「 」

「花はいらない。僕がほしいのは、君だけだよ」

「そんな花より君の方がよほど素敵に見える」

「星よりも空よりも」

「いや、世界の何よりも君は」


 綺麗だ、と。

 色々言い募った後、彼は言いました。


 どこかに書かれた他人の文章を音読しているかのような、ある意味手本のような、芝居がかったセリフでした。でもお芝居にしては、感情をどこかに放ってしまったような空虚さがありました。私は気分が悪くなり、吐き気すら覚えました。

 私は花籠を抱え、その場でしゃがみ込みました。


「大丈夫? 辛そうだ」


 その気遣う言葉すら、今は。


「どうして、ですか?」


 どうして、花はもういらないんですか?


 私自身から話題を逸らそうとして、咄嗟に口から出たのはそんな疑問。それすらつっかえて、上手く発することはできませんでした。

 彼は笑顔で言います。


「だって痛くないんだ」

「痛くない……」

「薬を飲んでるんだ。これのおかげで、苦しくも、痛くも、熱くもない」


 彼が懐から出した小瓶には、ドロドロとした暗い暗い青色の液体が入っていました。彼はそれを一気に煽りました。

 体をビクリビクリと震わせて、恍惚な笑みを浮かべていました。


「私は、」

「ん? どうしたの? 何でも言ってごらん?」

「私は、痛い」


 痛くて堪らない。


「どうしてだか、苦しくて痛くて熱いんです」


 でもそれが、私は、


「以前はそれが好ましく思えて、」


 貴方を見ていると、押し寄せて来て、


「けど、今は」


 今は、それが辛い。辛くて、堪らない。

 どうして?


「ああ、泣いている顔も綺麗だ」


 彼はまた体を震わせました。


「僕を見ている君は、綺麗だ」


 彼は私の方に目を向けていましたが、私を見てはいませんでした。そんなに開いた瞳孔で何を見ているのか、尋ねるのすら怖くてなりませんでした。


「君には僕のすべてを見てほしい。君には君のすべてを見せてほしい」


 私は彼から目を離せませんでした。今の彼は確かに怖いけれど、それでもかつての彼は私の花を買ってくれていたから。


 彼はを、おもむろに自分の腹に突き立てました。そして、そのまま胸に向けて斬り上げました。

 私は咄嗟に立ち上がりました。花籠が手から滑り落ちて、花が風に舞います。


 頬に触れた温かさ。

 噴水の煌めきの中、夕方の日の下で、揺れる赤い花弁。

 喜びに満ちた哄笑。

 そして、一度、心臓がひしゃげるような痛みが私を貫きました。


 血が通っている。生きている。

 そして、それは……彼の中はこんなにも


「見てくれ! ほら、痛くないんだ! だから、こうして君と他愛ない話が出来る!」

「はい」

「腹わたも心臓も、ほら、痛くない……痛くないんだ!」

「はい」


 ナイフが進んでいくのを私は相槌を打ちながら見ていました。興奮している彼を見て、私は相変わらず苦しくて痛くて熱くなっていました。頬も紅潮していることでしょう。


 広場にいた他の住人たちは、ようやく彼の様子に気づき悲鳴を上げました。

 じきに警察も来るに違いありません。


 彼の体が崩折れて、カランとナイフが落ちました。心臓を刺したのでしょう。腹わたを晒したまま仰向けに倒れたその体は血溜まりに浸かっていました。その間にも体は不随意に痙攣していて、笑みの形になっている口からは花に似た血のあぶくを吐き出していました。

 血溜まりには、私がさっきまで花籠で持っていた白いユリが浮かんでいました。


 周囲を満たす悲鳴が頭の中で反響するようでした。住人たちが集まって来ていましたが、一定の距離からは近づいて来ません。きっと彼のあまりの綺麗さに近づき難く思っているのでしょう。


 私はしゃがみ込み、血溜まりにそっと触れました。


「冷たい」


 彼の体の痙攣は止まっていました。


「冷たいなら、温めてあげなくちゃ」


 私の熱さで貴方を温めてあげたい。


 落ちたナイフを拾い上げました。

 どうすれば良いのかは、分かっていました。


 きっと、苦しくて、痛くて、熱い。

 それが私のすべて。彼に対する私のすべて。

 これが、


「これが、きっと、 」


 私は笑みを浮かべました。

 彼が綺麗だと言った、笑みを。



 fin.

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空っぽのガラス瓶に花 笹倉 @_ms

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