6.戦闘狂と邪悪
一方のシホは、どうやら知古の仲らしい二人が何かを話しているのをぼんやりと見ていたが、店のドアベルが鳴ったのに気が付いて顔をそちらに向けた。少し逆光になっていたが、慣れ親しんだ立ち姿を見間違えるわけはなく、表情を一気に明るくする。
「リディアさん」
「……何かあったのか? 表が騒がしかったが」
黒い外套に身を包んだ男は、風にもつれた長い髪を手櫛で整えながらシホに尋ねた。リディア・クレイという女性名に相応しく、その顔は整っている。履き古して色褪せたブーツは、歩くたびに砂埃を店の床に落としていた。
同じように汚れた皮袋を、リディアは無造作にシホに突き出す。
「これを手に入れた」
「何ですか?」
開ければわかる、と言われてシホは袋の口を締めていた紐を解く。もし此処にクラウスがいたら横から取っていき、自分でその処理をしながらリディアに小言を言うのは確実だった。生憎と今日は先代と一緒に商工会の方に顔を出している。
袋の中には豪華な刺繍を施したリボンがいくつも入っていた。元は高価なドレスやカーテンだったものが、破れたりして使えなくなったためにリボンとして仕立て直されたもので、女性を中心にコレクターが多い。特にアンティークドールを持つ者は、自分の大事な人形が製造された頃のリボンを探して私財を注ぎ込むなんて話も珍しくは無かった。
シホは顔を輝かせて、服が汚れるのも無頓着に革袋ごと抱きしめる。後でじっくりと検分して、自分で使えるものは貰ってしまおう。そんな思惑が見え隠れしていた。
「ありがとうございます」
「あぁ」
普段のように素っ気なく応じたリディアだったが、店内にいるホースルを見ると眉を寄せた。自分よりも背が高く、恐らくはクラウスよりも少し大きい。青い髪に血のように赤い瞳は、この国に来てから初めて見る色彩だった。
しかしそれよりも気になるのは、男が放っている気配だった。リディアは普通の人間よりも多くの「存在」に対峙してきた自負がある。しかし青髪の男はその経験からも外れていて、では何かと問われれば答えることが難しい。人間のようにも見えるが、獣のようでもある。否、その研ぎ澄まされた邪悪は剣のようにも思えた。
「あの二人は?」
「あ、そうでした。実は……」
シホが事件のことを説明し、ミソギとホースルについても簡単に補足する。リディアはますます怪訝に思って眉を寄せた。
ふと、その視線に気が付いたのかホースルが二人を振り返る。表情は柔らかいが、どこか作り物めいているとリディアは感じた。思わず身構えたその瞬間、若干気の抜けた声が二人の間を遮った。
「貴方はこちらの店員さんですか? それともお客さん?」
声を出したのはミソギだった。軍服姿の男を見て、リディアは警戒を緩める。
「どちらでもない」
「先代オーナーの息子さんです」
シホが明るい声で言った。
「地方の蚤の市とか巡ってまして、いいものを買い付けてくれるんです」
「なるほど、そうでしたか」
ミソギは一歩進み出ると、あまり背の変わらないリディアを覗き込むように首を傾げた。
「武道の経験でも?」
「……手習い程度だ」
「だとするなら、随分と壮絶な世界の手習いでしょうね。修羅が煉獄を踏み抜くような」
殆ど光の反射しない黒い瞳がリディアを射抜いた。それは一見虚ろに見えた。だがリディアはミソギのその瞳の奥に好奇心が蛇のように蜷局を巻いているのに気付いていた。戦闘に対する飽くことない欲求が鱗のように幾重にも連なり、歪な輝きは屈折の果てに闇に沈んでいる。
典型的な戦闘狂だと気付くと、リディアはうんざりした気持ちで溜息をついた。戦うことの終焉を望む男にとって、目の前にいる戦うために戦う男は、出来ることならば接したくもないタイプである。
「……そんな怖い顔しないで下さいよ」
一秒にも満たない睨み合いの後、ミソギは軽く笑って身を引いた。
「職業柄、色々と気にしてしまうんですよ」
「……カタナを使う奴には良い思い出が無い」
リディアはそう言って黙り込んだ。その間に挟まれるようにして事の成り行きを見守っていたシホは、少し踵を持ち上げて「あのあの」と声を出した。ホースルを筆頭として皆シホよりも頭一つ分以上背が高い。こうして話しかけないことには、存在すら忘れられてしまいそうだった。
「魔剣が使われたって仰ってましたけど、どうやって殺されたのですか?」
「知りたいの? 変わった子だね」
「人のことは言えないのでは? でも俺も気になりますし、教えてくださいよ」
ホースルが「ね?」と笑いながらミソギに迫る。
「存外、良い考えが出てくるかもしれないじゃないですか」
「……あんたの場合はどうだかね。でもまぁ、曲剣が向こうを対応してくれるし、その間ならいいか」
「あ、じゃあこちらにどうぞ」
小さな体を翻し、シホは商談用の円卓に三人を導いた。重厚な作りの木製のテーブルは、縁を真珠貝の細工で飾ってあり、どこか異国の地図らしきものが表面に刻まれていた。中央の掠れた装飾文字は辛うじて「テゥアータ」と読める。
シホは店のカウンターの奥にある小さな給湯室へ一度姿を消したが、暫くすると銀色のトレイに紅茶とケーキを乗せて戻ってきた。来客用に既に準備していたらしく、殆ど時間もかかっていない。
「頂いたチーズタルトを早速使わせていただきました」
白磁に花の描かれた皿に載せられたチーズタルトは、骨董屋の薄暗い照明の下で一層そのつややかな表面を誇張しているようだった。添えられた銀のフォークはシンプルな装いながらも細部に入った紋様が凝っている。
「チーズタルトねぇ。あんたの趣味とは思えないな」
「貰いものですよ。白薔薇の期間限定商品だとか」
ミソギとホースルが話す傍らで、リディアは自分の前に置かれた皿をシホの方に押し出した。すかさずシホがそれを更に押し返す。何度かの攻防戦の後に、シホはリディアの分を半分に切って、それを自分の皿に移し替えた。
「これでいいですよね」
「……別に俺は食べなくても」
「なんですか?」
「何でもない」
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