5.チーズタルトと取引
シホは大きな目を輝かせて、目の前に差し出されたものを凝視していた。キツネ色に焼けた表面。どこか乾いているようで滑らかな輝き。綺麗な円形をしたそれからは美味しそうな匂いが漂っている。
「いいんですか?」
「えぇ、頂き物ですみませんが。今日は食べる者が家にいなくて」
ホースルはそのチーズタルトを、もう一度シホの方に差し出した。年頃の少女に与えるには少し地味かもしれないが、焼いたチーズは人を裏切らない。受け取ったシホは嬉しそうに顔を緩ませては、慌てて引き締めることを何度か繰り返した。
「代わりと言ってはなんですが、ちょっと用立てて欲しいものがあるんですよ」
「なんでしょう?」
「大したものではないんですけどね、実は……」
ホースルが何か言いかけた時だった。後ろからヤツハ訛りの少し残る声がして、軍靴を鳴らしながら一人の男が入ってきた。
「すみません、フィン国軍の者です。ちょっとお話を……」
ミソギはホースルを見たとたんに露骨に顔を歪めた。しかしすぐにそれを取り繕うと、シホの方に一歩進み出る。
「こちらの店主の方?」
「あ、はいっ」
小さな背中を伸ばして、シホが返事をする。今日は少し大人びすぎているワインレッドのスカートを履いていたが、レース編みの大きな白いカーディガンがそれを和らげていた。
「昨夜未明にヴァリエン商会のアンナ・ヴァリエンさんが……」
「殺されたんですよね? 聞いています。だから私、えっと」
チーズタルトが流石に邪魔になったのか、シホはそれを丁寧にテーブルの上に置いた。
「昨日、あのお屋敷のメイドさんに会ったことをいうべきかと思って」
「えぇ、丁度その件で伺ったんですよ。……おい」
ミソギは勝手に出て行こうとしたホースルを呼び止めた。
「あんたにも用事があるんだよ。少しそこでじっとしてろ、前科一犯」
「あ、酷い。俺だって偶には傷つきますよ」
茶化すように言いつつも、ホースルは素直にその場に留まった。その赤い目の奥には、好奇心に似た何かが揺らめいている。ホースルがそういう表情を浮かべる時には碌なことが起こらないことをミソギは知っていた。
「……昨日、あの家のメイドさんに会ったと聞いたけど」
「はい。昨日はうちの商品を欲しいというお客様と閉店後まで話をしていたんです。無事に商談がまとまったので、外までお見送りしました。メイドさんに会ったのはその時です」
ミソギはシノの眼を見て少し考え込む。商談を行ったのであれば、その時の記録は確実に残っている。骨董商という業種は、盗難の被害に会いやすいために、自分たちの持ち物が正規のルートで手に入れたものだと証明する必要がある。見るからにフィン国の人間ではない少女のこと、そのあたりは殊更気を付けているに違いなかった。となれば彼女が閉店前から店にいたことも、その後で外に出たのも事実だと推測出来る。
「メイドさんとは何か話したかい?」
見るからに幼げな相手に、自然と砕けた口調になるミソギだったが、シホは特に気にも留めていないようだった。というよりも、自分の中の記憶を探すのに夢中になっているとも言える。
「えーっと……、別に大したことは」
「何でもいいよ」
シホは何度か瞬きをした。柔らかな色をした睫毛が上下し、頬に淡い陰影を落とす。恐らくもう少し年を経て服装や化粧を変えれば化けるタイプなのだろうが、今の素朴さを残した姿も、山間に咲く花のような可憐さがある。
「梨を貰ったんです」
「梨?」
「梨のマフィンを作るために買ったらしいんですけど、奥様が急に気が変わったとかで」
「良くあることなのかな?」
「夜は特に。気まぐれで困る、と零してましたね」
「その梨は?」
「えーっと」
シホは壁際に小走りで近づくと、棚に置いてあった籠を持って戻ってきた。中には梨が五個入っている。
「今日食べようかと思って」
「失礼」
ミソギは梨を持ち上げると、上から下まで満遍なく見回した。しかし、それは何処にでもあるような変哲もない梨であり、特に不審な点は見当たらない。
「梨ですよね」
「梨だね」
事件に関係はなさそうなので、そのまま籠の中に戻す。
「他に何か気付いたことはないかな」
「少し雑談をしただけです」
「急いでいたとか、焦っていたとか、そういうことはなかった?」
「いいえ。そういう意味だと……特にお屋敷の方を見ることもなかったですし、とても落ち着いていたと思います」
「そう。ありがとう。ところで、この骨董屋では剣も扱っているのかな?」
シホは小さく頷いた。
「凶器には魔剣と呼ばれる剣が使われていたんだけど、そういうものを扱ったことは?」
「魔剣?」
大きな目を見開いてシホは問い直す。それは、あまりに親しんだ単語が唐突に出て来たことによるものだったが、ミソギは全く別の意味に解釈した。
「いやいや、そう呼ばれているだけのただの骨董品なんだけどね。コレクターがいるようだから、知らないかと思って」
「あ……、そ、そうですか」
少女は胸を撫でおろす。少し視線が下がり、ミソギが腰から下げている片刃剣が視界に入った。
「軍人さんは珍しい剣を使うのですね」
「正規の軍刀は別だけどね。俺達は特殊だから。俺はヤツハ人で、母国の刀を使っているけど、同僚の中には硝子の剣を使うやつもいるし」
「フィンの方ではないんですね」
「あれ、見てわからない? そっちのクソ商人もそうだよ。あんた、どこの出身だっけ」
ホースルは口を開いて何か言ったが、それは言葉のようでもあったし、獣の呻き声のようにも聞こえた。どちらにせよ明らかなのは、ミソギもシホもそれを理解出来なかったという事実だった。
「え?」
「気にしなくていいよ。人をおちょくるのが好きなだけだから。で、あんたは昨日何をしにあのお屋敷に行ったんだい?」
質問の矛先が自分に変わったのを知ると、ホースルは不思議そうな顔をした。
「何のことですか」
「お屋敷に行ったのを、メイドが見てるんだよ」
「……あー、はい。確かに行きましたよ。彼女が先日買ったナイフを譲ってほしくて」
「ナイフ?」
「黒い、鉱物刃の。俺のだから返してほしくて」
ミソギは眉を寄せると、ホースルの腕を引っ張ってシホから少し距離を取った。聞こえないように声を潜めて、顔を寄せる。
「あんたのナイフだって?」
「ずっと探していたのに目の前で奪われてしまった」
いつもの演技をあっさりと消して、ホースルは本来の口調で応じた。
ミソギにとってはそちらのほうが慣れ親しんでいるものの、その変わり身の早さには内心呆れ果てる。
「だから取り返しに行った?」
「その通り」
「返してもらえたの?」
ホースルは首を左右に振った。空の色よりもなお青い、人工物めいた髪が揺れる。
「灯りはついていたが応答が無かった。流石に私も押し込み強盗みたいな真似はしたくないから、素直に引き返したまでだ」
「……まぁあんたがそう言うなら、そうなんだろうね」
ミソギは渋々ながらそう言った。ホースルは嘘はつかない。保身など考える必要がないからか、あるいは人間の価値観と別の場所にいるからかは不明だが、少なくとも質問に対する答えは信用に値する。
「あんたにも物欲ってあるんだね。ナイフとか拘るようには思えないけど」
「あれは身内からの贈り物だ」
「それって……」
ホースルは口角を片方だけ吊り上げた。凶悪と表現してもまだ足りない笑みに、ミソギは思わず言葉を飲み込む。
「まぁ気にするな。それよりも随分面白い殺され方をしたようだな。折角だから詳細を話してみるといい。私はお前ほど賢くはないが、元犯罪者として助言は出来るかもしれないからな」
「いや、元じゃなくてバリバリの現役だと思う」
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