6.客室を覗くには
「そういえば骨董屋のおじいさん、アリトラのマフラーの色を知ってた。どこで見たんだろう?」
「そりゃ直接見たんだよ」
「でも、あの骨董屋の人とは……」
「お前が個室から出た時から、爺さんは注視してたんだ。そうじゃなきゃ、ワゴンを挟んで真向かいにいる人間が、お前の靴のことまで観察できるもんか。骨董商ってのは目利きが多いし、お前は髪の色のせいでよく目立つ。だから商売柄、お前のことをよく観察していたんだろう。客室の扉が閉まる前に、寝ているアリトラも見えたはずだ」
「そんなに都合よく見えるかな?」
「マフラーのことを爺さんは「用意している」と言った。ちょっと妙な表現だ。普通は「巻いている」とか「身に付けている」とかだろう。用意っていうのは、あらかじめ準備をしている時にしか用いない。まさかお前、双子をコートにマフラーをつけたまま寝させたわけじゃないだろ?」
ホースルは驚きながら頷いた。双子が眠くなってぐずったので、向かいの座席をベッドにした。その時にコートとマフラーを外して、毛布代わりに体にかけた。だから老人がホースルを見た時に客室の中も見えたとすれば、コートもマフラーも目に入る。
「だからその人の言っていることは一貫しているし、リコリーが見えなかったとしても不思議じゃない。おかしいのは香水商の男だ」
「何か変なこと言ってたかな?」
「その男は、お前に香水を薦めて、断られたら「お子さんが大きくなったら」と言った。男性用の香水を扱っているんだから、この場合に指すのはアリトラじゃなくてリコリーだ。じゃあどこでリコリーを見たんだと思う?」
「えーっと」
考えこむホースルだったが、窓際で大人しくしていたリコリーを見ることが出来たのは、添乗員しかいない。だが女性と男性の違いぐらいは流石に記憶している。
「双子にイデルカ・パドルを食べさせようとして女性添乗員を呼び止めたけど、彼女が香水商とグルだったとか?」
「お前がそのワゴンを呼び止めるかどうかわからないのに?」
「覗き窓から見たとか」
「添乗員が客室の中をジロジロ見てたらクレームもんだぞ」
「そこはチラッと」
「リコリーは窓際に座っていて、手前にはお前がいた。お前は体が大きいから子供の体ぐらいすぐに隠せる。パッと見じゃリコリーが男かどうか認識することは難しいだろうな」
ホースルの身長は百八十の後半であり、高身長が多いフィン国の中でも長身の部類に入る。それに対して双子は三歳という年齢も去ることながら、一つの母体に二人で入っていたためか成長が緩やかで、同年代と比べても小さい。
「じゃあどうやって見たの?」
「窓際にいるリコリーを見て、男だと認識するには、窓の外から見るのが一番だろうな」
「窓の外って……まさか貼りついていたとでも言うつもり? 都市伝説のバンデービーゴンじゃあるまいし」
「どこの都市伝説だよ。列車だと考えるからややこしいんだ。これが喫茶店の縦並びの席だったらわかるか? 窓に沿って四つ席が並んでいて、端の席に誰が座っているか知りたい時、お前ならどうする?」
「それって、立ち上がったりしないで……って意味だよね?」
「あぁ。しかも成るべく相手に気付かれないように」
ホースルは頭の中で、カルナシオンが言う条件に見合う喫茶店を想像する。
「窓ガラスに映った影で判断するかな」
「そう。それが一番いい方法だな」
「でも、個室はちゃんと仕切りで区切られてたよ。窓ガラスだって喫茶店みたいに一続きになってるわけじゃない。それでどうやって見るの?」
「寒くなかったか?」
小さなパンを皿から摘まみ上げ、カルナシオンは問いかける。
「客室」
「え?」
「特別車両ってのは、上着なんか着こまなくても大丈夫なように暖房設備が充実してるんだ。現にお前が呼び止めた販売員はスカートにストッキングだっただろう? なのに、双子はコートとマフラーを身に着けていた」
パンにバターを塗りたくり、それを口に放り込む。カルナシオンは何を食べるにも動作が豪快だった。
「それにアリトラのマフラーは二度巻きなおされた。一度目に駅で巻いたのは、便所に行ったときだろう。じゃあ二度目は? 途中で急に寒くなってマフラーとコートをもう一度着せたんじゃないか?」
「……うん、突然室温が下がって。でもそういうものかと」
「そのグレードの個室でそんなことあるか。大体、他の三人だって黙っちゃいない。お前のいるところだけ室温が下がったんだよ」
先ほどからホースルは、相手が放つ言葉に対して、間抜けな相槌を打つか首を傾げるかしか出来ていなかった。あたかも当然といったように話すカルナシオンを見ていると、自分が相当な愚か者にすら思えてくる。
「寒くなった場所を当ててやる。トンネルだろ」
「……カルナシオンって人の心読めたりするの?」
「なんだその地獄みたいな能力。ちげぇよ。リコリーを見るにはそのタイミングしかないんだよ」
いいか? とカルナシオンはホースルに言い聞かせるように短く言葉を区切りながら説明を始める。
「さっきも言ったが、可視領域にないものを見るのに有効なのは鏡だ。お前は喫茶店の例えで窓ガラスを利用することを思いついたが、あれも鏡の代わりになる。光を反射するからな。要するにそういったものを車両の外に用意出来れば、窓際のリコリーの姿を確認出来るってわけだ」
「トンネルの中にそれがあったの?」
「用意したのさ。即席の鏡を。トンネルの壁に水をぶちまけることによってな」
「……水を凍らせて鏡にしたってこと?」
「そういうこと。窓の外で凍結魔法が使われたために室温が下がった。ここは雪国だ。トンネルの中が多少凍っていても、特に気に留める奴はいない。俺の推理じゃ、香水商は凍結魔法がかなり得意だ」
「何でそう言えるの? 俺、魔法使いじゃないからよく知らないけど、凍結魔法ってそんなに難しくはないんでしょ? 得意不得意なんて区別できるの?」
「そいつは妖精の涙を盗むために凍結魔法を使ったはずだからな」
カルナシオンは周囲を見回して、他人の視線がないのを確認してから、水の入ったグラスを手に取った。
「見てろよ」
グラスの中の水が微振動を始めたと思うと、回転しながら球体に変化して凍り付く。更に何かの魔法が詠唱されると、氷の角が次々と削り取られて、ガラスで出来たイミテーションジュエリーのようになった。
「シノよりは下手だけど、まぁまぁだろ?」
「……ねぇカルナシオン。俺の話聞いてた? 妖精の涙は盗まれちゃったんだよ。氷と入れ替えられてたわけじゃなくて」
「氷と入れ替えられてたんだよ。ずっと前にな」
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