5.幽霊についての考察
リコリーが小鳥を圧迫したような声を上げて、アリトラにしがみついた。
「スカート掴まないで」
「だって普通に怖い」
「怖くないでしょ、ただ屋根の上に人らしからぬ物体が動いてただけ」
アリトラは怖がる片割れを引き離すと、慰めのつもりなのか自分のチョコレートタルトを差し出した。
「それでお兄様、その後は?」
「暫くしたら消えちゃってね。報告しようか悩んだが、スタークが明日にしようと言うから大人しく寝たよ。上官の兵舎は離れてるし、特に攻撃などを受けたわけでもなし。すぐに報告することもないかと思ってさ」
「アゼ」
苺のジャムをふんだんに使ったパイを頬張っていたジルが口を開いた。
「あまり感心は出来ないな。お前が仔細と思ったことが本当に仔細かを決めるのは上官だ。それに今の話だとお前たち……」
「兄上、煩いです」
カルがすかさず口を挟んだ。
「折角アゼが話をして、双子が楽しく聞いているというのに」
「僕は楽しくないです……」
「ジル兄上には思いやりと言うものが足らない。軍の規律は人々の平穏を護るため、笑顔を絶やさぬためのもの。規律ありきで話してはならんと思います」
「そういうことは怪我人をちゃんと治療してから言え」
ジルは面白くなさそうに呟くが、弟に強く言い返せないため尻すぼみになる。
「それで、アゼ。お前たちの見た幽霊の話は誰かにしたのか?」
「丁度翌日は俺は非番だったから、第四小隊のところに顔を出したんだ。あいつらいつも誰かしらは「体調不良」だし。その日は……、ほら」
アゼはアリトラの方を向いた。
「ガルド家の三男坊知ってるだろ?」
「……あぁ、あの幽霊部員」
アリトラは数秒考えこんでから声を出した。
「知っているの?」
「え、リコリーも知ってるでしょ。前にロンから万年筆盗ったいじめっ子。剣術部の幽霊部員だったんだけど、親が政府官僚とかで威張ってて」
「そういえばいたね。僕達の一つ上だっけ。……その人が第四小隊に?」
リコリーの言葉にアゼは頷いた。
「そいつが、サボ……体調不良で元気に歩いてたから聞いてみたんだけど、丁度前日に幽霊を見たと言っていた。夜番のために外に出たら、屋根の上を踏み鳴らしている姿を目撃したらしい」
「自分の宿舎ですか?」
「隣の宿舎だと言っていたな。えーっと……」
アゼはテーブルの上を見回すと、ジルの手元にあるマッチ箱に目を止めた。
「ジル兄様、それ貸してください」
「吸うのか」
「違いますよ。俺達は兎に角、双子達に兵舎の説明するのは難しいですから」
受け取った箱の中からマッチを九本出したアゼは、それを三本ずつ平行に三列並べた。
「基本的に宿舎は西向きに平行に並んでいる。左側が俺達のいる第二小隊の兵舎エリア、中央が第四小隊、右側が第三小隊になっている」
「番号順に並ぶわけじゃないの?」
アリトラの疑問にアゼは頷いた。
「隊の役割が違うから、都合の良い場所に配置されてるんだよ。第一小隊や第五小隊は使用面積が多いから別の場所にある。俺達の兵舎が此処だとすると」
左側の二番目のマッチ棒を指さし、その指を斜めに動かして中央の一番目のマッチ棒を示す。
「幽霊が見えたのはこの辺り。ガルドの三男坊は、この二番目にある兵舎だ」
「じゃあお兄様の宿舎と横並びになるの?」
「いや、これはわかりやすく均等に並べただけだ。実際には大きな切り立った崖を囲むように扇状になっているから、距離は離れてる。それに一番後方の兵舎は女性用になっているから、フェンスが設けられてるな」
説明している最中にマッチがテーブルの上を転がって、落ちていた水の中に浸った。ジルは使い物にならなくなったそれを見ても文句は言わなかった。下手に口を挟んで、再び実弟に窘められるのを恐れているのかもしれなかった。
「幽霊が出る場所は日によって変わるらしいが、第四小隊の連中はそれを完全に把握はしていないらしい。まぁ、統率されている部隊ってわけでもないから、当然かもな」
「幽霊見た人は沢山いるんですよね? なのに情報がまとまっていないというわけですか?」
「うーん……そもそも「幽霊が出ました」なんて報告書出すわけにもいかないしな」
苦笑いをするアゼの隣で、赤キャベツのピクルスを食べていたカルが軽く笑い声を立てた。
「それはそうだ。もし私が部下からそんな報告をされたら、本人の頭のほうを疑うな。まぁそういうのは、大抵は何かの見間違いか悪戯だ」
「そうだな、私も同感だ」
年長者二人が同じことを言ったため、年少者二人は揃って目を瞬かせる。
「軍人さんの悪戯ってこと?」
「結構多いんだよ、幽霊騒動起こす奴は。制御機関みたいなエリート揃いじゃないからだろう」
カルは楽しそうに言いながら、炭酸水の入ったグラスを手に取った。最近、健康飲料として人気を集めているものだが、薬品のような味がするため好みが分かれる代物だった。
「シーツに糸をつけて動かしたり、諜報部隊が持ってる変装道具を拝借して幽霊の扮装をしてみたり。不届きな奴は救護用コンテナから包帯を持って行こうとしたな。私がそこで筋トレをしていたから良かったものを、下手をすれば窃盗事件だ」
「何でお前はそんなところでトレーニングをするんだ」
ジルは煙草を咥えつつ、呆れたように呟いた。しかし、それを愚問とばかりにカルは肩を竦めて言い返す。
「心臓発作が起きても、そこならどうにかなるでしょう」
「それを聞いているほうが心臓が止まりそうだ。お願いだから父上に息子の葬式を出させる真似はするな。……多分その「幽霊」は誰かが紙や布で作ったものを魔法で動かしているんだろうな。暇な第四小隊の誰かだろう」
「まっ、同感ですね。国境軍でもいつだったか「壁を歩く幽霊」の話があったでしょう。あれも結局は悪戯だったわけだし」
弟の言葉に、ジルは煙草の煙を吐きながら首を左右に振った。
「あれは悪戯ではない。国境の壁を踏み台にして跳躍の練習をしていた奴がいただけだ」
「え? でも五メートル分はあったと聞きましたが」
「本人の身体能力が異常に高かったからな。その痕跡を見た奴が勝手に勘違いして騒ぎ立てただけだ。本人に聞いたらあっさり認めた。ったく、あのディオ……」
何か言いかけたジルは、慌てて口を閉ざした。カルがそれを怪訝に思い、聞き返そうとした時、リコリーが全く違う疑問を投げた。
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