7.円卓の四人
四人が席に座ったところで、ミソギは事件についての詳細を話し始めた。
被害者の死んだ場所や恰好、水に変えられた血、「 深紅の骨」。幼馴染の執事を含む三人の使用人の証言。しかし、話せば話すほど事件の不可解さに眉を寄せる。どう考えても合理的な殺人とは言い難い。
その内面を汲んだかのようにリディアが短い溜息をついた。
「意味がわからない。どうしてわざわざそんな細工をする必要があるんだ」
「それがわからなくて困っているんですよ。使用人たちの証言を信じるのであれば、屋敷には誰もいなかった。単に夫人を刺し殺して逃げてしまっても良かったはずですからね」
「殺害されたのはいつごろなんだ」
「水が殆ど乾いていなかったので、恐らくは夜明け頃ではないかと。夫人は寝間着姿でしたからね。夜明けに起きたところを運悪く……」
「夜明けじゃないです」
シホはチーズタルトを満喫しながら否定を口にした。三人とも思わぬ発言者に驚いた表情を浮かべる。フォークの先にしっとりとしたタルトの断片を刺したまま、シホは笑顔を浮かべた。
「夫人はお化粧をしていたんでしょう? だったら寝る前だったはずです」
「朝起きて化粧をした可能性もあるんじゃないかい?」
「もしそうなら、明かりが必要です。太陽が昇っている間は明かりを点けるなとまで言う人が、たった数時間も待たずに明かりを点けて化粧をするとは思えません。それに、化粧をしたばかりで殺されたなら、化粧は剥げるんじゃなくて……歪みます」
女性らしい着眼点にミソギは少し感心した。シホは化粧をしていないが、観察眼は良いようだった。あるいは何かの折には化粧をすることもあるのかもしれない。どちらにせよシホの推理には一理ある。
「……殺害時刻を誤魔化すために、血を水に変換した可能性があるな」
リディアが紅茶の表面に視線を注いだまま呟いた。半分に割られたチーズタルトは手を付けられていない。
「夜中に訪ねて来た誰かが、広間に飾ってあった剣で被害者を殺害した。この国の魔法がどう作用するかは知らないが、何らかの細工を行って血を水に変換する時刻を明け方に設定した……」
「それは変だと思いますよ」
ホースルが穏やかな口調でリディアの考えに否定を返す。
「だって暖炉の傍の窓は割れていて、お屋敷の扉の鍵は閉まっていたんでしょう? となれば犯人は窓から中に侵入したと考えられます。人目を忍んで入ったことは明白でしょう。わざわざ妙な工作をして逃げる必要があるとは思えません」
フォークでタルトの表面をなぞりながら、ホースルは続けた。
「俺の勘ですけど、これは物凄く単純な事件だと思いますよ」
「単純どころか複雑にしか見えない」
「単純な動機を、複雑なもので誤魔化しているような気がするんです。ほら、贋作の絵に派手な額縁を付けて売るのと同じですよ」
「例えがよくわからないな」
リディアがそう言うと、ミソギが横から口を挟んだ。
「変装術とかと一緒と言えばいいですかね。顔に目立つ黒子や傷があると、そちらの印象ばかり残ってしまって、実際の顔立ちについて覚えにくくなる」
「……つまり、魔剣や死体の状況がそうだと言いたいのか」
「多分ね。この男に同意するのも癪だけど、俺も概ね同じ意見です」
ミソギは椅子の背もたれに体重を預ける。背中側で束ねた艶のある黒い髪が揺れた。そして同じ色の瞳がシホの方を見る。
「貴女はどう思う?」
「え? えーっと……」
シホは少し考え込みながらチーズタルトを咀嚼していたが、やがて考えがまとまると口元を拭ってから呟くように言った。
「……そもそも犯人が何をしに来たかが、わかりにくくなっているような?」
「その通り。犯人は何のために屋敷に侵入したのでか。被害者が化粧を落とす前だったことを考えれば、まだ灯りはついていたと考えられる。もし屋敷の中にあるものを盗もうとするのであれば、暗くなってから入るべきだ」
「では殺害が目的だった、ということですか? あれ、でもその場合でも起きている時は狙わないですよね」
フォークを手に持ったまま、シホは首を傾げる。リディアはそれを一瞥してから、紅茶のカップに手を伸ばした。
「要するに、窓からの侵入自体がフェイクなんだろう」
「どういうことですか?」
「犯人は明確な目的を持って屋敷を訪れて、被害者を殺害した。だがその目的はシホが言う通りわかりにくい。割れた窓も目的を隠すための小細工だと考えるほうが妥当だ」
「そこまでして目的を隠すということは……目的がわかったら犯人がわかってしまう、ということでしょうか」
シホが推測を口にすると、ミソギが愉快そうに手を叩いた。
「素晴らしいね。あんたも見習ったほうがいいよ、クソ商人」
「人には適材適所がありますからね」
「それもそうだ。……お嬢さん方の着眼点は非常に良い。犯人は自分の目的を悟られたくなかった。だから多少の無理をして、あんな大掛かりなことをした。じゃあ何が目的だったと思う?」
それはその場にいる全員に投げかけられた問いだった。元から素直なシホは真剣な顔をして考え込み、割と人付き合いが良い方であるリディアも似たような表情を浮かべる。唯一我関せずなのはホースルで、チーズタルトを口の中に入れて満足そうな声を零した。
暫く静かな時が流れる。漸くそれを破ったのは、紅一点の少女だった。
「犯人は、お屋敷にあった魔剣をわざわざ使ったんですよね?」
「うん。同僚の口ぶりからするに、特にポピュラーなものでもない。特にその「願い」を知る人は極僅かだね」
「それをわざわざ使用したということは、逆に言えばどうしても血を水に変える必要があったと思うんです」
「じゃあその理由はなんだ?」
リディアは渋い顔をしながら疑問を投げる。それはシホの言葉に疑義を唱えるというよりは、この問題そのものについての感想を遠慮なく表情に変換しているだけだった。
「手を洗いたかったわけでもあるまいし」
「血で汚れるのを避けたとか?」
「全身で血を浴びたなら兎に角、返り血ぐらいなら外套でも着ればいいだけだ。犯行は夜中だし、十分に隠せる」
その時不意に、ミソギが「あっ」と声を発した。切れ長の黒い双眸は何か面白いことを見つけた子供のように輝いていた。人差し指と親指で宙を掻くような動作を何度か繰り返す。それは算盤を弾く動作に似ていた。
「そうか、そうか。見えないと意味ないよね」
「何か思いつきましたか?」
シホが尋ねると、ミソギは指の動きを止めて視線を向けた。
「一つの可能性に行きついただけだよ。犯人と、その目的について」
「本当ですか?」
「まぁ正解かどうかは置いておくとして、俺の推理を聞いてくれる?」
シホが二回首肯する傍らで、リディアは面倒そうに目を閉じただけだった。そしてホースルはいつもの人を食った笑みを、口を覆った手の下で浮かべていた。
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