9.合理的な結論

「何故そう思う?」

「そう考えると合理的だからです。あの奥様は風邪を引いただけで年老いたお医者様に大金を支払っていたと言いますが、本当に健康を鑑みるのなら有名なお医者様に相談するべきです。つまり奥様にはアーネトン医師に縋る理由がある」

「うん、良いと思うよ。それで?」

「そんなアーネトン医師が、もし奥様に「検査」を伝えたら、どんな時間帯でどんな日であろうとも奥様は彼を屋敷の中に入れるのではないでしょうか? 風邪を引いただけで大騒ぎ……体内のお宝が気になってしまうほどの人ですから」


 医師により検査をすると告げられた被害者は、食べる予定だった梨のタルトを取りやめ、使用人たちが帰宅した後に医師を屋敷に招き入れた。化粧をしたままだったのにネグリジェ姿だったことも、検査の準備だったとすれば説明がつく。


「じゃあ、どうして遺体は暖炉の上にあったんだろうね」

「暖炉の傍にはスリッパが揃えられていたんですよね。犯人がそうしたとは考えられないです。奥様が自分で脱いで揃えたと考えられます」

「つまり、自分で暖炉に登った」

「お医者様の指示に従って」


 でしょう? とシホは真剣な瞳でミソギを見た。


「検査のためと言われれば、そうしてしまうかもしれないね。アーネトン医師は言葉巧みに被害者を操り、そして暖炉の上に座らせた状態で殺害した。どうせ剣はフェイクだ。死んだ後にゆっくりと用意しても問題はない」

「それに医者なら、処置のために血を水に変換する魔法陣をいくつも所有しているでしょうねぇ」


 喉奥に笑いを押し込めたような声でホースルが補足する。明らかにこの状況を面白がるような様子に、しかしミソギは慣れきっていたので何も言わなかった。


「でも証拠がない」


 そんな二人を咎めるかのような鋭い口調でリディアが言う。凄惨な事件をあたかも世間話のように話し、しかもそれにシホを巻き込んだことを不快に思っているのを隠そうともしなかった。しかしまだリディアは良い方で、此処に居合わせたのがクラウスだったら、どうなっていたかはわからない。


「証拠なんて、いくらでも出てくるよ。アーネトン医師は被害者の内臓を夜通しひかっき回してお宝を手に入れた。そして朝早く屋敷に呼び出されたんだから、それらを十分に隠したり、殺害に使った道具を全て処分することは出来なかったはずだ。まぁ手始めに今の彼の持ち物から調べてみるかな」

「今の?」

「だって重要な道具は昨日のうちに使ったはずだからね。それをわざわざ現場に持ってくる愚行を起こすような人間にも思えない。恐らく全て家に置いてきている」

「……もしかして、腰を抜かして中に入らなかったのは」

「仕事道具を殆ど持って来なかったのを隠すためだよ。大体ね、ちょっと演技過剰だよ。前日に掃除した床に倒れ込んだのに髪の毛を埃塗れにして。俺達に「無能な医師」の印象を与えたかったのかもしれないけど」


 ミソギはそこまで言ってから、残っていた紅茶を一気に飲み干した。椅子を引いて立ち上がり、腰から下げた片刃剣の位置を直す。


「さて、そうと決まれば早く戻らないと。曲剣が見ているから大丈夫だとは思うけど、万一証拠隠滅でも図られたら厄介だからね」

「あ、これ……」


 手つかずのままだったチーズタルトを見て、シホが声を上げる。店の外に向かいかけていたミソギは、少しだけ足を止めると振り返って笑みを見せた。


「お嬢さんとのお話が楽しくて食べ損ねました。よろしければどうぞ」

「優しいですねぇ、軍人さんは」

「お前はさっさと帰れ、前科一犯」


 シホには笑顔を、ホースルには睥睨を残してミソギはその場を立ち去った。去る時に開け放たれた扉の上についたドアベルは、どういうわけか全く揺れていなかった。


「……仕方ない、俺も帰るとしましょう」


 ホースルはチーズタルトを食べきってしまうと、礼を述べて席を立つ。シホは慌てて立ち上がって、テーブルを迂回して男の前に立った。


「どうしましたか?」

「えーっと……さっき、お願いしたいことがあるって……」


 自信なく言うシホに、ホースルは最初は怪訝そうな顔をしていたが、やがて思い出して目元を緩めた。


「そうでした、そうでした。あのナイフをもう一度仕入れて欲しいんですよ」

「あの黒いナイフですか?」


 シホはリディアの方を振り返る。椅子に座ったままだったリディアは、その視線に気が付くと口を開いた。


「この前、俺が仕入れたナイフか?」

「そうです。どこで買ったんでしたっけ?」

「骨董市だ。ある遺跡で発見されたという触れ込みだった。まぁ歴史的価値も低いということで安く売られていたけどな。確か……」

「西ラスレ、タルナスク地区の「マズルの祠」」

「あぁ、そういえばそんな名前で……。どうして知っている?」


 リディアの問いに、ホースルは含み笑いをした。


「まぁそれは企業秘密ということで。……別に今更要らないけど、人間に盗られるのは癪ですし」

「自分が人間でないようなことを言うんだな」

「言葉のあやです。あの家と屋敷内の持ち物は、そのうち人手に渡るでしょう。その時に価値の低いものは処分される筈。その時にあのナイフを手に入れて欲しいんですよ」

「自分でやればいいだろう」

「そうしたいんですけど、これからちょっと忙しくて。時間はいくらかかっても構いませんから、お願い出来ませんか?」


 眉を下げて頼み込む姿に、シホが同情的な視線を向ける。リディアがそれを制止しようとしたが、少女の善意のほうが早かった。


「わかりました、やってみます」

「おい」

「本当ですか? ありがとうございます」


 表情を一変させたホースルは、感謝を込めてシホに礼を述べる。

 リディアはシホを呼び寄せると、小さい声で囁いた。


「何でも引き受けるな」

「でも困ってらっしゃるし」

「あの男に構うと面倒くさいことになりそうだ」

「そんな、人を見た目と印象で判断するのは良くないです」

「大体今までそれで判断して正しかっただろ」


 シホは不機嫌そうに頬を膨らませた。性根が善良な少女は、他人を疑うということに不得手である。それはクラウスもリディアも重々承知で、その分自分たちが疑い深くあれば良いと思っているが、結局はこうしてシホの意思のほうが勝る。


「あの人は悪い人じゃないですよ。チーズタルトくれましたし」

「チーズタルトで釣られるな」

「あと美味しい梨のコンポートのレシピもくれました」

「いつの間にか二重に餌付けされている……」


 リディアが頭を抱えた隙をついて、シホはホースルに向き直った。


「連絡先教えていただけますか?」

「いえ、そのうち子供達に取りに行かせます」

「子供?」


 シホはホースルの頭からつま先まで見て首を傾げた。


「えぇ、俺の子供達が。きっと貴女なら見ただけでわかるでしょうから、それまでナイフは預かっておいてください」


 それだけ言い残して、ホースルは店を出ていく。シホは暫くそこでぼんやりしていたが、ドアが風で鳴る音に我に返ると、「ひゃっ」と肩を竦めた。


「風吹いてきましたね」

「……あぁ」

「変なお客様でしたねー」

「……後でクラウスに叱ってもらうからな」

「何も怒られることはしてません!」


 心外だと言わんばかりに反論するシホを見て、リディアは益々大きな溜息を吐いた。

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