5.見えぬもの、見てないもの

 カルナシオンはフォークを皿の上に軽く突き立てたまま、聞き取れない程度の声で何かを呟く。ホースルは耳をすましてみたが、何を言っているのかさっぱりわからなかった。西アーシア語を覚えたのはここ数年ぐらいの話で、普通に顔を見合わせて喋っている分には問題ないが、早口やスラングはまだ理解出来なかった。

 早々に聞き取るのを諦め、食事を再開する。双子はシノに甘えることに夢中で、こちらのことは気にしていないようだった。


「あのね、リコリーがご本読むんだけどね、とってもゆっくりなの」

「違うよ。アリトラがね、読んでっていうのに、すぐに「おしろってなに?」とか「ばしゃってなに?」って聞いてくるから進まないの」

「あら、リコリーったらそんな難しい言葉知ってるの。天才かしら」


 そんな平和な光景を見続けること数分。ホースルの穏やかな時間はカルナシオンの声に遮られた。


「あ、わかった」

「何が?」

「妖精の涙を盗んだ犯人だよ」


 突然の言葉にホースルは思わずきょとんとする。


「え?」

「どうも言動が変だと思ったけど、犯人だからって考えれば辻褄が合うな」

「俺、全然わからないんだけど、どういうこと?」


 ホースルはあまり頭の回転が良い方でもなければ、賢くもない。まして、教本を一度読めば全部頭に入るような天才の思考回路は理解できなかった。


「教えてほしいか?」

「教えてほしい。というかそこまで言って答え教えてくれないとか酷いよ」

「そう腐るなって。教える代わりにさ、今度ロンを預かってくれよ」

「別にそれぐらいいいけど、デート?」

「リーシャが王城公園の古本市に行きたいっていうからさ。ほら、赤ん坊連れて古本市はちょっとまずいだろ? そういうの嫌がる奴もいるし」

「そうだね。カルナシオンは本とか読まないの?」


 そう聞かれるとカルナシオンは首を傾げた。


「読まねぇな。そもそも読書とか勉強とか好きじゃないし。お前だって読まないだろ」

「だって俺、話すのは兎に角として読むの苦手だからね。知ってるでしょ?」

「あぁそうか。そういやそうだったな」

「で、本題。妖精の涙を盗んだのは誰なわけ?」

「誰かすぐに言っても、どうせお前は納得しないさ。順序だてて話してやるよ。……シノ、リコリーの右手がすごいことになってるぞ」


 シノはアリトラを挟んで右側にいるリコリーを見ると「あら」と声を上げた。


「どうしてお行儀よくパスタ食べてるのに右手が汚れちゃうのかしら」

「あー、リコリー。腕をつけちゃだめだ。万歳しろ。バンザーイ」


 素直にリコリーが両手を上げる。なぜかトマトソースに塗れた手が高々と掲げられた。食堂車の中を歩いていた給仕が、それに気付いて紙ナプキンを持ってくる。

 その様子を眺めながらカルナシオンは話を元に戻した。


「視点ってのは自在に変えることは出来ない。目視範囲内にない場所を見たいなら、魔法や道具を使う必要がある」

「何、難しい話?」

「難しくない。例えば、交差点に設置されている鏡なんかは良い例だ。大昔に、馬車同士の接触が多かったから設置されたものらしい。あれは角を曲がった先の景色を見るために取り付けられている」

「あぁ、あれね。子供達が学院に行く道には絶対にあるよね」

「そういうものを使わない限り、目視出来ない位置にいる物質を的確にとらえるのは難しい。お前の話では、妙なことを言っている奴が一人いる」


 ホースルはきょとんとした表情になったが、カルナシオンはそのまま続ける。


「客室は横並び。別の個室にいる人間を見るには、その部屋の前を通りかかり、かつ中を覗き見る必要がある」

「まぁそうだね」

「覗き窓から中を見るのは簡単だ。だが、傍から見たら不審者丸出し。そんなことをするとは思えない」

「でもさ、もし誰かに見つかっても言い訳出来るんじゃないの、そんなの」

「お前、前科者の癖にそういうの疎いな。よく考えてみろ。三人とも泥棒の疑いをかけられたままで、しかも全員同じ車両に乗っている。もしそんな姿を他の二人に見られてみろ。「なんだあいつ、怪しいな。やっぱり泥棒なんじゃないか?」って思われる」

「なるほどね。……って前科者はやめてよ」

「事実だろ。軽くても犯罪は犯罪だぞ」


 ホースルには路上商売における無許可営業で前科がついている。といっても、行商人であれば誰でも一度は付くようなもので、特に問題があるわけでもない。カルナシオンはホースルを捕まえた張本人であるため、たまに思い出したように当時のことを口にする。


「で、それが何なの? 覗き窓から中をのぞく必要性がそもそもあったわけ?」

「まぁ焦るなよ。三人はいずれもお前が子連れだと知っていた。でもそれをどうやって知ったと思う? お前は三人には会わなかったし、誰ともすれ違わなかったんだろ?」

「あ、そうか。……でも双子が寝るまで結構おしゃべりしてたし、それでわかったんじゃないの?」

「帽子屋のオバサンはそうだな」


 いよいよカルナシオンが何を言っているか、ホースルには理解出来なくなってきた。


「どういう意味?」

「いいか。帽子屋は「男の子は騒がしい。女の子がいい」と言った。直接双子を見たのなら、リコリーの存在に気付いてなきゃおかしい。双子と言っても似てないし、色違いのマフラーをつけているんだから、両方同性とは思わないだろう。外見がそっくりな双子なら、区別のために色を変える可能性があるが、リコリーとアリトラはそんな必要ないからな」

「えーっと……。じゃあ帽子屋の人はアリトラの存在しか認識してなかったってこと?」

「というか声だけ聞いてたんだろうな。見た目は兎に角、子供の声って男女の区別つきにくいし。でもずっと聞き耳を立てていたなら双子だとわかる。帽子屋はアリトラが喋っているのだけ聞いて、すぐに興味を失くしたんだろう」


 基本的にアリトラはリコリーより口達者で、声も大きい。その声だけ聞きとって「女の子がいる」と判断したとしても、何もおかしいことはなかった。

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