8.思い出話

「ありましたねぇ、そんなことも」


 甘いココアを飲みながら、リム・ライラックはそう言った。

 『マニ・エルカラム』は昼の繁忙を終えて、ゆっくりとした時間が流れている。従業員のアリトラは、商店街に買い出しに行っている最中だった。


「懐かしいですね。まだ俺が子供の頃ですよ」

「子供ったって、あの時列車を止める手筈をしたのは、お前さんだろう?」

「まぁうちに出入りする中には刑務部の方もいましたからね。造作もないことです」


 当時はまだ八歳程度だったリムが執事の犯行に気が付いたのは、妖精の涙が氷に見えるという非常に子供らしい発想からだった。だが、そのあと当人を捕縛するまでの手管は、小さな子供の出来るようなものではなかった。


「軍じゃなくて制御機関に来ても十分にやれたぜ、当主様」

「俺は一番が好きなんですよ。制御機関には天才がいて、俺はどうやっても一番にはなれないってわかってましたからね」


 リムは美しい顔に相応しい笑みを浮かべて言ったが、カルナシオンはそれを冗談の類だと解釈する。稀代の天才と呼ばれた男は、幼馴染の好敵手からの称賛以外は興味がなかった。


「あの執事はどういうわけで、妖精の涙なんか持ち出したんだ?」

「あれ? 聞いていないのですか?」

「当時のライラック家は、簡単な事件ぐらいすぐに揉み消せたからな。ホースルの所にも口止めが来たらしい。まぁあいつはあぁいう性格だから、口止め料をたっぷり取ったようだがな」

「あの人らしいですね。抜け目がない」


 リムは含み笑いをした後、カウンターの上のメニューを手に取った。


「新しいメニュー増えましたか?」

「クロワッサンサンド。女性向けのメニューも作ろうってアリトラが煩いんだよ。食うか?」

「中身は?」

「スクランブルとベーコンだな」

「ベーコンエッグに出来ませんか?」

「別にいいけど、食いにくいんじゃないか?」


 カルナシオンは調理に取り掛かる。

 といってもフライパンに火を通して、そのうえにベーコンと卵を乗せるだけだったが、簡単なものほど形を整えるのが難しい。卵の黄身がなるべく中央になるように、そして白身が薄くならないように中心に寄せて、一気に焼き上げる。


「で、犯人の動機は」

「大したことではありませんよ。「怪盗Ⅴ」の真似がしたかったそうです」

「何だって?」

「元々彼は、執事として高い能力を所有していました。それと比べて、俺の父は無能でした。『執事とは時として主より優れた技能を持つ者である』というわけです」


 リムの父親は無茶な投資と豪遊で、先祖代々引き継がれてきた財産の殆どを失った。名門ライラック家の名を地に落とした挙句に、その負債の処理すらせずに自殺したことを、リムは心底軽蔑している。

 その豪遊はリムが子供の頃から続いていた。執事はそれを何度も窘めては、無能な雇い主の尻ぬぐいをしていた。普通ならば愛想を尽かして辞めるところだが、執事は自尊心が高いうえに若かった。雇い主に向ける憎しみが、妙な方向に捻じれてしまった。


「辞めるなら一泡吹かせてやろう。そう思ったそうですよ。あの父の元でそう考えるのは無理もない。何しろ銃を買ってくれと頼んだら、金で出来たお飾りを買ってくれた人ですからね」

「要するに執事は自分が非常に優秀な気になっていたわけだ」

「事実有能でしたよ。だからこそ、自分は何でもできる。そんな気になっていたのでしょう。彼はその気になればいくらでも我が家の宝石類を頂戴出来る立場にありました。それを敢えて危険な真似をして盗み出したのは、顕示欲に他ならない。「怪盗Ⅴ」のように自らも上手く盗み出して見せる。そんな考えだったようです」


 はぁ、とカルナシオンは気が抜けた声を出す。


「そりゃなんともまぁ……。あの先代にして、その執事ありって感じだな」

「俺もそう思います。まぁ執事というのは雇い主に似ると言いますからね」

「金持ちの家に関わるもんじゃねぇな。俺は革職人の息子でよかったよ。うちで一番価値があるのは、親父の仕事道具だったからな。よし、出来た」


 フライパンの上のベーコンエッグを、予め切れ込みを入れていたクロワッサンへ挟む。三日月形のパンからはみ出した目玉焼きが、どこか贅沢なものに見えた。


「あ、チーズ入れても旨いかもしれないな。入れるか?」

「そうですね。お願いします」


 出来上がったクロワッサンサンドが皿に載せられて、リムの前に置かれた。


「確かにこの大きさは女性向けですね。妹などは喜びそうです」

「あぁ、この前見かけたけど綺麗になったな、妹さん」

「身内の欲目ではありますが、俺もそう思います」


 皿を引き寄せてクロワッサンを手にしたリムだったが、続くカルナシオンの言葉に硬直した。


「横にいたラミオン軍曹も鼻の下伸ばしてたもんなぁ」

「……は?」


 口に出した当人も、咄嗟にその発言のまずさに気付いたが、時すでに遅かった。リムは殺気を漲らせ、眉間に皺を寄せる。


「あの馬鹿が、また妹に近づいているのですか」

「いや、なんだ。偶然じゃないか?」

「今度近づいたら殺すと警告したのに、懲りない男だ」


 リムは椅子を立ち上がると、代金をカウンターの上に置いた。


「ご馳走様でした。これは歩きながら頂きます」

「……えーっと、念のため聞くけどどちらに?」

「あの顔だけ低能男を殺しに行くだけです。お気になさらず」


 それだけ告げて、リムは颯爽と店を出ていく。その姿すらも非常に様になっていた。


「……どこかで血の雨が降るな」


 自分のせいでもあるのだが、カルナシオンはそれを積極的に止める立場にはない。シガレットケースから煙草を取り出して口に咥え、マッチで火を点けて煙を思い切り吸い込んだ。

 最近、カレードがリムの妹と出かけていることは知っている。というよりあれは寧ろ、カレードのほうが付きまとわれているに近い。それでいて拒絶しないのだから、満更でもないのだろう。華やかで明るい美人に慕われて、悪い気がする男はいない。

 リムには悪いが、上手くいけば良い。そんなことを考えながら、カルナシオンはカウンターの上に置き去りにされた、代金丁度の小銭を掴んだ。


END

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