6.罠にかかった軍人

「アゼお兄様」

「何だ?」

「幽霊は雨の日に目撃されたことはありますか?」


 濡れたマッチを拾い集めていたアゼは、その手を止めて考え込んだ。しかし、すぐに答えに行きつくと首を左右に振り否定を示す。


「雨の翌日は演習場の整備を全員で行うことになっているから、そういう噂があればすぐ耳に入る。でも一度も聞いたことないな」

「だって、アリトラ」


 リコリーは今度はアリトラに話を振る。一口サイズのパンプキンパイを食べていたアリトラは、それを行儀よく咀嚼して飲み込んでから頷いた。


「お兄様、幽霊は毎回足音を立てるの?」

「……毎回ではないな。少なくとも、噂話では」

「だって、リコリー」


 双子は顔を見合わせて、何やら納得したように笑顔を見せる。しかし従兄三人は、その姿をきょとんとして見ていた。その視線に気が付いたリコリーは、パイを片手に持ったまま口を開く。


「「幽霊」は目的があって現れていると思います」

「どういう意味だ?」


 アゼが問い返すと、今度はアリトラが応じた。双子は交互に話す癖があり、それでいて話の整合性は取れている。特に何か話し合ったわけでもないのに目的が合致するのは、二人の特権とも言えた。


「第四小隊の偉い人は、兵舎で寝泊まりしてるの?」

「第四小隊に限らず、少佐以上は別の場所だ。いや、第五は違うか。でもまぁ、大体一緒だよ」

「きっと今頃、凄く怒ってると思う」

「怒ってるって、何にだ?」

「部下……っていう表現でいいの? 幽霊を見た人全員に」


 唐突な言葉にアゼは何も言葉が見つからなかった。それを埋め合わせるかのように、カルが口を挟む。


「幽霊を見た人っていうと、アゼにもということか?」

「お兄様は大丈夫だと思います。多分、スタークさんが気付いたでしょうから。幽霊の出現理由に」

「どういうことかさっぱりわからんぞ。哀れな年配者達にちゃんと説明してくれ」


 リコリーは大げさに嘆く素振りをするカルを見て、それから何かを伺うようにジルの方に目を向けた。しかし、すぐに視線を外すと三人の中間ほどを見るような態勢に変わる。


「まずおかしいと感じたのは、幽霊の出現場所が特定されていないことです。第四小隊の兵舎でよく見られる、でも正確な場所まではわからない」

「場所とか時間がバラバラ。それにも関わらず、幽霊がすることと言えば、第四小隊の兵舎の上に出てくるだけ。なんか変だなって思ったの」

「それに幽霊の表現として「飛び回る」と「ミシミシと音を立てて歩き回る」の二種類がありました。明らかに登場の仕方が異なります」


 そう言われたアゼは、自分の話に混じっていた矛盾に初めて気が付く。それと同時に、怖がりながらも細部まで聞き取っていたリコリーに感心した。


「でもそれが一体なんなんだ?」

「ミシミシという音がいつも鳴らないのであれば、それは幽霊の足音ではない可能性があります。では何だろう、と思った時に崖のことを思いつきました」

「崖……って、兵舎の近くにある?」


 リコリーが頷き、その続きをアリトラが話し出した。


「西に面していて、しかもそっち側が崖ってことは、夕方から夜にかけてすごく冷え込むんじゃないかと思った。雨が降った翌日なんて、最悪かも。屋根に付いた水が凍り付くのも避けられない」

「あ、そうか!」


 黙って聞いていたカルが両手を打ち鳴らした。


「氷の音だな?」

「だと思う。屋根や窓についた水滴が氷になる音がミシミシって音に聞こえた。夜は音が響くし、近くに崖があれば反響して音の出所はわかりづらくなる」

「……いや、それは変だ」


 右手で制止するようなポーズを取りながらアゼが口を挟んだ。眉間に皺を寄せると、父親であるルノとはあまり似なくなり、祖父のギルに近い雰囲気になる。


「兵舎の中には、氷や雪を解かすための魔法陣がちゃんと用意されている。それが動いていないなんてこと……」


 途中まで言いかけたアゼだったが、唐突に口を閉ざすと右手で頭を抱えた。


「あー、そうか。第四小隊か」

「お兄様が今思った通りです。兵舎には魔法陣が用意されている。兵舎の中にいるなら屋根の水は凍り付かない。つまり、兵舎の中に人がいなかった」


 リコリーは指についたパイの欠片を、空いた皿の上に落とす。それから再び同じ物を手に取った。


「幽霊が出るのは就寝時間を超えてから、と考えられます。不真面目な第四小隊の人たちは、きっと夜遅くまで何処かで遊んでいたり、サボっていたりするんでしょう。でもそういった悪事に染まっていない新人の隊員は、正規の時間に夜番をしているので幽霊を見ていない」

「幽霊を見た人たちは、自分たちが夜遅くまで兵舎に戻っていたことを勘付かれたくないから、自ずと「目撃時間」を話から排除してしまう。それであやふやな噂話になった」

「なるほどね。じゃあ幽霊っていうのは何なんだ?」


 アゼの問いに、リコリーは少し間を挟んでから答えた。


「それこそ、兵舎にいない人を見つけ出す「罠」ではないかと思います。屋根には水分を溶かすための魔法陣が仕込まれている。ということは、少し手を加えれば水蒸気として変換することが可能です」

「水蒸気を人のような形にする……いたずらにしてはちょっと手が込みすぎてると思う。それに軍で使用する魔法陣に直接手を加えられる人なんて限られてるし」

「でも同じ兵舎で寝泊まりをしている人ではない。もしそうなら、夜通し見張りでもしていれば済む話だからです。少し離れた場所にいて、でも第四小隊の「監視」をすべき人……隊長クラスだろうと見当を付けました」


 幽霊を見たという話が出てくれば、それは即ち規則を守っていない者がいる証拠となる。素行が悪く、不真面目な隊員が多いことで知られる第四小隊の隊長は、その隊員を特定しようとした。


「なるほど。隊員の素行不良は自分の失点にも繋がるもんな。かといっていずれも扱いにくい親たちを持った連中だ。少々回りくどい真似で、不真面目な奴を洗い出そうとしたのも納得出来る」


 アゼは全ての謎が解けると、表情を明るくした。そして賢い双子を褒めてやろうと顔を向けたが、リコリーが少し気まずそうな表情を浮かべているのを見ると首を傾げた。


「どうした、リコリー?」

「いや……つまり、その……。幽霊は規則を破らないと見れないわけだから……スタークさんは多分それに気が付いて黙っているようにお兄様達に言ったわけで」


 リコリーの視線が自分に向いていないのに気が付いたアゼは、同時に冷ややかな視線を首筋に感じた。そのままゆっくり振り返ると、ジルとカルが揃って自分を睨んでいた。

 アゼ達が上官に報告しなかったことを窘めた時に、ジルは確かに何か言いかけていた。あれは三人が就寝時間を超えて兵舎の外にいたことに気付いていたが故のことだった。そして、リコリーは話を始める前にジルに伺うような視線を向けていた。


「そうだな。要するにアゼは就寝時間を守らなかったわけだ」

「あぁ情けない。此処は一つ、叔父上にきつく言ってもらわなければならないな」


 漸く事態が飲み込めたアゼは、慌てて立ち上がろうとしたが、カルがその手首をつかんで引き留めた。病弱な軍医とは程遠い力強さがアゼの肘まで伝わる。


「逃げるな。規律を守れなければ死に繋がる。可愛い従弟を思って、病身に鞭打つ私を、お前は振り払おうと言うのか」

「大丈夫です。カル兄様ならどこでも生きていけます。断言します」

「アゼ、私も悲しいぞ。いつからお前はそんな不真面目な男になってしまったんだ」

「いや、あの日は偶然夜番が遅くなって、あとついつい話し込んじゃって……!」


 アゼは双子に縋るような視線を向けたが、この場を唯一助けられそうな二人は、執事によって運ばれてきた林檎のタルトに夢中になってしまっていた。


「酸っぱいのと甘いのがあるよ、リコリー」

「伯母様が買ってきてくださったんだよ、アリトラ。半分こしよう」


 抵抗空しく、アゼは従兄達によって椅子から引きはがされる。父親と、伯父と、運が悪ければ祖父にまで説教をされる末路を想像して溜息を吐く。次に変な物を見たとしても、絶対に従兄弟達には言わないと固く心に決めた。


END

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