空想蔵書Ⅱ
『フィン王国の貴族達』
序章 フィン王国の貴族制度
フィン王国の人口分布図を見ると、王制中期の時点で魔法使いがその殆どを占め、さらにそのうちの五パーセントが貴族(王族含む)であったことがわかる。
魔法使いの国として栄えてきたため、魔法使い以外は貴族に生まれてもその爵位、あるいは地位を名乗ることは許されなかった。しかし魔力の有無だけで子息を籍から外すことを避けた結果、貴族の大部分は「識別名」と呼ばれるミドルネームを所有し、魔法使いである場合のみ、そのミドルネームを名乗れるようにした。そのため、同じ兄弟であってもミドルネームの有無が確認出来る資料が複数存在する。
有名な者では、『ひだまりの女王』を執筆したアデルム・ジーレストがいる。彼はコルド・ジーレスト侯爵家の次男として生まれたが空瓶であったため識別名を名乗ることが出来なかった。
今日でも元貴族の血統はこの識別名を保持していることが多い。子息子女が正魔法使いであれば、成人の際に戸籍を書き換え、識別名を所有するのである。ただ、もはや慣習化しており、それを日常的に使う者は皆無と言えるであろう。
フィン王国時代に存在した貴族は、出身や血筋により様々な特徴が見られる。本書ではいくつかの貴族を抜粋し、それぞれの家系に見られる特徴などから歴史を紐解いていく。
(中略)
第八章 ミデラ・オルス・ライラック家
『栄華を極めし貴族達の花』
中期に王室より派生した侯爵家である。王族由来であることを示す「ミデラ」を識別名の一つにしている。それに続く「オルス」は二つ目の識別名であり、これは王政後期まで存在したオルス公爵家が火事により滅亡した際、敬意を称して名前のみ引き継いだものである。
賢王トラテルバの弟である『美男王』サーガンを初代当主とし、中央区の大部分を領地として治め、業火戦争の時に兄王から与えられたライラックの花を紋章並びに家名とした。
王政末期において、最も裕福であった貴族の一つである。王族所縁であったため、貴族議会での発言力も非常に強かった。
特に三代目当主であったシリウス・ミデラ・ライラックにおいてそれは顕著だったと伝えられている。彼は初代当主の孫にあたるが、美男王と称えられた祖父を凌駕する美貌の持ち主であり、彼が舞踏会に出ると、「女性が」嫉妬のあまり卒倒したと伝えられている。
シリウスの圧倒的な存在感と発言力は、『リリス妃の寵愛』で確認出来る。
第二月の議会は既に終わっていた。彼らは厳粛なる決まりごとの上で、神の名に誓って投票を行った。
議長(※1)の名誉に賭けて言えば、彼は決して優柔不断な人間ではなかったし、公平な男であった。どこかの風見鶏のように誰にでも頭を垂れるような家柄でもなければ、ポートレイの肉屋(※2)が軒先で飼っている犬のように、道行くもの全てに尻尾を振るようなプライドの低い男でもなかった。
唯一彼に問題があるとしたら、運がなかったことである。あと一分でも早く議会の終了を告げればよかったものを、彼はそうしなかった。そのために、ライラック卿の横暴を許すことになったのである。
随分と遅れてやってきた美貌の侯爵は、議会に入るなり高らかに告げた。
「遅れてしまい申し訳ない。さぁ議会を始めようじゃないか。まさか、僕がいないのに議会を始めてしまったりしていないよね?」
腰を上げかけていた貴族達は渋々ながら、また椅子に座りなおした。ライラック卿はそれについて特に問題とも思わない様子で、全ての結論をひっくり返すために自分の席に着いた。(『リリス妃の寵愛』 第三章より)
※1 議長は発言権がない代わり、全ての決定権を所持している
※2 当時、ポートレイ領(東区)の肉屋では犬を飼うことが流行していた。犬達が客の買った肉を食べてしまうことから、「意味のないこと」の例として用いられていた。
ライラック家の人間が傍若無人であったことは各文献から伺える。王族の血統であるという自尊心故か、それらの行いに対して当然と思っていたようでもある。一応、自分より目上の人間に対する敬意は持っていたようだが、王族由来の侯爵という立場上、そのような相手は少なかっただろう。
しかしながら、ただ権威を振りかざしていたわけではない。ライラック家は武勲に劣る代わりに、経済的手腕に長けていた。ライラック家が興された時、領地の管理と言えば領民に仕事をさせて徴税を行うことが一般的であり、しばしばそれは天候や戦争などで大きく左右された。ライラック家は広大な領地を保持するために、「農工会」「商工会」制度を作った。
領地に住む民の職業によって、どちらか一方に所属させ、月に一度の会合を命じた。そこではどの地域でどれくらいの作物が取れるか、どの地域でどれぐらいの需要があるかなどを報告させ、ライラック家はその報告を元に農作物や生産品の調整を行った。今日における「ギルド」の原型である。
これにより、多くの農民が飢えて亡くなった『寒風飢餓』の時も、ライラック領の人間たちはある程度の貯えを元に乗り切ることが出来た。貴族の義務の一つである「平民の保護」において、これ以上の働きはないだろう。
王城での出来事が記された『王室附記』では、以下のような記述がある。
ルガーノ・ミデラ・ライラック卿は王の生誕祭に一抱えの葡萄を持ってきた。王がその理由を問うと、卿は悪びれもせずに言った。
「今年は不作であり、例年のようにワインをお持ちすることは叶いませんでした」
すると王はお尋ねになった。
「何故葡萄のみを持ってきたのか」
王はライラック領で作られる上等なワイン(※1)を常に楽しみになさっていた。それが今年は手に入らないうえ、葡萄を差し出されて困惑したのであろう。それは他の領主の方々にしても同じだったらしい。
責めるような視線の中で、卿は葡萄を一粒取り、自ら口に運んだ。
「奇妙なことを言いなさいますな、王よ。元は元、この生誕パーティは各領地の農作物の出来栄えを確かめるためのものでしょう。ワインを飲むための会になったのであれば、その旨を通達してくれなければ困ります。私はそれに基づき、こうして今年の農作物を持参しました。まさか、要らぬとは言いますまい」
この言い方はライラック卿だからこそ許されたと言っても良いだろう。その美しき立ち姿と完ぺきなまでの振舞いには王ですら気圧されてしまった。王は静かに葡萄を受け取り、その一粒を食べると顔をしかめた。
「貴族の仕事は王にワインを献上することではありません。民の生活を守り、必要とあらば王にご助言を頂く点にあります。どうぞ、ご認識のほどを」
卿は微笑みながら言うので、王はしかめ面のまま頷くに留まった。(『王室附記』 第五巻 二十四ページより抜粋)
※1 ワイナリー『紫の園』で作られるワインは高級品とされていて、一時期は国外へ輸出されていたほどだった。
これを根拠に、ライラック家は平民の暮らしを確保することに注力していたとする学者もいるが、一方でこれは王の贅沢を咎めるためのものに過ぎないとする学者もいる。
もしかしたらどちらも正解かもしれない。ライラック家は領民を大事にしていたかもしれないが、全員がその恩恵に預かれたとは言えないだろう。何しろライラック領は非常に広く、当主自身ですらどこまでが自分の領地だかわからずに放置していたこともあるからだ。中央区と北区の境界にある「ズスカ遺跡」は良い例である。ライラック家とバンテミラ家がそれぞれお互いの土地だと思い込んでいたために二種類の地図が出来てしまった。
広すぎた領地と、華美な振舞い。それらが王政末期の革命を起こした要因の一つだとも言われている。革命軍からすれば、目立つ貴族は「仮想敵」として丁度よかったのだろう。
また革命軍の殆どはライラック領の出身だった。恵まれた土地と安定した収入があったため、彼らに「考える余裕」まで与えてしまったと嘆くのは、革命時に処刑された、とある貴族の遺言である。
(中略)
第十章 ナガル・ヒンドスタ家
『フィン国の知識層の代表として』
貴族の中には、軍人や王族からではなく、学者から地位を成した家もある。ヒンドスタ(あるいはリンデスター)家がその主格と言える。王室研究室(後のアカデミー)で代々室長を務めていたヒンドスタ家が、いつ頃からその職についていたかは定かではない。長いこと免除人(知識階級のこと)であったヒンドスタ家が貴族となったのは、王政後期のことである。
中期頃の文献では、家名は「リンデスター」で統一されている。「ヒンドスタ」の名前が出てくるのは、男爵家の位を王室より与えられた時である。
リンデスターはメイディア地方によく見られる発音であり、恐らく祖先がその地方の出身である可能性が高い。爵位授与と共に家名をフィン式に変えたと思われる。但し、その時期の文献、戸籍類を確認すると、大きな混乱もなく切り替わっていることから、既に平素は「ヒンドスタ」姓を使っており、戸籍上だけ「リンデスター」姓が残っていたとも考えられる。
後期に爵位を得た貴族の中では珍しく、王政崩壊時に子爵に位を上げている。当時の魔法陣の研究成果が認められたことによるものだが、皮肉にもこの魔法陣がきっかけで『翡翠王』カミルアは必要以上の軍事力の増加、徴兵、増税を始め、それによりフィン王国は滅ぶことになった。但し、あくまで王の独断行為であり、ヒンドスタ家に責があると述べる者はいない。
ヒンドスタ家は学者家系だけあり、弁の立つものが多かったようである。
『在りし日の令嬢(原題「深窓の花嫁」)』では実際の逸話として、貴族達の口論が取り上げられている。
ヴィン・セレ家の令息(※1)が婚約者を守るために、侯爵家の縁戚である男を殺傷せしめた時には議会は大いに困惑した。死んだ男の悪行は数年間に及ぶものであり、令息の行為は実に正統な手段によって行われた。問題であったのは婚約者が歌劇団の踊り子(※2)であったことである。
高貴な血を持つ令息が、婚約者とはいえ下賤の少女のために殺人を犯すことについて、貴族達はそれぞれの立場から何も意見を言えずにいた。その中で、ゼラム・ヒンドスタは議長に断ってから発言台へと上った。
「此処に集まる皆様は聡明であるから、私の言いたいことも理解出来るでしょう。この手に一つの短剣があり、私がこれで自らを刺したとしたら、それは自害です。これは私が王だったとしても変わりません。王が自害したからと言って、等しく王に神の罰は下りるでしょう。ではこの短剣を人に向ければ、それは殺人です。行き倒れの老人を刺したからといって、それは無罪にはなりません。皆様方におかれては、罪と人の地位をまるで同じもののように扱うのをやめていただきたい。身分の差は罪の差ではない」
これにより、ある者は恥じて、ある者は憤りを見せたが、誰一人として反論をすることなく、粛々と裁きは行われた。(『在りし日の令嬢』 断章Ⅱより抜粋)
※1 ヴィン・セレ家の名誉のために名前はここでは明かされていないが、当時の裁判資料には「ジーク・ヴィン・セレ」と残されている。裁判では禁固五年を言い渡され、その後のことは定かではない
※2 裁判資料では踊り子ではなく、歌手とも記載されている。名前は「アズーレ」ということはわかっているが、詳細は不明である。
同家は数多くの学者を輩出し、フィン王国の学問の発達に貢献した。ヒンドスタ家はトライヒ領(現在の西区第八管理区)の一角にあったが、敷地のおよそ半分を占める温室が有名であった。
これは寒冷なフィンで他国の植物を育てるために作られた設備であるが、当初フィンには温室が存在せず、無理解な近隣住民によって何度か破壊、放火されたとする記事が残っている。
現在、旧ヒンドスタ邸と共にその温室は国に管理されており、王政中期から育てられてきた、今日野生で発見することは困難な植物を多く見ることが出来る。
ヒンドスタ子爵家で最も有名なのは、五代目当主のティーダー・ナガル・ヒンドスタである。物魔学における初等法則の一つ「ティーダー法」は彼の名前からとられている。この法則が出る前に使われていた「コドル法」は二次元座標で魔法の着地点を決めていたため、外的要因や使役者の距離感覚により精度が大幅に狂うことが多かった。「ティーダー法」では三次元座標を用いたことにより精度が格段に上がった。
ティーダーは研究のこととなると周囲の目を全く気にせず「奇行」に走ることがあり、何度か当時の新聞の穴埋めに使われたと言う。研究者の間では、彼のふるまいを「もう一つのティーダー法」と敬意を込めて呼ぶことがある。
当時の中央新聞の一節を抜粋する。
人だかりの中にいたのは、かの有名なヒンドスタ卿であった。記者はかの人物を初めて見たが、以前見た肖像画とそっくりだった。違う点と言えば、口の周りをトマトソースに染めて、左手にジャガイモを持っていたことぐらいだ。
卿は『ビッセルピッセル』の白い塀にトマトソースに浸した指を走らせて、何かの数式を書いていた。隣では店主が呆気に取られているが、相手が貴族では何も出来ない。可哀そうなことである。
卿はふと手を止めると、店主を見た。年はもう五十になるだろうに、その目はまるで少年のようだ。期待に満ちた笑顔を向ける店主に、卿は無邪気に残酷なことを告げる。
「トマトソースがなくなってしまった。もっと持って来るが良い」
卿を遠巻きに見ていた連中は大笑いをしたが、店主の顔は引きつっていた。記者は店主へ駆け寄って告げた。「いいことがあります。アイスピックを添えてお出しなさい。後で壁の価値が跳ね上がるかもしれないからね」(中央新聞 第二月八日)
『ビッセルピッセル』はその当時は町中の大衆レストランに過ぎなかった。その後、壁を一目見るために国中から学者が押しかけて繁盛し、百年後に高級レストランとして幕を引けたのは上出来と言えるだろう。
有名な「学者の壁」は、店がなくなった後は国立美術館に寄与された。現在も美術館の特別展示室でヒンドスタ卿直筆の数式を確認することが出来る。
ヒンドスタ家に関しては、貴族であることよりもまず知識を持つ者であるということが評価されていたようである。王政崩壊後、王室研究室は国立研究機関に改められたが、革命軍はヒンドスタ卿を責任者の立場から下ろすことは要求しなかった。魔法使いの国である以上、有能な魔法使いを処分して国力が衰退することを避けたのであろう。
(中略)
第十二章 フォン・セルバドス家
『変わり者の下級貴族』
セルバドス家の歴史は非常に長い。建国時には既にその名が部隊長として残されている。
『勇猛な一角獣』を意味する家名の通り、紋章は一角獣である。これはフィン国の紋章学では数少ない「例外」として扱われる。第二章で触れた通り、紋章とはその地位の変化や名門同士の婚姻などにより変化していくものである。殆どの貴族は紋章を三つか四つのブロックに分け、一つは王室より認可された「一族の象徴」を描き、地位を示すパターン化された紋様を描き、出身地や領地を示す色を使う。
セルバドス家は王室より最初に認められた一角獣の象徴のみを描いている。他に同じ象徴を持つ貴族は存在しない。
これはつまり、領地もなければ地位もなく、名門同士の婚姻すらもなかったことを示している。そのため、歴史は長いが貴族達の中では軽んじられてきた。
通常、このような貴族が王制末期まで残れるとすれば、強大な権力を有しているか、または王室の後ろ盾が存在する場合である。だが、セルバドス家は爵位も領地もなく、王族とは縁戚関係すらない。
全くの無名であり、辺境地にでも住んでいれば、あるいは可能性もあったかもしれないが、セルバドス家は代々王室直属の軍で指揮をとっていたため、この条件には当てはまらない。この一族が生き延びた理由として、『ルーレイ家の日記』に参考となりそうな記載がある。
第七月の議会にて、老アーベントは有席者(※1)に銀貨を握らせて、傾きかけた家の存続を図ろうとしたようだった。第六月の時と同じような手段である。
誰もがその銀貨を握りしめていく中で、ミド(※2)のみは銀貨を自分の水差しに入れてしまうと、中の水と共に老アーベントに浴びせてしまった。お陰であと三日は床の掃除をしなくても良いだろう。
老アーベントは怒り狂い、ミドに対して散々な侮辱をした。老人の怒鳴り声は聞くに堪えないものである。第一あの堅物に賄賂を渡そうなどと思うほうが悪い。あの家の人間ときたら、凡庸な家柄のくせに気位だけは高いのだから。
ミドは祖先を侮辱されたことで怒りを爆発させ、「わが祖先は王と剣を共にした盟友。これは王への侮辱である」と言って剣を抜いた。初耳だ。だが、ヴァンガー公爵(※3)が必死に(まるで媚びるかのように!)宥めたのを見ると真実なのだろう。(『ルーレイ家の日記』 第二章より抜粋)
※1 議会では椅子に座れる貴族と座れない貴族がいた。
※2 ミド・フォン・セルバドス近衛隊長
※3 サブラス・ミデラ・エデ・ヴァンガー公爵。ヴァンガー家は初代国王の腹心の家系にして始祖王の妹の家系である。ライラック家、ロートスカ家と並ぶ三大名門貴族。
要するにセルバドス家は賄賂などの不正を良しとせず、人前であろうとそれを行った相手を軽蔑する態度を示すなど、貴族たちにとっては少々扱いにくい家系だったようである。
セルバドス家は公的文書や貴族による自伝録などにも殆ど登場することはない、極めて目立たない貴族である。但し、戦記などでは頻繁にその名を連ね、多くの場合は先頭を切って敵陣に突っ込んでいる。『コモ戦記』には以下のように記されている。
大河を前に尻込みし王子(※1)を叱りつけたのは、ライ・セルバドス近衛隊長であった。その無礼を側近が咎めるより早く、卿は告げた。「安心するがいい。腑抜けに罰せられるぐらいなら、敵陣に突っ込んで死ぬ」と。そしてその言葉の通り、卿は先陣を切って大河へ踏み込んだ。言葉と違ったのは、死なずに敵将の首を下げて帰ってきたことである。
戦の後に卿は王子に非礼を詫びて、その首を刎ねるように言った。王(※2)は側近より事の顛末を聞き、王子にそれ以上の醜態を晒さぬように命じた。(『コモ戦記』 第八章「王子の進軍」より抜粋)
※1 当時の第一王子であったカレストンと考えられるが、第二王子のロキアの可能性もある
※2 『紫檀王』レジーヌ
戦記におけるセルバドスの戦功は他に比べて際立っている。しかしその後の戦功を称えるための会食や褒賞の授与式などには一切参加していない。
セルバドス家の功績は王に認められなかったのか? それに対する疑問は『王室附記』にて解消される。
王(※1)は今日は朝から不機嫌である。先の大戦(※2)で、その功績に対して全ての者に相応しい褒美を与えようとしたのに、カダ・セルバドス様だけが応じないからである。あの家はいつも王からの褒美を悉く辞退しているようだが、大した変人である。
一度、ショーレン大臣(※3)がセルバドス家のその不遜に対して罰を与えてはどうかと進言したところ、王は烈火の如くお怒りになった。「あのような弱小貴族を王威で潰すなど出来るものか、恥をかかせるな」。大変ごもっともである。それでいて、その「弱小貴族」を呼びつけては雑談をしているのだから、よくわからない。恐らく王はセルバドス家がお気に入りなのである。王に不遜を承知で対等な口を利くのはカダ様ぐらいだからだろう。(『王室附記』第二巻 五十四ページより抜粋)
※1 賢王トラテルバ(ライラック家初代当主の兄)
※2 業火戦争のこと。この名がついたのは王の死後であり、存命中は「大戦」としか呼ばれていない。偽書を見破るときの指標の一つとなっている。
※3 後にフィン王国史上最大の横領事件と言われる『テスタ・ロッテの鎖事件』に加担した一人であるが、在職中は王の良きアドバイザでもあった。
要するにセルバドス家はすべての褒美を辞退していたのである。引用部にも書かれている通り「変人」に間違いないだろう。
貴族らしからぬ振舞いを是とするか非とするかは意見の分かれるところであるが、確実に言えることは歴代の当主はそんな評価を気にも留めていなかったということである。
[参考文献]
『リリス妃の寵愛』 オーブ社 シリ-・ハントラム著
『王室附記』 フィン国伝承研究会編
『在りし日の令嬢』 天空書房
『中央新聞総集 二-三十六番』 フィン民主国中央新聞社編
『ルーレイ家の日記』 オーブ社 ショウファー・ルーレイ、トラム・ルーレイ著
『コモ戦記』 フィン国伝承研究会編
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