を確認する。


 敵は3人、後ろを向いている。そのうち1人は鉄パイプを持ち、周辺を不審そうにキョロキョロと見渡している。


 砂海は鉄パイプを持っていない男の頭にジャケットを被せ、絞めた首の関節を後ろに極めた。ぽきっ、という間の抜けた音が響き、男の身体は弛緩状態になる。

 彼は気絶した男を抱え、異変に気づいた鉄パイプの男を牽制する。そのまま背後に迫るもう一人をソバットで怯ませ、抱えた男を背後に投げる。


「急いでるんだ……邪魔すんなよ」


 鉄パイプの男の鳩尾に蹴りを入れ、よろけた隙に武器を奪った。

 武器を失って狼狽うろたえる男の頭上に、鉄パイプが振り下ろされる。額が割れ、血が滲んだ顔面に容赦なく痛打を加えると、男は動かなくなった。

 ジャケットの埃を叩き再び歩きだすまで、彼は眉一つ動かさずに事を成した。暴れた後でも気分は落ち着かず、失望と怒りだけが彼の心を満たしていた。


 工場跡を抜けると、目指す目的地はすぐそこに迫っていた。オレンジの街灯が煌々と輝くなか、敵を包囲するかのようにその場に現れた構成員が砂海を取り囲む。


「お前、ウチの取り引きを邪魔するつもりか?」

「シンのところに案内してくれ。そうじゃなきゃ消えろ……」

「お前ら、銃を持て! アイツを一歩も通すな、囲め!」


 一人の号令を合図に、彼を取り囲むヤクザが銃を構える。砂海はその場でゆっくりとしゃがみ、正面に立つヤクザの肩に銃弾を浴びせる。

 射撃によって生まれた隙は、場を撹乱かくらんさせるには十分だった。銃声によって起こったパニックで構成員たちが引き金を引き、何人かが流れ弾に倒れる。

 崩壊した包囲網を軽々と突破し、砂海は背後に2発ほど弾丸を浴びせる。焦るヤクザの怒声をバックに、彼は無表情で目的地に向かった。


「では、この六体で二千万でよろしいですね?」

「あぁ、ザイロ様がお喜びになるよ……」


 眼鏡の男は商談相手と握手をすると、部下に命じてコンテナを運ばせる。タンカーに運ばれていく貨物を満足そうに見つめながら、彼は大金入りのジュラルミンケースを受け取る。


「あァ!? 侵入者を取り逃がした!?」


 彼の部下が電話越しに素っ頓狂な声を上げ、狼狽えはじめる。男がそれを注意すると、部下は怯えながら答える。


「兄貴に会わせろって言ってる奴が攻め込んできました……!」

「誰だよ、こんな忙しい時に……!」

「は、入った情報をまとめますと。どうやら、ヴェルディゴの所の鉄砲玉です……!」

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