7.犯人の正体
グラスを傾けて氷を取り出したカルナシオンは、それを口の中に入れて噛み砕いた。一瞬だけ、向かいに座っていたシノが咎めるような視線を向けたが、当の本人は涼しい表情をしていた。
「妖精の涙は皆の前に持ってこられた時点で、氷にすり替えられていた。乾杯のタイミングで氷が溶けて、消失したように見えたんだよ」
「じゃあ皆が見ていたのは偽物だったの? でも、魔力で色が変わるのを皆見てるんだよ」
「お前、妖精の涙って見たことあるか?」
何度目かの質問の切り替えだった。ホースルは小さく首を振る。
「話には聞いてるけど、目にしたことはない」
「じゃあどうやって光るか知ってるか」
「……魔力に反応して」
「キラキラ光るのか。ピカピカ光るのか。それともぼんやり光るのか?」
「そんなの知らないよ」
正直に答えたホースルに、カルナシオンは笑みを返した。どこか子供っぽい、悪戯を思いついたような表情だった。
「そうだろうさ。何しろ高級品だからな。「妖精の涙」が光っていれば、皆その真偽なんか二の次で「綺麗綺麗」って言うだろうよ。例えそれが光魔法か何かで仕掛けたものだとしても」
「知っている人がいたら?」
「ライラック家のパーティーは「新しく手に入れた「貴重な品」を見せびらかすのが目的」だから、その品を持っていそうな奴なんて呼ばないと思うぞ」
「あ、そうか。でもすり替えた妖精の涙はどうしたの? 身体検査を受けたけど何も出てこなかったんだよね?」
「身体検査を受けたのが、その「香水商」ならな」
向かいに座る双子がパスタを食べきったのを見て、ホースルはシノに自分のナプキンを手渡す。双子はどちらも口の周りをソースで染め上げてしまっていた。
「あのね、シノさん。リコリーは兎に角としてアリトラはわざとだよ」
「わざと?」
「シノさんに拭いて欲しいんだと思う」
「あら、何それ。凄く可愛いじゃない」
嬉しそうなシノの様子を見て、カルナシオンが肩を竦めた。
「研修中、つまらなそうにしてたからな。よほど会いたかったんだろ」
「カルナシオンはそういうことなかったの?」
「……で、話戻すけどな」
照れ隠しなのか、カルナシオンはホースルの問いを無視して話を窃盗事件に引き戻す。
「そいつ香水付けてなかっただろ」
男は珈琲を飲んでいて、その匂いをホースルは嗅ぎ取っていた。つまりそれに香水の匂いは混じっていなかったことになる。
「身体検査をした執事のことを「香水臭い」と言っていたぐらいだ。昨夜もつけていなかったんだろうな」
「それがどうしたの?」
「ご当主はパーティにセールスマンや商売人を集めて、目についたものがあれば購入する形式を取っていた。帽子屋と骨董屋はそれぞれ自分の店の商品を身に着けてた。爺さんが言った通り「見せ金」としてな。ところが香水商は自分の商品を使わなかった。何を売っているかわからない奴にご当主やほかの招待客が声を掛けると思うか?」
「……えーっと、じゃああの人はどうして香水を付けなかったわけ?」
「香水商じゃないからだ」
木製のワゴンを押した給仕係が、テーブルの横で立ち止まる。丁寧にお辞儀をしてから、空になった皿を下げ始めた。
「香水商じゃない? じゃあ誰なの?」
「今までの話を統合的に考えたらわかるだろ。妖精の涙は客の前に出る前にすり替えられた。客が見る前に展示ケースを弄れる人間だ。そして香水商の男は自分では付けていないくせに、執事のことを「香水臭い」と言った。「料理も酒も台無しだ」とさ。ただの招待客が、何でそんなことを気にするんだ?」
カルナシオンはシガレットケースを取り出したが、中身が入っていないのに気が付くと舌打ちをした。
給仕がそれに気づいて一瞥したものの、すぐに視線を反らして去っていく。テーブルの上にあった皿のいくつかは下げられ、双子のために真新しいナプキンが二つ置かれていた。
「ホースル、煙草持ってないか」
「俺は吸わないからね。それに此処は禁煙だよ」
「あぁ、そうだったな。仕方ない、向こうに着いたら一箱奢れ」
空のシガレットケースを戻したカルナシオンは、「さて」とまるで教官のような口ぶりになる。
「人間ってのはな、人の顔を一発で全て覚えられない。自分の子供以外の赤ん坊は全部同じ顔に見えたりする」
「何、急に?」
「いいから聞け。もし相手が顔よりも目立ち、そしてわかりやすい特徴を持っていたらどうする? まずそっちを覚えて、顔なんて碌に見ないんじゃないか?」
「わかりやすい、特徴?」
「帽子をかぶったおばさんに、宝石をじゃらじゃらつけた爺さん。お前、そいつらの顔、ちゃんと記憶してるか?」
ホースルはそう言われて黙り込む。なんとなく覚えてはいるが、装飾品の印象に掻き消されてしまって、判然としない。
「あの二人だって同じはずだ。いや、突然身に覚えのない窃盗事件の容疑者にされたから、もっと酷かったかもしれない。昨日、屋敷にいた執事が香水商の格好をして、同じ車両に乗り込んできたのも気付かない程に」
「……執事?」
「ライラック家の執事だよ。執事服着て動き回ってりゃ、誰もが「あれは執事だ」と思って、それ以上の注意は払わない。その服さえ脱ぎ捨てれば、誰にでもなれるってわけだ」
「いつ入れ替わったの?」
「あの三人は屋敷に泊まったらしいから、寝付け酒に睡眠薬でも入れていたんだろう。荷物を奪って屋敷を出て、どこかで着替えてから列車に乗り込んだ……ってところか」
「そんなに上手く行くかな?」
「お前、さっき来た給仕とリコリーにナプキンを持ってきた給仕、同じだったか覚えてるか?」
半信半疑のホースルにカルナシオンは質問を投げる。
何度か給仕はこのテーブルに来た。それは間違いない。だが、その顔や年齢などは一切記憶に残っていなかった。「給仕が来た」という記憶があるだけである。
「……う」
「ほらな? 骨董屋の爺さんは観察眼は鋭いかもしれないが、窃盗を疑われている最中に、身体検査をする執事をジロジロ見るなんて真似はしないだろう。怪しいことこの上ない。それに執事のことを「高慢」だと怒っていたから、頭に血が上った状態だったかもしれない」
「でも香水商の男の人は、執事のことを「緑色の髪をした」って、お爺さんに言っていた。そんな大胆な嘘をついて、バレたらどうするの?」
「それはカマかけだ。爺さんが碌に執事のことを覚えていなければ、適当に同意してくれるだろう。もしちゃんと覚えていて否定されたとしても、別の使用人だったとかなんとか言えば回避出来る」
カルナシオンはグラスを手に取って唇を軽く湿らせた。中に入っていたシャンパンはもう殆ど気泡が抜けてしまっているが、気にも留めていない。元々下町育ちの男は、酒など量と度数があればいいと固く信じていた。
「執事だからこそ、そいつは本物の香水商が漂わせていた匂いを「食事と酒が台無しになる」と怒っていたし、ライラック家の歴史も諳んじることが出来た。でも俺の推理じゃ、本物の香水商はライラック家に来るのは初めてだったはずだ」
「何でそんなのがわかるの?」
「トランクの中身だよ。高級品から安物まで満遍なく揃えてあったんだろ? もし何度も招かれているなら、パーティの客層や、ご当主の好みを把握して、商品を絞ってくる。それこそ下品に香水をキツく匂わせたりしないってわけだ」
「……あ、そうか」
「しっかりしろよ。こっちはお前の分野だろ」
ホースルは肩を竦めた。商人なのは確かだが、物事を推理するのは自分の仕事ではない。
「犯人の執事は妖精の涙を持って、香水商の振りをして列車に乗り込んだ。元々列車の手配をしたのは執事だろうから、切符だって屋敷から平然と持ち出すだけでいい。だが手配したのは三つなのに、四つ目の客室に誰か入っていた。執事はどうにかして、中にいるのが「パーティ客か否か」を確認したかった」
「それで魔法を使って、俺達がいた客室を覗き込んだ」
「お前の髪は目立つから、パーティの招待客じゃないことがわかって執事も一安心。でも今度は列車が止まってしまった。他の二人が廊下に出てしまって、そいつも出ざるを得なかった。中に籠っているのも不自然だからな。でも怪しく見えないように振舞いすぎて、そいつは変なことをポロッと口にしちまったわけだ」
「変なことってリコリーのこと?」
「違う違う。そいつは窃盗事件のことを「明日の新聞には載る」って言ってた。でも事件が起きたのは昨日だ。なんで「今日の新聞」じゃないんだ? 答えは簡単だ。事件のことが外部に漏れないようにした張本人だからだよ」
「なるほどねぇ……。行きの列車に乗ってたのが俺じゃなくてカルナシオンだったら、その執事捕まってたかもしれないね」
運がいい、とホースルが呟くと、カルナシオンが愉快そうに笑った。
「いいや? そいつはとっくに捕まってるはずだぜ」
「何でわかるの?」
「爺さんが言ってただろ。前にも幻獣で列車が止まったことがあって、その時は「到着した駅でテロリストが捕まっていた」って。実はな、長距離列車を使う犯罪者は多いんだよ。その足止めとして「幻獣」が使われるんだ。どこの国でも幻獣に危害を加えることは禁止されてるから、長時間止まっても不自然じゃないしな」
「じゃあとっくにバレていたってこと?」
「だろうな。本物の香水商が見つかったか、あるいは現場の状況から、犯人が執事だと推理した奴がいたか……。まぁ犯罪者が捕まるのに越したことはねぇよ」
そこにデザートのシャーベットが運ばれてくる。双子が輝いた目でそれを見ているのに気が付いたホースルは、二人の顔を覗き込むようにして、いつものように言った。
「お行儀よくしてたら、俺のもあげるからね」
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