空想蔵書Ⅲ

『ワナ高原遊牧民虐殺事件』

 事件発生日時:XXX年 第二月十五日未明

 事件発生地:フィン民主国北区国境域。ワナ自治領(通称:ワナ高原)


一.事件概要

 ワナ高原を生活域とするミ・タルク系遊牧民四十二人が殺害され、一人が軽傷を負った。軽傷者一名が国境軍に属し、翌朝の定例に姿を見せなかったことで同軍の偵察係が現地に赴き、発覚した。

 現場は遊牧民のタリ(竹と木で出来た運搬可能な柵)で囲まれた半径百メートルの円形の仮住居であり、カムル(毛皮と竹で出来たテント)が六個設置されていた。

 ルイリオンの姓を持つ遊牧民の一族が住んでおり、事件当日は結婚式が開かれていた。そのため全員、礼服に身を包んでいた。それが彼らの動きを制限したとも言われている。

 被害者は殆どが中央の広場に固まっており、そのいずれもが心臓を剣で刺されて絶命していた。殺傷したのは唯一の生存者である軍人であるが、後述の理由により殺人罪は適用されない。


二.生存者

 スイ・ディオスカ 十九歳

 国境軍第二警邏隊所属。階級は二等兵。

 元無戸籍児であり、年齢も実際には前後二歳異なる可能性がある。識字能力は皆無。但し、映像記憶において優れた能力を持つ。


 被害者の一人、マーナ・ルイリオンと結婚式を上げた「花婿」である。発見時には血まみれの状態で、マーナの遺体を造花や装飾品で飾り付けていた。精神状態は比較的正常で、事件当夜のことを細部まで証言した。

 四十二人全員の殺害を自供した。

 以下は事件発覚時に音声記録魔法を使用して記録した証言を文字に起こしたものである。証言者は文法等に問題がある箇所があるが、知能ならびに精神に特筆すべき問題はない。


「結婚式で、皆夜が深くなるまで飲んでた。族長は大きな赤い塗りの器で酒を飲んでいた。……あー(数秒間沈黙)。草が揺れた。羊が興奮して、割れ爪(蹄のことか?)を掻きならしてた。最初にミレッタ(当時十一歳の女児)の右腕が飛ばされた。黒い風みたいなのが、吹いて(二分間沈黙)。マーナとはビルン(国境軍近くにある市場)で会ったんだ。鹿の毛皮で出来た帽子被って、羊の毛で出来た花をいっぱい持って。……可愛かった。俺、結構悪目立ちするほうだし、マーナは小さかったから、怖がらせないように必死でさ。給料全部使って羊を一頭買ってやったんだ。そしたら家に招いてくれて、族長にも持て成されて。(数秒間沈黙)遊牧民は客のことも「家族」って言うんだってよ。産まれた時から家族なんていなかったし、大人なんて俺を殴るか罵るかだけだったから、嬉しくて。あの日の食事は今も覚えてる。塩を振って焼いただけの羊の肉。山積みの砂糖菓子。一個縁が欠けていて、ラルナ(マーナの弟)がそれを欲しがったんだ。式の時もあげたんだよ。後で食べるって、大事に。でも結局、ラルナは食べられなくて、あいつに」

(精神状態を考慮し、一時中断。二時間後に再開)

「(何故殺したのかという質問に対して)皆、生きてた。両腕両足を綺麗に切り落とされて、死にかけてた。俺がどんなに急いでも、高原から出るまでに皆死ぬことはわかってた。赤ん坊がずっと泣いてて、その母親が「殺してあげて」と叫んでた。そしたら、皆、俺に(苛々とした様子で床を踏む音が続く)殺してくれって。もう遊牧民として生きていけないから。寒さに凍えるぐらいなら、殺してくれって頼まれた」

「(四肢を切り落としたのは誰かという質問に対して)俺じゃない。……名前は知らない。黒い剣を持った十三剣士だ。嘘じゃない。そいつの右頬に俺が付けた傷があるはずだ」


 取り調べに要したのは二日間である。

 十三剣士の一人が遊牧民たちを殺したという証言に対し、刑務部は当初懐疑的であった。だがその間に十三剣士の一人であるディード・パーシアス(当時の階級は中尉)が逐電。同時に刑務部から、同人の捕縛命令が発せられる。

 パーシアスの自宅に残されていた衣服に残された血痕と、ディオスカの証言が一致したため、制御機関と軍は同人を緊急指名手配した。


 四十二人を殺害したのはディオスカであるが、その行動を齎したのは犯人であるパーシアスである。状況からディオスカが被害者を救えた可能性はゼロに等しく、本人の供述からも完全な善意、愛情であったことが伺える。

 ディオスカは取り調べ中に一度錯乱状態に陥ったため、北区の軍事病院に「措置入院」となった。


三.犯人

 ディード・パーシアス 三十五歳

 中央区十三剣士隊所属 階級は中尉。


 西区オルディーレ地方の出身。幼い頃より武術と魔法に高い才能を示し、「オルディーレの神童」と呼ばれていた。

 十七歳で西区治安維持隊に入隊するが、わずか一ヶ月後には十三剣士隊へ移動となる。

 「ウィンカー戦争」「瑠璃の刃制圧作戦」などで活躍。


 パーシアスについて、十三剣士隊の隊員達は二つの特徴を挙げている。一つは「紳士的」、そしてもう一つは「残忍」である。

 対外的には、老若男女問わず、非常に丁寧な態度で接する。一方で心を許した相手には親し気な口をきくことが多い。自分より年の若い十三剣士に対しては面倒見が良い。二歳年下の「疾剣」ことミソギ・クレキは入隊時にアーシア語の読み書きが不得手だったが、パーシアスの手引きにより平均レベルまで上達したという証言がある。


 殺害許可の下りている標的に苦痛を与えるのを好む。第二正教を信仰しており、その中でも「ミンティカント派」と呼ばれる考えに傾倒している。ミンティカント派は宗教書における「天罰」は人間を苦しめるためにあるものと考えており、その苦しみに耐えることで人は正しく導かれると説いている。

 標的の両手両足を切り落としたり、喉にナイフを突き立てたまま拘束したりするなど、その残虐ともとれる手段は同部隊の中でもしばし問題視されてきた。


 ディオスカの証言によれば、パーシアスはディオスカを十三剣士隊に招こうとして、その妨げとなる結婚相手や家族を皆殺しにした。その二日前に十三剣士隊は国境軍に剣の訓練をつけるために訪れており、そこにはディオスカも参加していた。ディオスカの天才的とも言える剣の腕前を見て、一番興奮していたのはパーシアスであったと言う。


 十三剣士隊の隊員は、パーシアスの異常性に気付きながらも、元々が個別戦闘が多く実績主義の部隊であったため、誰も指摘することはなかった。事件発覚後、当時の隊長であるシード・ロウ准将は責任を取り隊を去っている。


 『ワナ高原遊牧民虐殺事件』の直後にパーシアスを捕縛していれば『黒騎士事件』は起こらなかったと言われている。だが刑務部と軍の間で慎重な対策が練られている間に事件は起きてしまった。

 刑務部長官補佐(当時)のC・カンティネスはディオスカの証言を聞いた後、すぐにパーシアスのアリバイを確認し、犯人であると断定していたが、上層部から捜査の正式許可が下りなかった。黒騎士事件では彼の妻が犠牲となっている。


三.事件当日

 スイ・ディオスカが事情聴取に応じたのは前述の一度きりである。軍による「措置入院」により聴取は中断され、以後本人も事件について語ったことはない。ディオスカは文字の読み書きは出来ない代わりに映像記憶能力が特化している。そのため、事件当日のことも全て記憶していると思われるが、パーシアスが犯人と判明した今、ディオスカへの聴取を積極的に行う理由は失われている。

 犯人であるパーシアスは国外逃亡後に中央区新聞社に対して声明文を送り付けており、その内容は自己弁護というよりは自らの行動に疑問を抱くことなく、逆に軍や制御機関を非難したものとなっている。その異常性にも関わらず文体は非常に整ったものであり、新聞社はその声明文を「美しき呪詛」として掲載した(後に市民からの反発により撤回。謝罪文を掲載している)。

 この声明文には犯行当日のことが細かに記されており、当時のことを知ることが出来る数少ない資料となっている。以下がその全文である。なお一部個人名を伏せていることをご了承願いたい。



親愛なる市民とその代弁者たる記者殿


 何から書くべきか、何を書くべきで何を書かぬべきかは私にとっては重要なことである。愛すべき同胞、そして敬愛すべき制御機関の方々に、これ以上の誤解を与えたくはない。

 私はどうやら人に誤解を受けやすいようだ。こちらが良かれと思ってしたことですら、人には通じないことが多々ある。相手の理解力が自分と同等でないことを先に見抜くべきであった。それは確かに私の落ち度である。ここに謹んで謝罪したい。

 しかしながら制御機関のC殿は、私が(というより全ての者が)考える限り、最も優れた魔法使いであり、類稀なる頭脳の持ち主であるにも関わらず、矮小な出来事に気を取られていたようだ。甚だ残念なことである。あの哀れなバドラス・アルクージュが彼の妻子を傷つけたようだが、それと私の行動に深い関係はない。にも拘わらず、彼は私があの男を操ったとして、この両手に縄をかけようとした。

 これが彼がC殿に危害を加えたというなら、まだ話はわかる。フィン国にとってもそれは大きな損失になるからだ。もしそうであれば私は素直に縄を手に巻いただろう。だが彼の妻子が傷つけられたからといって、それが何になるのか? 諸君らにはわからないだろう。私も同じ気持ちである。

 皆さまにお願いする。C殿の愚かさを責めないで欲しい。彼はとても有能な人間だ。多少の瑕疵は認められてしかるべきだろう。C殿、私は貴方のことを哀れとは思えども恨みはしない。なので気にしないで欲しい。


 しかし惜しむらくは同胞たちのことだ。特にMには失望した。奴は私の崇高な考えを汲み取るに至らず、あろうことか罵倒してきたのだ。私は一時期、フィンに慣れない彼の世話をしたことがある。大変素直で、また礼儀正しい少年だと思っていたが、どうやら違ったようだ。

 トライヒ大佐にお願いする。Mによくよく言い含めて貰いたい。自分の主義主張が通らないからと、相手を斬りつける真似はしてはならないと。それは子供がすることである。


 さて、記者殿が知りたいのはあの日のことだろう。この手紙を読み終える頃には、貴方がたの大きな勘違いが瓦解し、私を理解してくれると思う。なので少々冗長になるが、お許し願いたい。


 私がSを見出したのは国境軍への視察の時だった。頑丈さだけが取り柄の有象無象の中で、彼の才能は際立っていた。軍より支給された軍刀を振りぬく様は美しかったが、彼にはもっと相応しいものがあるはずだ。

 私は彼が同胞になることを望んだ。彼の上官の一人であるAに話を持ち掛けたところ、返事は芳しくなかった。どうやらSには結婚を約束した女がいて、近いうちに軍を辞めるとのことだった。


 無能の上官を持つSが哀れだった。あの才能をAはわかっていない。私はSに話をさせてくれるようにAに頼み込んだ。これが失敗だった。Aを通さずに直接Sに話していれば、あのようなことは起こらなかった。私の言葉に耳を貸さぬように、AがSに言ったに違いない。そうでなければ、彼が私の申し出を断るはずがないからだ。

 十三剣士になるという名誉の意味をSもわかっていないようだった。私が何度言っても、同じ台詞で断るだけだった。私は彼の才能が、たかが一人の女によって搾取されて蹂躙されるのを見たくはなかった。彼が十三剣士になれば、数多くの命を救うことが出来るし、その腕をもっと高めることが出来るだろう。

 私は彼の才能を世の多くの人々のため、救済することにした。


 Sは婚礼のために休暇を取得した。私は剣一本を携えて、ワナ高原へと赴いた。雪の降る季節ではなかったが、冷たい風が吹いていたのを覚えている。

 彼らの婚礼は児戯のようだった。皆で花嫁と花婿(おぞましい表現だ!)を祝福していた。羊の肉と焼いた砂糖の匂いを今でも覚えている。Sがその剣の才能を捨てて、ここで獣の匂いと下品な歌に囲まれて生きるのかと思うと、可哀そうで仕方なかった。第二正教に伝わる四枚の宗教画の中で、Sは「ミハンテ」にいるべきだ。天使と光の祝福を受けて、ただ一点の曇りもなくそこにいるべきだ。

 なのにSは自ら「ヴィンク」にあろうとする。泥にまみれて顔に草をつけ、虚ろな目で地を這いまわる、あの絵の惨たらしさ。私は涙を零し、どうしても彼を救うべきだと考えた。


 この世界にはまだまだ恵まれぬものがいる。頭上を飛び交う魔法と銃撃に怯え、明日の食事が泥でなければ良いと願って眠りにつく子供もいる。私たち十三剣士はそのような人間を一人でも救うべきだ。そのためには身勝手な快楽と享楽に身をゆだねてはならない。

 Mにはそれがわからなかったようだ。飢えて怯えて死ぬ子供を放っておけとでもいうのか。理解出来ない。それはあまりに身勝手だ。人は等しく救済されるべきだ。私の理想にSは必要だった。まだ見ぬ不幸な子供達にも。


 私は婚礼の場に踏み入ると、まずは女児の右手を弾き飛ばした。続いて、男児の左足を切り落とした。後は私の目に入るもの全てを斬っていった。

 私は殺人鬼ではない。それに子供や老人が死ぬのを望んでなどいない。

 Sは遊牧民の女と一緒になると言った。だったら彼らが二度とそんなことをしないようにすれば良い。私は神に誓って善良である。此処に声を大にして言おう。私は誰一人殺してなどいない。

 Sは花嫁を殺したと言う。手足が無くなったぐらいで殺してしまうとは、所詮その程度の愛情だったのだろう。本気になれば、愛があれば、そんなことは起こりえないのだから。

 だからSは私に感謝すべきだ。仮初の愛から救ってあげたのだから。


 婚礼の場には揚げた砂糖の塊があった。この一欠けらすら舐めれぬ子どももいる。また花嫁の母親は金銀の刺繍を施した美しい服を着ていた。その端切れすら飾れない女もいる。ある老人は婚礼の祝いにと羊を一頭捌こうとしていた。その羊を太らすことすら出来ない貧しい者もいる。

 彼らはそんなことには目もくれずに、自分たちだけ楽しく生きていたのだ。そこには薄汚れた人間の欲望しかなかった。


 S以外の人間を排除した後に、改めて十三剣士になるように説いた。もう婚礼どころではないし、彼らは遊牧民として生きる術を失った。だから此処にいる意味などない。そう言ったにも関わらず、Sは私の崇高な理想を全否定し、軍刀で切りかかってきた。

 今一度繰り返す。私に唯一の過ちがあったとすれば、世の中の人間が自分と同じ水準の知能を持っていると信じていたことだろう。MにせよSにせよ、自分本位な考えしか出来ない哀れな人間だった。それを見抜けなかったことは私の過ちである。


 私のことを極悪人のように扱った軍や制御機関の面々については、言葉足らずで誤解させたことを申し訳なく思う。ただもう一度、冷静になって考えてほしい。そうすれば私が善良であったことを理解してもらえるだろう。

 人は過ちを犯す生き物だ。それを恥じる必要はない。今は自分の間違いと幼稚さを直視できなくとも良いだろう。神の御名のもと、私は貴方がたを許す。


ディード・パーシアス



 この手紙に対して、専門家は「この世で最も醜い自己弁護」だと断じた。それにも関わらず、パーシアスを擁護する者がいたのは、その行為が常軌を逸して残忍だったからだと考えられる。倫理も何もないその行動に対して、自分自身の内なる怒りの代弁者のように感じてしまった者が多かったとする分析もある。


四.十三剣士隊の証言

 一連の事件に際して、まず関与が疑われたのはパーシアスが籍を置いていた十三剣士隊である。だが、前項の手紙からもわかる通り、少なくともMことミソギ・クレキは彼の異常な行動に怒りを見せていた。

 以下はパーシアスが逃走した後に行われたクレキの証言である。


「(テーブルを指で叩く音?)冗談じゃないよ。確かに黒剣には西アーシア語を教えてもらったりしたけどさ、だからってあいつと同じようにイカれてるなんて思われたら堪らないね。俺達は軍人だし、人斬り包丁(不明。ヤツハ式の表現か?)振り回してる性質の悪い連中だ。それは否定しない。でも自分の利益のために振る奴は要らないんだよ」

「(隊長の免職について)……まぁ仕方ないんじゃないの。いくら俺達が単独行動が多いとは言ってもさ、誰も責任を取らないわけにはいかないし。ロウ隊長はオルディーレの出身で、あいつと流派も一緒だからね。色々あるんでしょ。黒剣は外面だけは良かったし、表面上の付き合いをしている分には、紳士的な奴だったよ。でもあいつは基本的にさ、周りを自分の理想通りに動かしたいって言う欲があるんだよね。小さい頃から神童って持て囃されていたらしいし、思い通りにならないことがあっても、認めたくないんだろうね。……俺?(数秒の沈黙)俺は違うよ。少なくとも思い通りになったことなんて生まれてから故郷を出るまで無かったから」

「(遊牧民の両手両足を切り取ったこと)それがお気に入りの方法なんだよ。ハリで瑠璃の刃を壊滅させた時も、同じようにしていたからね。それでいて殺す気はないんだよ、あいつ。「悪いことをするのは手と足だから、切り取ってしまえば良い」っていう考え方なわけ。あいつの宗教観聞いてごらんよ。翌日、夢見が最悪だからさ」

「(ディオスカについて)……可哀そうなことをしたと思っている。俺達は黒剣の異常性に気付いてたけど、止めるまでに至らなかった。悪い意味で慣れてしまっていたんだろう。彼がもし俺達を憎んだとしても、それは仕方がないことだ。こういうのを(ヤツハ語らしき言葉を喋っているが、聞き取れず)って言うんだよ」


 これ以降、クレキは公式に事件について言及していない。他の剣士達については証言すらない。恐らく軍の上層部が彼らの発言を制限したためと思われる。

 唯一、公式ではないが免職されたシード・ロウ准将が、かつての上官に宛てた手紙がある。手紙には事件に関係のない記載もあるため、それを排除して掲載する。



 (前略)……思えば、瑠璃の刃制圧作戦の時に気付くべきであったと思います。あの作戦自体が例外と秘匿を綯い交ぜにしてタールで固めたかのような状態でありましたので、そこで彼の異常性を見ても、何も感じなかったのです。

 あの作戦の時、彼は一人の幹部の両手足を切断して笑っていました。死ねずに苦しむ、凶悪ながらも純粋な男の無様な姿を楽しんでいたのです。俺はそれを咎めるべきだったと思います。しかし、瑠璃の刃の抱えた混沌とした闇の中において、奴の所業は正しいかのように見えた。瑠璃の刃の一人の幹部はこう言いました。「人間共は変わったことをする」「短い命を穢すのにご執心だ」と。まさしくその通りでしょう。

 俺は奴に対する責任を取るべきです。貴方の部下で会った頃に比べて、俺の感性やら善悪やらは、すっかり血に染まってしまいました。また同じような者が入ってきても、俺はそれを止められない。だからせめて剣を捨てます。くだらない自己陶酔でしかありませんが、もうこれしかないのです。



 ロウの決意に反して、彼が隊長職を辞したことは市民の間ではあまり問題にならなかった。それよりも次の隊長となったランバルト・トライヒへの抑圧のほうが大きかったと言える。

 十三剣士隊にとって、この事件は大きな汚点であった。だがそれでも軍は隊の解散を命じることはなかった。有志の軍人によってのみ構成されるフィン国軍は、彼らの力に畏怖しながらも手放す選択肢はなかったのであろう。



五.シスター

 パーシアスには剣士、殺戮者の他に違法薬物の元締めとしての顔もある。

 社会的地位に恵まれ、才能もあった彼が何故薬物に手を出したかは不明である。「自分の力を試したかった」とする見方もあるが、必ずしもそれだけではないだろう。

 軍の落伍者、あるいは精神的に追い詰められた者を獲物とし、パーシアスは薬物「シスター」を売りさばいた。彼らの出す金はその給料から考えても大金とは言えない。そもそもパーシアスの場合、金銭が目的でなかったようにも見える。もしかすると、落伍者達を「救済」するための行動だったのかもしれない。


 彼によって薬物でコントロールされていた軍人に、黒騎士事件の犯人であるバドラス・アルクージュがいる。彼はパーシアスのことを敬愛しており、「黒騎士様」と呼んでいた。アルクージュは賭博、それに伴う素行不良により所属していた隊から疎んじられていた。パーシアスはそんなアルクージュに目をつけ、自分の思い通りになるように洗脳していたと考えられる。

 手段や目的は別として、パーシアスは自分の理想のために他者を動かす術に長けていた。もしその目的が自己の欲求を満たすものでなく、他者の成功を祈るものであったなら、彼は皆から尊敬され、敬われる存在になっていたと考えられている。

 いずれにせよ、そのような機会は彼にはなかったし、あったとしても従うつもりはなかったであろう。もし彼の心に一欠けらでも自分本位でない感情があったならば、ワナ高原の惨事は起きなかった。しかし何もかも過ぎたことである。


 シスターは黒騎士事件の後に、取り締まりが強化された。国内には蜘蛛の巣のように張り巡らされた流通経路があったが、事件から半年後にはC・カンティネス刑務官によって九割が潰された。元締めであるパーシアスも、古巣に近づくつもりはないらしく、それ以後にフィンにシスターが流通したという公式記録はない。

 だが、完全に遮断出来たかと言うと、その答えは否である。

 貧民街や国境など、フィン国政府の直下にない場所においては、未だに違法薬物や武器などが流通しており、それを取り締まる術がないのが現状である。



サドラナイト青社 『真実の扉 vol.44 特別企画 オルディーレの死神』

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