3.パーティの顛末
「賢王トラテルバの弟から派生し、中央区の大部分を領地として治め、業火戦争の時に兄王から与えられたライラックの花を紋章にして云々。パーティに行くたびに聞かされるので覚えてしまいましたよ。中期から続くお家柄がご自慢らしいですけどね、別に元農民だって中世からはいたでしょうし」
「辛辣ですね」
「庶民の特権ですよ。とにかく、例の長い歴史の授業の後で、妖精の涙は僕たちの前に提示されました」
「あれは美しかったですわ」
女がうっとりと呟く。
「絹のクッションの上に置かれて……本当に透明で、ガラスみたいでしたわ。侯爵が魔法を使うと、緑色や青色にキラキラと輝いてました」
「最初に誰が名付けたかは知らないが、「妖精の涙」とはピッタリの名前だと思ったね。この年になって初めて見たが……」
老人は飲み物を飲み干して、ワゴンの上に置いた。
自分で水差しを持ち上げて中身を注ぐ。どうやら飲んでいたのはただの水のようだった。
「侯爵が自慢したくなるのも無理からぬ話だよ。まぁそれで長い事人目に晒してたのがよくなかったな。乾杯の発声後にもう一度見たら、そこには宝石が置かれていた窪みがあるだけ。妖精の涙はどこかに消えてしまったよ」
「乾杯の時に照明を落としたりしたんですか?」
「いや、明るかったさ。だがあの御仁、目だけはいいからね。乾杯の時に自分に注目が集まっていないと、後で柔らかに嫌味を言われるんだ。その時は全員の視線は侯爵に向いていたはずだ」
「お陰で容疑も晴れましたしね」
男が含み笑いをしながら言って、ホースルの方に顔を向けた。
「その時、妖精の涙のすぐ傍にいたのが我々三人なんですよ。傑作でしょう」
「傑作なものですか。メイドにベタベタ体を触られて不快でしたわ。あの屋敷のメイドは無遠慮です。おかげで帽子飾りが一本折れてしまいましたのよ」
ホラ、と女は嘆くような表情をしながら帽子の飾りを揺らす。ホースルはどこが折れたのかわからなかったが、それよりも飾りの根本に縫い込まれたタグのほうが気になった。
「『アゼルダ・ティル』。西区では有名な帽子メーカーですね」
「えぇ、私はそこの取締役ですの。パーティに行ったのも、上流階級の方々にわが社の商品をアピールするためですわ」
「妻に一つ見繕いたいのですが、如何せん先立つものがなくて」
「あら、分割払いも出来ますわよ。それにしても貴方まだお若いでしょう。お子さんまでいるようだけど」
ホースルはその言葉に笑みを返した。
「すみません。うるさかったですか?」
「とんでもない。静かなものですわ。うちの甥の子供なんて、暇さえあれば木製の剣を持ち出して、ケタケタ笑いながら走り回るんですから。やはり女の子がいいですわね。着飾るのも楽しいですし」
「最近は男性も身だしなみを整えるのが流行っていますよ」
男が珈琲片手に口を挟む。
「香水はもちろん、洗髪に使うオイル、爪磨き、人前に出ることが多い方の中には化粧をする人もいます」
「化粧、ですか」
「ラスレでは古くは化粧は男の王にのみ与えられた特権だったそうですから、そう不思議はありません」
男は足元に置いてあったスーツケースを持ち上げると、鍵を開けて中を見せた。赤いビロードのクッションが敷き詰められ、その間に様々な形状の瓶が並んでいる。
「僕は西区の方で男性向けの香水を専門に扱っているんです。今回は新作の香水を揃えて持ってきたんですが、これがなかなか好評で。どうですか、一つ」
「生憎と、『ビラゴ』を買えるほど裕福ではないので」
並べられた香水は、安物から高級品まで揃っていた。そのうち一つがシスカ公国で作られている最高級のブランドであることをホースルは見抜いていた。香水としては高価であるが、庶民が少し背伸びすれば買えるシリーズもあり、高級志向の人間に人気がある。
「ではお子さんが大きくなったら是非」
「考えておきます。帽子に香水、と来たら……そちらのご老人は時計か煙草入れですか?」
「そういうお前さんも商人のようだな」
老人は視点を変えることもなく淡々と述べる。
「身なりは質素に見えるが、無駄な装飾のない上等な生地。爪の手入れが行き届いているのに靴は履きつぶす寸前。しかも軍の払い下げ。歩くことを重視している証拠だ」
「そう見えますか」
「子供には上等な服を着せて、高級な毛糸を使った赤いマフラーも用意している。家計は潤っていて、それを隠す気もない。となると、元は行商人で、成功して今は店を構えている。そんなところか」
存外鋭い老人の指摘に対して、ホースルは内心は驚いたものの顔には出さずに笑みだけを返した。
「貴方も同じですか」
「いや。儂はアンティーク商だ。仕事柄、行商人が色々持ち込むことが多かったからわかるだけで。伯爵は古いものが好みだから、よく呼ばれるのさ」
確かに老人の指に嵌った指輪は、どれも古い細工をしている。ホースルの視線に気付いたのか、老人は笑いながらそれを見せた。
「これは売り物ではなく、所謂「見せ金」というやつだ。「よい品ですね」と話しかけさせて、より高いものを売りつける。だから見栄えのよい安物ばかりだよ」
「いつも宝石を?」
「まぁ一番売れ筋がいいからね。煙草入れなども扱うが、侯爵は気管支が弱いので、売りつけたことはないな。しかしこんなに指輪をつけていたせいで、一番疑われる羽目になった」
老人は腹立たしそうな顔をして、水を一気に飲みこむ。
「お陰で酒がまずくなってしまったよ。あの偉そうな執事、儂の靴下までひっくり返したんだからな」
「あの緑色の髪をした?」
若者が尋ねると、老人は二度頷いた。
「彼は確かに偉そうでしたね。そのくせ、執事としてはまるでなっていない。酷く香水を匂わせていましたからね。あれじゃ食事も酒も台無しです」
「まぁ今どきは執事も質が落ちたなんて言われておりますからね」
女性はワゴンの上に置いてあった小さな籠に手を伸ばし、個包装のチョコレートを摘まみ上げた。
「ゴーシュ・バッツのような執事はそうそういないでしょう」
「ゴーシュ?」
ホースルがその名前を問い直すと、女はそれを質問だと受け取ったようだった。
「有名な執事ですわ。といっても会ったことはありませんけどね。先日、ある雑誌で色々な執事が特集されていましたの。その雑誌によると、こうですわ。『執事とは時として主より優れた技能を持つ者である』」
「そういうものですか」
「まぁそういう点で、ライラック家の執事は気位だけは主人譲りのようですけどね」
「男性はその執事、女性はメイドが身体検査を?」
ホースルの問いに三人はほぼ同時に肯定を返す。
「でも結局何も出てこなかったんですの。当然ですけどね」
「では妖精の涙はどこに?」
「私が知るものですか」
女性は鼻を鳴らして不機嫌そうに言った。
「なくなるのなら、もっとじっくり見ればよかったと思いますわ。見るのと土産話だけならタダですからね」
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