2.立ち往生

 異変が起きたのはそれから数十分後のことだった。

 西区にある巨大な渓谷に掛かる鉄橋の上で、汽車が静かに停止する。次の駅までは距離があり、線路の切り替えポイントでもない。

 突然静かになったことに気付いたホースルは、暇つぶしに読んでいた新聞から目を離した。近くの客室からも戸惑いの声が聞こえる。


 暫くそのまま待っていると、遠慮がちに扉がノックされた。

 向かいの座席で仲良く寝息を立てている双子を起こさないようにして、ホースルは扉を開けて外に出る。車掌が申し訳なさそうな顔でそこに立っていた。


「ご迷惑をおかけしております。この先の線路でトラブルがありまして、緊急停止しております」

「トラブル? 雪崩とかじゃないでしょうね?」

「いえ、実は幻獣が数匹寝転がっておりまして……。恐らく線路に仕掛けた除雪用発熱魔法陣が気に入ったのだと思いますが」

「あぁ……なるほど。轢き殺すわけにはいきませんからね」

「今、別の場所に誘導を試みています。温かい飲み物を無料で提供しておりますので、よろしければご利用ください」


 一等車両の廊下には、あの木製のワゴンがあり、既に三人の乗客が珈琲や紅茶を添乗員に注文していた。

車両には四つの客室が横並びに続いているため、その三人が自分と同じ一等車の乗客であることは明らかだった。


 ホースルは双子の様子を一瞥する。一度眠れば早々起きないし、起きた時に大人がいないからといって泣き叫ぶような子供達でもない。何より、少々喉が渇いていたため、その申し出を受けることにした。


「すみません、熱い珈琲を頂けますか」


 ワゴンの方に近づいて添乗員に話しかけると、乗客三人がホースルをまじまじと見た。フィン人ではまず見ない青い髪が珍しいのだろうと解釈しながら、ホースルは愛想のよい笑みを浮かべる。


「困りましたね」

「えぇ、本当に」


 ホースルから見てワゴンの左側に立ったふくよかな女性が紅茶を片手に溜息をつく。帽子についた派手な羽飾りがその拍子に揺れた。厚化粧でわかりにくいが五十代の後半ぐらいだと思われる。


「まぁでも幻獣だったら仕方ありませんわ。轢き殺してしまったら何があるかわかりませんもの」


 ねぇ、と女性はワゴンを挟んで向かいに立っている男に同意を求める。

 鋭い輪郭をした三十絡みのその男は、オーダーメイドのスーツを身にまとっていた。足元に置かれた大きなスーツケースは革張りで年季が入っている。


「まぁ幻獣が道を塞ぐなんて、滅多にあることではありませんからね。良いことが起きる前触れかもしれません」

「わからんぞ。悪いことが起きるかもしれん」


 否定を挟んだのは二人の間に位置していた背の低い老人だった。ホースルとはワゴンを挟んで真向かいとなる。両手にいくつも指輪をつけていて、それぞれに飾られた宝石が車内灯を反射して輝いている。先程から躊躇なくカップを口に運んでいる様子から見て、中は冷たい飲み物のようだった。


「よく長距離汽車には乗るが、幻獣が道を塞いだのはこれで二度目だ。一度目は到着した駅でテロリストが捕まっていたよ。線路に爆発物を仕掛けるつもりだったんだと。恐ろしい」

「でも事前に捕まったならいいじゃありませんか」


 女性が微笑みながら言う。


「それに悪い事なら中央区で既に味わったでしょう? 良い厄払いになるかもしれませんよ」

「まぁそれもそうだが」


 老人の同意に合わせて男も頷く。ホースルはその様子を見て首を傾げた。


「皆さんはお知り合いですか?」

「いえ、知り合いというほどでもありませんのよ。昨日、さる富豪のパーティに呼ばれた間柄ですの。私達は全員西区から来たので、帰りの汽車をご用意して下さったんですわ」

「道理で皆さん、身なりが立派だ。昨日と言うと、ライラック元侯爵家のパーティですか?」


 あら、と女性は意外そうな目をホースルに向ける。


「貴方もいらしたの?」

「いえ、俺は元々中央区の人間なんです。妻の実家がライラック家と目と鼻の先でしてね。あそこの家はよくパーティをしていますから。でも昨日、何かあったんですか?」


 三人は顔を見合わせて数秒考え込んでいたが、スーツの男が口を開いた。


「まぁ汽車がいつ動くかもわかりませんから、暇つぶしにはいいでしょう。どうせ明日の新聞には堂々と載りますよ。『怪盗Ⅴの再来か? 元侯爵家での窃盗事件』なんて見出しでね」


 ホースルはその言葉に眉を持ち上げた。

 男はよくある新聞の煽り見出しの例として言っただけだろうが、「怪盗Ⅴ」と呼ばれる人間はホースルにとっては懐かしい存在だった。


 ハリにかつて存在した巨大犯罪組織「瑠璃の刃」の五番目の幹部、「怪盗」。

 変幻自在の変装術と巧みな話術で富豪層に取り入り、彼らが大事にしている宝物を盗み出すことに執念を燃やしていた。国や情勢などで価値が上下する貨幣には興味を持たず、安定した資金源となる宝石や貴金属などを盗むのが常だった。

 最期まで自分が盗んだものを手放せず、それが原因で逃げ遅れて殺された。


「宝石か何かが盗まれたんですか?」

「宝石よりも価値があると言われている、「妖精の涙」ですよ」

「魔法により七色にその色を変える、天然樹脂ですね」


 北区の一部でしか繁殖しない木から、十年に一度しか採取出来ない透明な樹脂。

 近くで魔法が使われると、その魔力に反応して色が変化することからその名前が付けられた。幾人かの詩人をして「虹を抱き込んだ」と言われる美しい魔力反応に多くの人が魅せられ、それを欲した。

 北区の開発が進むにつれて値段もどんどん吊り上がり、今では小指の先ほどの小さなものですら、庶民には手が届かない高額な品となっている。


「ライラックさんがそれをお持ちだった?」

「えぇ。侯爵……勿論もう貴族制度がないのは承知で皆そう呼んでいますが、あの方のパーティというのは要するに、新しく手に入れた「貴重な品」を見せびらかすのが目的なんですよ。何しろフィン王朝中期からの大貴族ですからね」


 男は嫌味っぽく言いながら、手にした珈琲に砂糖を追加した。微かな匂いが宙を漂ってホースルのところまで届く。

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