1.『銀の短剣』
歩道に並んだそれらの品を見て、ホースルは足を止めた。何かの廃材らしき板と角材を組み合わせた簡易台は、地面に対して斜めになるように調整されている。使い古した油紙の上にはナイフやら壺やら本やらが並んでいて、風が吹くたびに油紙が乾いた音を立てた。
その近くにある細長い建物から、一人の少女が銀製の皿を持って出て来ると、板の上の空いたスペースに丁寧にそれを置いた。どうやら虫干しをしているらしく、その両手は埃にまみれていた。
「……これは」
並べられた物の中にある小さなナイフに目をつけたホースルは、少し身を屈めて視線を近づける。黒銀色の刃は荒く削られて、持ち手に巻かれた革は腐食している。手のひらほどの大きさもないナイフに、しかしホースルは興味を惹かれていた。
「お客様ですか?」
不意にそんな声が聞こえて、ホースルは顔を上げた。先ほどの少女が笑顔でこちらを見ている。顔立ちは整っているが、まだ幼さが残る顔のラインのために「美人」というよりは「愛らしい」という表現がしっくりくる。陽だまりのような金色の髪が少し乱れて頬に貼りついていた。
「骨董品を扱うお店ですか?」
「はい。『銀の短剣』と言います」
少女は掲げられた看板を指さした。確かにそこには今言われたのと同じ文字が刻まれている。
「良い天気なので虫干し中なんですけど、気に入ったものがあれば仰って下さい」
垢ぬけたようでどこか素朴さを感じさせる少女だった。鮮やかな色の花の刺繍を施したワンピースに対して、少々地味すぎる若草色のカーディガン。履いているブーツは新品同然で、良い素材が使われている。恐らくその靴は自分で選んだのだろう。服とは合っていないが店とはよく馴染んでいた。
「お嬢さんが一人でお店を?」
「はい。先代から引き継ぎました。……といってもまだ半年ぐらいで、色々勉強中です」
「若いのに御立派ですね」
ホースルは黒い刃のナイフを取り上げると、改めてその表面を見た。半透明の黒いガラスを幾重にも重ねたような刀身の上で昼下がりの太陽が歪んでいる。
「これは売り物ですか?」
「あ、はい。あれ、値札が落ちちゃった……?」
少女は慌てて板の周りを探す。運ぶ際に剥がれ落ちたらしい値札は歩道の石畳の間に丸まって挟まっていた。先に見つけたホースルが手を伸ばそうとした刹那だった。黒い影が視界にかかると同時に甘ったるい香水の匂いが鼻をついく。
「あら、良いナイフね」
野太い、しかしかろうじて女とわかる声が聞こえて、ホースルが持っていたナイフを横から奪い取った。一瞬の出来事にホースルが呆気に取られていると、悪趣味なコートを着込んだ女が、真っ赤に塗りつぶした口を開いた。
「悪くないわ、とても。ジェイシー、お金を払ってちょうだい」
肥えた大女の影から、枯れ枝のような男が顔を出す。やつれた細い顔には似合わない大きな眼鏡をかけていて、チーズ専門店の看板に描かれるマスコットのようだった。
「お、奥様。その品物は別の方がご覧になっていたかと」
「別の方?」
女はその時初めてホースルに気が付いたようだった。上から下までその容姿を値踏みすると、顔を歪めるようにして笑う。
「まぁまぁ、ごめんなさいねぇ。でもこのナイフの価値は貴方にはわからないでしょう。本当にねぇ、貴方が悪いんじゃないのよ。教養というのは平等ではないのだから」
「あ、あのぉ……」
少女が口を挟みかけたが、ホースルはそれを手で制止した。この手の人間には慣れているし、何か言われたところで腹も立たない。ホースルにとってはこの世の生き物は全て、等しく一つの命でしかない。
「これをいただけるかしら?」
少女は困ったような表情を浮かべて、ホースルを一瞥する。気にしないように伝えると、ナイフと代金を受け取って店の中へ入っていった。暫くすると、丁寧に包装した紙包みと領収書を持って戻ってきて、丁寧な物腰で女にそれを渡した。
「ありがとう。まぁ良かったわ、本当に。価値のわからない人に間違って渡ってしまうところだったもの」
「奥様……」
「ジェイシー?」
語尾をわざとらしく上げて、女は男の方を振り返った。
「貴方は私に何か文句があるのかしら? なーんの能力もない貴方を雇ってあげているのは、幼馴染だったからということを忘れないで頂戴。嫌なら辞めて結構よ。お母さまのお薬をどう買うのか興味がわくけれどね」
女は不機嫌に鼻を鳴らして踵を返すと、そのまま店の前を通り過ぎて行った。何事かと見ていた複数名の通行人は、闘牛のような女の行進に怖気づいて左右へ道を譲る。
ホースルは暫くそれを見送っていたが、少女の声で我に返った。
「あの、申し訳ありませんでした」
「気にすることはないですよ。別に俺があれを買っていたわけでもないし」
「あの人、この辺りでは有名な富豪の奥様で……。人が何か持っていると欲しくなる性格なんです」
「あぁ、いますねぇ。そういう人。まぁ運が悪かったと思って諦めますよ」
ホースルが立ち去ろうとすると、少女がその進路に割り込むように出て来た。「えっと」と言いながらワンピースやカーディガンの上を手で探る仕草をしていたが、やがて目的の物を見つけると笑みを浮かべてそれを差し出した。
「これ、どうぞ」
「キャンディー?」
「とても美味しいんです。蜂蜜のキャンディーなので、紅茶にも淹れられます」
「ありがとう。帰りながらいただきます」
今度こそホースルは店から離れて歩き出す。白い紙に包まれていた黄色い飴を手に取ると、それを口の中に放り込んだ。微かな、それでいて舌の上を刺すような甘さが広がり、喉の奥へと溶けていく。
「……あれは私のだ」
奥歯に力を入れると、飴は呆気なく砕け散った。
「私の物だ。誰にも渡さない」
誰にも聞こえない声で呟きながら、ホースルは進む。途中ですれ違った男が怪訝な顔をしたのにも気付きはしなかった。
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