セントラル・パンクツリー

@Twilight0120

カラス色のフクロウ (1)

 セントラルツリーのことをよく思っていない奴は、俺以外にも結構いる。今日も公園を陣取って、デモに飛び入りで参加してきたところだ。髪の毛を赤やら金の派手な色に染め上げた中高生、ブランド服に身を包んだ婦人たち、プラカードとおにぎりを抱えてヤジを飛ばすジジババが大半で、俺みたいなスーツ姿の社会人はむしろまれだった。しかし面白いことに、出で立ちこそ派手な連中だが、話を聞くと中身はむしろ勤勉な人間ばかりなのだ。腕二本おっぴろげてもまるで届かないぐらいの大木だから、維持費やらがシャレにならんほど高くて、しかもその費用は血税からぶんどられてるって話だ。まあそりゃ、真面目に働くのがばからしくなる気持ちもあるわな。


 ただ、オノとかナタとか掲げて、あることないことプラカードに書き連ねて汚い言葉を吐きまくってる連中を眺めてると、どうにもおかしいと気付くんだ。こういうの、住んでる世界が違うっていうのかな。まあ、ニュアンスとしてはそんな感じ。かなり居たたまれなかったから、結局解散する前に抜け出してきちまったんだ。真面目な奴でも怒ると怖いって実感したよ。いや、真面目だからこそ、かもな。


 俺がちょっと引いいちまったのには、もう一つ不可解な背景が存在している。ちょうど、今日の朝刊にも一面で飾られてたはずだ。お前も読んだんじゃないか?


 『カラス色のフクロウ セントラルツリーの頂に出現か』ってでかでかと見出しがあったやつだよ、知らなくても支障はないがな。

 

 数か月前あたりからしばしば話題に上がって、風化してはスクープで話題復活……っていうのを延々と繰り返して、今日はそのスクープってわけだ。あいにく民衆はセントラルツリー撤去推進派と反対派でもみくちゃになってるから、もう話題に上がることもないかもしれないな。俺は初めから興味などさらさらない。カラス色のフクロウが逃げようがつかまろうが食われようが、日曜は帰ってこないし増えないからな。どうでもいいわけだ。

 ただ、どうして話題に上がるのかは調べたことがある。木に黒いフクロウが留まるのなんて誰も気にならないはずだが、発見当初はSNSやら居酒屋やらでバカみたいに流行ったから、どうしてなのか知りたくてな。で、ここからが俺の言う、「不可解」な話になるわけだ。ちょっと長くなるが、今から話そうと思う。


 フクロウは知ってるよな?鳥のくせしてペットみたく間抜けな顔してて、正面から見ると首をかしげててちょっとかわいいアイツだ。基本的に夜にしか見られないって話だが、夜行性ってだけで昼でも会えないことはないらしい。『Forest Philosopher』つまり森の賢者って言われてるのを見ても分かるように、鳥の中でも少し特別な雰囲気を醸し出してるんだ。ハシビロコウ並みに目つきが鋭いやつもいれば、アンゴラウサギみたくおっとりしてるやつもいる。まあかく言う俺も、実際には見たことないんだがな。

 フクロウの特徴は、俺が知ってる中で四つ。

 一、首がすごく回る。三百度回るって説もあるな。

 二、夜行性。コウモリなんかと同じかな。

 三、明るい色をしている。ベースに白とか黄色系統を添えてるからな。

 四、不思議な声で鳴く。ホー、ホーって、聞いたことがあるんじゃないか?


 で、セントラルツリーのフクロウに戻ろう。まず、目撃したと報告が上がったのは、昼も夜もごちゃ混ぜになった時間帯だ。もちろん晴れた日も雨の日もある。鳴き声を聞こうとした奴もいたが、誰も噂通りの声を聞いたやつはいない。(ホー、ホーな)。代わりと言っちゃ、あまりに大げさだが、ヒトの言葉を話していたなんて騒ぐ輩もネットにうろついてる。そして最大の謎が、「カラス色」ってところ。いや、カラスなんてレベルじゃないらしい。まるでそいつのいるところだけ、クロマキーで切り取ったみたく真っ黒なんだと。カラス色というより、黒のシルエットといった方が伝わりやすいかもしれない。首に関しては七百二十度回るとか言ってるのまで見かけたが、支持するやつはいなかったな。皆がそろってうなずいているのは、色のことと時間のことだ。

 あまり日をまたがないうちに、いろいろと議論は進んでたな。蜃気楼説、見間違い説はもちろん、ただのカラス説、突然変異のフクロウ説なんて突飛なものもあった。人間の生まれ変わり説もあったな。ロマンがあって俺は好きだぜ。根拠を聞いたらすぐ逃げたが。

 しかし今日のデモを見るあたり、どうやら人々の関心も薄れちまったみたいだな。セントラルツリーにしか現れないことをみんなも知ってるんだろうが、あいつらが抗議の声を止ませようとすることは一度もなかった。もうフクロウなどどうでもいいのか、ほかの木にも現れるはずだと高をくくっているのかは知らないな。なんにせよ俺には関係ないんだが、フクロウのシルエットとやらを想像するたびに、なんとなく汗ばんでくる。本当にいるかは別として、そういう夢のある話が忘れられていくのは好かない。

 やっぱり俺も皆も人間で、楽しみがないと飽きちまうもんなんだよなぁ。


 休日を抗議参加に費やしちまった俺は、次の日の仕事中に危うく悲鳴を上げそうになった。悲鳴というかうめき声だな。女性社員が何人か引いてたから、もしかしたら勝手に漏れてたのかもしれないが、まあいい。

 俺の仕事は疲れる仕事でも難しい仕事でもないんだが、とにかく量がバカそのもの。夏休みの課題で例えると、今日は算数のドリルだな。先週は数学の問題集で、先々週は物理のセンター過去問って感じ。とにかく単調な仕事を淡々とした姿勢で単純作業みたく進めていく。で、それを三百日×四十年繰り返すだけの簡単な仕事だ。少し難しいのは、やってる途中に自殺したくなるのと、俺みたいなやつが数年に一度自殺することぐらい。会社もうまく隠蔽するんだから大したもんだぜ。それとも、とっくにバレてて問題視されてないだけだったりして。そんなことはいい。

「おいおい、しっかりしてくれよ」と後ろから同僚の声がしたから、中指をこっそり立てておいた。堂々と立てられるんなら、もっと出世できるのかもしれない。だが俺も含め、ここの連中はそんなことができるほどのタマじゃねえんだ。昔は嫌味を言われたら腹が立って仕方なかったが、最近は少しイラっと来るだけだしな。この調子でいけば、五年後には中指も立てなくなるかもしれない。俺も、そのころには三十超えてるわけだしな。別にどうだっていいんだ。プライドなんて、年食えば案外簡単に捨てられるもんさ。

 キーボードとスクリーンを交互に眺めていると、何やら俺の周りの連中が盛り上がっているのが聞こえた。どうやらあのデモは街の中でちょっとしたムーブメントになっていたようで、同僚のうち数人は参加もしていたというのだ。まあ俺はあいつらの存在に気付かなかったから、あいつらの方はなおさらだろう。誰とも話さなかった社会生活が、こんなところで役に立つんだから人生分からんもんだ。


 ところで、俺の職場には一人変わり者がいた。あだ名は「エヌ」、NeutralだかNervousの頭文字にちなんでつけられたんだとか。

 あいつの性分は俺に似ていた。俺と同じ速度で歩くし、俺と同じスピードで食事を終わらせる。示し合わせたみたいにデスクも隣だから、必然的にエヌとだけは会話を交わすようになった。正直俺もエヌも職場じゃ浮いてるから、お似合いっちゃお似合いなのかもな。

 エヌはいつも突然話しかけてくる。今日もそれは同じで、いきなり俺の肩を掴んでは「そういえば、今日の夜だけど」と話を切り出してきた。

「なんだよ、飲みだったら俺はパスだぞ」


「今日の夜、セントラルツリーに件のフクロウが現れるよ」


 いつもだったら「今日すごいうんこが出てさ」とかしょうもない雑談を始めるくせに、今日のこいつはなかなか面白いことを言ってきやがる。しかもいつものなよなよした感じじゃなく、今日はかなり本気のトーンをしていたから、むしろ俺が押されちまった。

「……根拠でもあんのか?」

「まあね。昨日のデモの規模を見る限り、きっと今日がチャンスだよ」

「チャンスって、そんなおおげさなもんか?」

「気になるなら見てくればいいさ。気にしないなら、普通に帰るだけさ」

 エヌはいつも突然いなくなる。今日もやっぱり急に話を終えて、俺の右肩を軽くたたくと同時に自分のデスクに戻っていった。

 かなりもやもやが残ったが、こいつの語り口がなんか引っかかる。きな臭いのは間違いないんだが、なんつーか、いまいち笑い飛ばせないっていうのかな……。たしかにあいつがほのめかしたように、フクロウが現れたと朝刊が知らせる前日には必ず何かしらの事件が一面に載せられていたのは事実だ。最初に現れたのは、アメリカでの殺人事件騒動の翌日。次に現れたのは、一流芸能人の不倫騒動が飾られてからまもなくのことで、三回目に現れる前には若い社員の自殺が報じられていたっけ。フクロウが姿を見せたのは、いつも民衆をにぎわせるビッグニュースが取りざたされていたんだ。

 だが、デモだぞ?たしかに民衆をにぎわせはしたが、狭い町の断片でのイベントってだけだ。その程度でビッグニュースと呼べるのか?呼んでもいいのか?

 まあ、いい。どのみちセントラルツリーは家から近いからな。散歩ついでに見物するのも悪くない。もしかしたらステキな出会いがあるかもしれんしな……。俺はいきなり乙女みたいなことを思って、パソコンに向かった。


「エヌ、消灯よろしくな」

「寄り道はご自由にね」

 さて、九時を回って窓の外は真っ暗。俺が仕事を終わらせた頃はみんな帰っちまって、振り向くとエヌ以外に社員はもぬけの殻だった。雑談ばっかりしてたのに、みんな早いもんだ。俺が遅すぎるだけだとは、認めないようにしていた。

 会社から俺の家までは徒歩で間に合う距離だ。セントラルツリーまでなら、もっと早く着けてしまう。会社からの帰り道で寄ったことは一度もないが、今日のところは別だ。俺はいつもの道から踵を返して、正反対の方向に進んでいった。

 セントラルツリーのある広場は、普段は人のにぎわう観光スポットのような場所だ。それは駅前にあるからというのもあるだろうが、セントラルツリーの存在が最も大きい。特に、件のフクロウの目撃情報が相次いでからは顕著だ。静かな雰囲気が好きだった俺からすると、正直この賑わいは少し悲しいかな。

 だが、今日という日は、根本的に違った。俺が広場にたどり着いたのは九時二十分。夜っちゃ夜だが、寝静まるにはあまりに早すぎる時間だ。にも拘わらず、セントラルツリー周辺はなぜかしんと静まってて、広場は人っ子一人見当たらない。本当なら暗闇を爛々と遮っているはずのネオンも、この日だけはぴたりとその力を失っている。喧噪の消えた空間に、一切れ風が割り入る。大木に繋げられた葉が擦れ、不穏な音が茂みの中を忍ぶように辺りに染みわたる。俺の足音も、しっかりと拾うことができた。

 「……フクロウ、ねえ」

 噂を辿る。たしか、現れるのは大樹の天頂。シルエットのように非現実的な染色。カラス色、しかしフクロウ。そしてそいつは、災厄を機に、ある日突然現れる。

 

 一体、どんなファンタジーだ?

 人の目を離れ、しかし忽然と不幸を悼みに訪れる、未確認生命体。立ち読みの雑誌も、エヌの言葉も、もちろんそいつの存在も、何もかもに疑念の灯火が宿るようだ。怒りとも諦観とも知れない感情に、俺は揺れていた。もしかしたら、みんな俺のことをダマそうとして、ドッキリとかいう名目上、陰で俺を嘲笑っているんじゃないだろうな。まあ、俺はそんなに好かれる人間じゃない。自分が一番分かってるけどさ。


 だから、かな。俺は気づくと、頂上に目をやっていた。

 誰も見ていない、誰からも期待されない。そう知ったから、俺は見上げた。

 大風が吹いて、視界が一瞬乱れた。


 いたんだ、そいつは、噂通り。

 シルエットみたいに真っ黒で、百二十度ほど首を回した、夜の鳥。

 まるですべてを見越した賢者みたいに、俺を静かに見下ろしていたんだ。


 俺は言葉を失った。というより、頭がいっぱいになりすぎて、何を言葉にすればいいのか分からなくなっていた。エヌは正しかった、噂は真実だった、ファンタジーが現実に存在した、デモが不幸を意味していた、俺はやっぱり認識されない存在だった……。感情が渦巻くって言うが、まさにそんな感じだ。血潮が収まらない感覚が、俺と共に肥大した。

 写真を撮るか、いや必要ない。心に留めようか、それも惜しい気がする。

 自問自答を繰り返すうち、一際大きな風が巻き起こった。巨大に構えた木の枝から、葉が数枚こぼれ落ちて、俺の肩を叩いた。細まった目から、月夜を陰らせる黒鳥が羽ばたくのが見える。俺は慌てて手を伸ばした。届くわけないなんて知ってる。恥ずかしいから読み飛ばしてほしいぐらいだ。フクロウが去ってしまう、本能でそう察すると、不可能だとしても引き留めずにはいられなかったんだ。


 風が収まって、体から冷気が去っていく。

 同時に俺は、水平に構えた左腕にかなりの重みを感じた。スーツの袖がわしづかみにされるように痛くて、俺は静かに視線を下ろした。


 鳥に好かれる人間味なのかも知れない。そんな子供じみたことを思った。

 その日から、俺の家は、ほんの少しだけキレイになった。

 共に暮らす相棒ができたから……なんていうと、少し水くさいかな。


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