刑務官の推理録

1.窓の外の銀世界

 窓の外には銀世界が広がっていた。

 昨晩、急に冷え込んだためか、雪原に立つ木は硝子のような氷をまとって輝いている。脆く崩れそうでありながら、それでも凛と立つ姿をホースルはぼんやり眺めていたが、子供の無邪気な声に我に返った。


「パパ、あれなーに?」

「なーに?」


 両脇に座った幼い我が子は、窓の外ではなく自分たちがいる客室の外を見ていた。

 蝶番を使った折開きの扉は、先ほどトンネルの中を通過した時に開いてしまったもので、数分の間そのままであったことをホースルは思い出した。


 開け放たれた扉の向こうで、女性添乗員が焼き菓子の積み上げられた木製のワゴンを押して笑顔を四方に振りまいている。中央区から各区へ伸びる長距離汽車では、そのワゴンに食べ物や飲み物、果ては簡単なお土産までが積まれて、一定時間毎に客室を巡るのがお決まりになっていた。


「いいにおい」


 息子のリコリーが言うと、続けて娘のアリトラも同じ言葉を放つ。


「あれはイデルカ・パドルだね。ジャガイモのパンケーキだよ。食べたい?」

「食べたい」


 活発で勝気なアリトラが、すぐに返事をした。

 二人ともお揃いのコートに身を包み、色違いのマフラーを巻いている。そろそろ三歳になるからか、アリトラは幼児ながらに洒落っ気が出てきており、赤いマフラーを蝶結びにしていた。その前に駅で巻いた時にはワンループにすると言って聞かなかったのに、さっき巻いてやった時はリボンにすると言い張った。恐らく車内でそういう巻き方を見たのだろうが、幼いながらも女の子なのだと感心する。


 一方、リコリーはそういったことには興味がなく、青いマフラーは適当に巻かれている。そしてその代わりのように絵本を抱えていた。絵本と言っても、二人の年齢向けではない。学院入学寸前の子供が読むような立派なものであり、本好きなリコリーに伯父の一人が大喜びで買い与えたものである。まだ字は読めないが、毎日熱心に挿絵を見てはあれこれと大人に質問を重ねており、勉強自体が好きなようだった。


 ホースルは少し身を乗り出して、女性を呼び止めた。鉄道会社の制服を来た女性は、そのスカートから伸びるストッキングに覆われた長い足を止める。


「すみません、一つ下さい」

「ソースはどうしますか?」

「ケチャップを」


 イデルカ・パドルは西区ではよく食べられている伝統料理である。蒸かしたジャガイモにハーブを少々、小麦粉を一カップ。油をほんの少し入れて混ぜ合わせ、熱したフライパンで一気に焼き上げる。見た目は良くないが、安価で腹に溜まるため、西区では朝食や間食によく食べられている。

 中央区育ちの双子は初めて食べるため、添乗員が笑顔で差し出したそれを、期待半分不安半分で受け取った。


「おひとつでよかったですか?」

「あぁ、いいんです。あまり沢山は食べないので」


 ホースルがそう言って扉を閉めた直後、アリトラがイデルカを綺麗に半分に千切る。それはいつもの見慣れた光景だった。パンでもお菓子でも、双子は半分に出来るものは極力そうして食べる。


「はんぶんこ」

「ありがとう」


 リコリーは差し出された半分を受け取り、片割れに嬉しそうな笑みを見せる。それにつられてアリトラも同じような笑顔を浮かべた。

 同時に頬張ると、何度か咀嚼して飲み込む。そして揃って「おいしい」と、やや舌足らずな声を出した。


「おいしい? よかったね」


 仲睦まじい双子が嬉しそうなので、ホースルも満足する。

 長距離汽車の一等客室は随分と金がかかったが、幼い双子を疲れさせないためには止むを得ない出費だった。ホースル一人だけだったら三等客室どころか乗り合いでもいいし、最悪席などなくてもどうにかなる。だが、双子はそういうわけにはいかない。


「パーパ」


 リコリーがふと口を開く。


「さっきのトントンはもうないの?」

「あぁ、トンネル? さっきのが最後だね」


 先ほど長いトンネルの中で停車した時のことを思い出す。線路の切り替えのために必ず生じる停車時間らしく、車内放送がかかっていた。リコリーは興奮気味に窓の外を覗いていて、一方のアリトラは興味なさそうにホースルにくっついていた。

 窓の外にはトンネルの壁があるだけで、一体何がそんなに面白いのかホースルには理解出来なかった。知的好奇心が大きい息子は何にでも興味を示す。その一環だろうと思われた。


「それ食べたらお昼寝しようか。そしたらすぐにママのところだよ」

「今日はママとかえれるの?」

「ママとごはん……」

「大丈夫、帰りは皆で一緒にご飯食べながら帰るから」


 妻のシノが制御機関の研修で西区に向かったのが数週間前。

 元々エリートだった妻は、子供を産んでも制御機関で働き続ける気でいたため、研修や勉強会には積極的に参加していた。ホースルは快く送り出し、暫くは双子も静かだったが、二週間を超えたあたりから雲行きが怪しくなってきた。


 最初に母親を恋しがったのはリコリーで、すぐにアリトラも同じようになった。二人揃って涙ぐみながら寝ているのを見て、ホースルも流石にまずいと認識した。

 そして悩んだ挙句に、「ママを皆で迎えに行こう」と言って、二人の寂しさをなんとか誤魔化した。周囲が言うには、友達がいないのもよくないらしいが、ホースルはその「友達」とやらがわからない。ミソギに一度尋ねたら「あんたと俺の間には一生成立しないものだ」と言われた。


 二人でいつも遊んでいるから良いかと思っていたのだが、そういうわけでもないらしい。かといって近所には同じ年頃の子供もいないし、リコリーが内気なこともあって、今のところ双子には友達がいない状態だった。


「あ、そうだ。二人ともおトイレは平気?」


 列車に乗ってから一度も行っていないことを思い出したホースルが尋ねると、双子は揃って首を横に振った。


「大丈夫ー」

「大丈夫。それよりパパも食べる?」

「たべる?」

「二人で全部食べていいよ。気に入ったなら今度家でも作ってあげる」


 リコリーが口の端にケチャップをつけているのを見て、ホースルはそれをハンカチで拭う。するとそれを見たアリトラがわざと自分でケチャップを頬につけた。


「わざとやらないの。全く」

「違うよ。アリトラ、わざとしないもん」


 ホースルはすまし顔で言う娘の頬を、少し乱暴に拭う。

 感触がくすぐったいのか、アリトラが身じろぎをした。頬に生えた細かな産毛がホースルの指を撫でていく。


「可愛いねぇ、お前たちは」


 本心を隠さずに呟いたホースルに、双子は揃って得意げな顔をした。

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