3.奇妙な死体

 フィン国軍十三剣士隊に所属するミソギ・クレキは、その遺体を見て眉を寄せた。豪奢な暖炉の上、ハンティングトロフィーのように鎮座しているのは太った女だった。分厚い化粧はひび割れて、その下からたるんだ皮膚が覗いている。剥げた口紅の上には歯形がくっきりと刻まれて、今わの際に自らの唇を噛んだことは明白だった。


 身に纏うネグリジェは上質な白いレースを使っていて、同じ色のシルクが腹のぜい肉に貼りついていた。暖炉の傍にある大きな窓は割れていて、そこから吹き込む風によってレースが揺れている。

 しかし何よりも目を引くのは、女の胸に穿たれた穴だった。大きく開いた穴の奥に割れた骨と内臓が見える。しかしそこから溢れるべき血液は無く、代わりに水が暖炉やカーペットに広がっていた。その範囲は広く、暖炉の傍に揃えられた女物のスリッパは水を吸い込みすぎて雑巾のようになってしまっていた。


「血液が全部水に置き換わっているってことかな」

「そのようね」


 十三剣士隊が一人、『曲剣』マリッカ・ベルが同意する。癖のある茶色い巻き毛を指で掻き上げ、部屋の中央に突き刺さっている剣を目で示す。


「凶器はあの剣みたいよん」

「そのようだね。随分古い代物だけど、手入れはされている」


 剣で殺された奇妙な死体が見つかった、という通報を受けたのが一時間ほど前である。伝令役はそれをすぐさま十三剣士隊に伝えに来た。彼らの扱いが軍の中で「剣を持った戦闘狂」であることを鑑みれば、その判断は正しいとも言えるし、英断とも言える。

 詰所にはミソギを含めて五人いたが、隊長はすぐに二人に対して現場に向かうよう指示をした。剣士にも様々な種類がいるが、ミソギとマリッカは冷静なタイプに入り、それなりに頭も回る。また年齢差も殆どないため組みやすいだろうという判断が働いたことは明らかだった。


「あらぁ?」


 マリッカは剣を見て首を傾げた。床と同じように濡れた刀身に、複雑な文様が刻み込まれている。


「これ、『 深紅の骨』じゃないかしら」

「知り合いかい?」

「『利剣』じゃあるまいし、剣に友達はいないわよん。そうじゃなくて、有名な「魔剣」じゃないかなーって」


 魔剣、というあまり耳慣れない言葉にミソギは首を傾げた。魔法使いが多くを占めるこの国において、武器に魔法を使うことは常識ですらある。従って、わざわざ「魔剣」という言葉を用いることはない。


「どういう意味だい?」

「まぁ簡単に言えば「お守り」かしらねぇ。王政時代、『信仰王』バディア二世によって作られた剣のうちの一つよん。願いを込めて作った剣を、九十九貴族と呼ばれる家に一つずつ与えたの。それを持っている家は王族の信頼を得ているってことで一目置かれたみたい」

「九十九本あるってことかい?」

「あぁ、それは単に「揃っている」という意味でしかないわ。実際には五十に満たなかったんじゃないかしらん? 革命の後に生活に困窮した貴族が手放したものが結構あるのよ」


 マリッカは饒舌に説明を続ける。裕福な商家に生まれた女剣士は、家業の一つでもある骨董には少々の学があった。


「いくつかは博物館と美術館に保存されてるけど、熱心なコレクターもいるのよねぇ。何しろ、剣一つ一つにその家を象徴する名前と「願い」が彫られてるから」

「例えば?」

「『神々の楔』は我らが同胞、ランバルト・トライヒの生家に伝わる魔剣ね。願いは『祝砲鳴らす先駆けであれ』」


 ミソギは脳裏に、その人物を思い浮かべた。西区では領主まで務めた大貴族の末裔であり、十三剣士の中でもその高潔さと教養の高さは際立っている。裏を返せば、極めてあの部隊には合わないということも意味する。


「あとは『一角獣』なんかはわかりやすいわよ。『勇猛果敢であれ』だけだもの。といってもこれは現存しないから、本当はどうだったか不明だけど」

「ふぅん。それってこの国の常識だったりするの?」

「まさか。存在は知っていても、内容まで詳しく知っている人は稀よん。因みにこの『 深紅の骨』は東区の名門貴族であるイグル・ベデスティ家にあったものね。信仰王の血縁だったから、その血が長く続くように『水の流れのように血が絶えんことを』という願いが込められたの」


 明るい声で言うマリッカに、ミソギは却って不気味なものを感じて喉を引きつらせた。


「それって……」

「この状況に見合ってるわねん」

「まさか魔剣にその力があるなんて言い出さないよね?」

「ヤツハの国の人間って、結構こういう類に弱いわよねぇ。無いわよ、そんな力」


 明確に否定されて一度は胸を撫でおろしたミソギだったが、同時に今度は別の疑問が生まれる。


「じゃあこの状況ってなんなんだい?」

「誰かがこの魔剣のことを知ったうえで行った、見立て殺人かしらね」


 ミソギは足元に広がる水を見下ろした。

 血を水に変換する魔法自体は軍でも兵器の手入れに使用されている。魔法には常に「固定化」の概念が伴うため、人体の中で流れている血液に対しては適用することが出来ない。


「殺した後に魔法を使ったってことか……何でだと思う?」

「返り血を消すためとか? でもそんなの自分の衣服にだけ行えばいいわよね。何も死体の血液全てを変換することはないわよん。それだけ魔力も消耗するし」


 二人は首を傾げたが、すぐに答えが出ないことを悟ると方針を切り替えることにした。


「この家の人に話を聞きましょう」

「賛成。えーっと、あっちだっけ?」


 二人は現場を一度出ると、別の部屋へと移動した。応接間であるその部屋には、兵士一人に見張られた状態で、痩せぎすの男と太った中年女、そして背の高い若い女が座っていた。

 マリッカが話を聞きたい旨を切り出すと、男が真っ先に立ち上がった。勢いのわりに顔色は悪く、冷汗を流している。しかし着ている執事服には目立った乱れはなく、少なくとも起きて着替えるまでは男の心を乱すものは無かったと見受けられた。


「し、執事のジェイシー・デイバスです」

「楽にして頂戴。……デイバス?」


 マリッカはその名前を聞いて眉を寄せた。そして男を数秒眺めた後に合点が行った表情を浮かべる。


「あら、デイバス商会の若旦那じゃない」

「は、はぁ。ご無沙汰しております、マリッカお嬢さん」


 若旦那、というには少々年齢が行き過ぎた男は、額の汗をハンカチで拭きながら答えた。


「倒産してから音沙汰なくなって、どうしたのかと思っていたけど」

「と、途方に暮れていたところを、アンナ……失礼、こちらの奥様に拾っていただきまして」

「そういえばデイバス家はヴァリエン家と懇意だったわね」

「曲剣、説明してくれるかい?」


 ミソギが口を挟むと、マリッカは苦笑して続けた。


「あぁ、ごめんなさい。こちらは元デイバス商会の会長さんなのよん。うちとも何度か取引をしてもらったことがあるの。十年以上前に詐欺師に騙されて倒産しちゃってね、夜逃げ同然にいなくなったのよ」

「それで「マリッカお嬢さん」か」

「何よ。これでも良いところの出なんだから」

「自分で言ってたら世話ないよ」


 ミソギは呆れた顔で言ってから、執事に視線を戻した。


「第一発見者は貴方ですか?」

「はい。今朝、いつものように奥様を起こしに伺ったところ、ベッドに姿が見えず……。それで探していたところ、あのようなお姿で」

「なるほどね。何か盗まれたものはありますか?」


 執事は瞬きを繰り返しながら、自信なく首を傾げた。


「見たところ大きな絵画などは残っているようです。しかし奥様は小さな装飾品なども沢山お持ちでしたから。古くからのものとなると、私にもわかりませんし」

「じゃあそれは後で確認してもらうとして……貴方はこちらに住んでいるのですか?」

「この屋敷の離れで寝泊まりしています。奥様は夜に使用人が屋敷に入ることを好みませんので。ガードマンを雇うように進言したこともあったのですが、鼻で笑われてしまいました」


 その言葉に、中年女が苛立たしそうな声を出した。化粧をしていない肌は分厚く、鼻頭の毛穴は開き切っている。艶のない黒髪にはところどころ白いものが混じっているが、それは年齢のためではなさそうだった。お世辞にも容貌が良いとは言えないが、意思の強そうな眉と顎はどことなく人を惹き付けるものがある。


「全くねぇ、何様なんだか。旦那様が亡くなってから、あの強欲女は自分が女王様だとでも勘違いしたみたいだよ。何を食ってるかしらないけど、大金を持ち出して旅行に行ってはブクブク太って、同じぐらいのお金を持って一流の仕立て屋に行っては、カーテンみたいなドレスをいくつも作るんだからね。あれは悪趣味なんてもんじゃないよ」

「エラノーラ」

「自分が好きなようにこき使っておきながら、用がなくなれば離れに追い出すんだから。「そんなに仕事をのろのろと片づけて、余計な賃金は出さないよ」ってんだから、呆れた女さ。その癖、主治医には咳一つ出ただけで大騒ぎして大金を払うんだから」

「止しなさい、軍人さんの前で」


 窘めるジェイシーを、エラノーラと呼ばれた女は睨みつけた。


「死んだ女に何を遠慮することがあるのさ。死んだ人間を悪く言うなって言うけどね、生きている間は我慢してやったんだから当然の権利ってことさ」

「……貴女は?」


 マリッカが尋ねると、女は少しだけ表情を緩めた。



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