21.良い判断

 大きな稲妻が空を走り、辺りを照らす。カルナシオンは驚いた表情でそれを見上げた。

 店の屋上は壊れた備品やゴミが積み上げられ、喫煙所も兼ねているのか水が入ったバケツに吸い殻が大量に入っている。稲妻がそれらを鮮やかに照らし出した途端、シノが「あら汚い」とのんびり呟くのが聞こえた。


「なんだぁ? 雨雲もないってのに」

「偶にあるわよね。雷だけの時」

「夏とかならわかるけど、今の時期に……ん?」


 視界の隅で何かが動いた気がして、カルナシオンは視線をそちらに向ける。二つ先の建物の屋上、煙突に影が映し出されていた。


「いたぞ」

「捕まえる?」

「あぁ。お前、急がなくていいから魔法だけはすぐに使えるようにしてついてこい」


 運動神経が良いとは言えない幼馴染に言い渡し、カルナシオンは屋上の柵に手をかけた。


「気を付けてね」

「あぁ」


 雷は先ほどの一回だけのようだった。天候が崩れたわけでもないのに妙だとは思いつつ、カルナシオンは隣のビルに飛び移る。


 幼い頃から腕っぷしも強く豪胆な性格のカルナシオンにとって、街は沢山の遊具を抱えた遊び場だった。

 大きな建物も小さな建物も、広場も空き地も噴水も、時には下水道ですら使って遊んでいたカルナシオンにとって、この程度の場所は注意すら要らない。


「よし」


 まずは声を掛けて、何をしているか尋ねる。答え次第では手足が出るかもしれないが、刑務官であるカルナシオンには多少の裁量が許される。

 一応の段取りを決めると、次の建物への移動手段を探すべく視線を左右に動かす。建物間は少し開いていて、助走をつければ飛び乗れないこともないが、肝心の走るスペースがない。


「となると……」


 カルナシオンは精霊瓶を握ると、魔法を詠唱する。自分を中心として小さな円形となるように魔力が広がり、小さな火を揺らしながら数秒で消滅する。それが終わると、カルナシオンは足元を軽く蹴って宙に浮かび上がる。


 大気を魔力で燃やすことにより一時的に身体にかかる重力を小さくする高等魔法であり、持続時間は長くない。それでも隣の建物に飛び移るのにこれ以上適した物もなかった。


 音もなく着地し、魔法を解除する。人の気配はするが、こちらに気付いている様子はない。カルナシオンは一度深呼吸をすると、物陰から勢いよく飛び出した。


「そこで何をしている」


 そう言うはずの声は、直前で押し戻される。カルナシオンより先に同じ言葉を発した人間がいたためだった。

 空に稲妻が光り視界を明るく照らす。屋上の物陰に隠れた男が一人、そしてその向こうにもう一人、黒髪の剣士が立っていた。


「クレキ軍曹?」

「カルナシオン・カンティネス。どうして此処に……」


 互いに呆然としていると、それを隙と取った不審者が物陰から飛び出した。


「あっ」

『この野郎!』


 ミソギがヤツハ語らしきものを怒鳴りながら、その背に剣を向ける。カルナシオンはそれを見て、慌てて横から手を伸ばして制した。


「おい、刃物振り回すな!」

『離せ!』


 実際にミソギは不審者を斬るつもりなどないし、斬りつけたところで皮膚の一枚すら傷つけることなく衣服を剥ぎ取ることも可能である。だが、その実力を知らないカルナシオンにそんなことは理解出来ない。

 またミソギがヤツハ語を口走ってしまったのも、誤解のもとだった。カルナシオンにはそれが冷静さを欠いているように見えてしまった。


「お前、まだ容疑者でもない奴を殺す気か!?」

『だから殺さない! ちょっと脅すだけだ!』


 二人が揉み合っている隙に、身を隠していた男はその場から逃げ出し、カルナシオンが使った道を逆走するように、隣の建物へ飛び移る。高いところに身を隠し続けていただけあり、その動作は非常に身軽だった。


「やべっ」


 それを見たカルナシオンが焦った声を出す。そこには遅れて移動してきたシノがいた。

 お嬢様育ちで運動神経も鈍い少女は、突然自分の方に向かって来た男に驚いた顔をする。魔法が得意で肝も据わっているシノだが、不測の事態に咄嗟に反応出来るほど場数は多くない。


「避けろ、シノ!」

「え、えっと?」

「右!」


 シノが言われた通りに右に跳躍するが、一瞬遅かった。完全に避けきる前に男が突っ込んだため、残っていた左足が逃げ道の障害と化す。薄闇の中、足元への注意が逸れていた男はその場で盛大に転倒して鈍い声を出した。


「あら、ごめんなさい」


 素直に謝ったシノだったが、男はそれを侮辱と受け取ったようだった。淀んだ目でシノを睨み付けると、腰に巻いたベルトからナイフを取り出す。戦闘用でも護身用でもなく、どうやら職人が使う物のようだったが、それ故に刃が分厚く鋭い。


「退け!」


 突き出された刃を、シノは慌てて避ける。刃は黒い髪を掠め、何本かを宙に散らした。カルナシオンは遠目にそれを見て、激昂した声を出す。


「シノに手を出したらぶっ殺すぞ!」

「さっき俺を止めた人の台詞とは思えないな」

「うるせぇな! 暢気に言ってる場合か!」

「落ち着きなよ、カルナシオン・カンティネス」


 ミソギは静かに言いながら、視線をシノの背後へ向けた。


「もう一人いるからさ」


 男が二度目の攻撃を放とうとした時、シノの後ろから腕が伸びて男の手首を捕らえた。


「か弱い女性に刃物を向けるなんて感心しないなぁ」


 男はその声の主を見て、恐怖に顔を引きつらせる。そこに立つ青髪の商人は、優し気な口調とは似ても似つかぬ表情を浮かべていた。


「まして彼女に手を出すなんて、見過ごすわけにはいかないじゃないか」


 ミソギとは別ルートで屋上に登り、身を潜めていたホースルは、そう言いながら手に力を込める。男は悲鳴を上げて、手から刃物を落とした。


「今のうちです、貴女は早くあちらへ」

「え、でも」

「貴女に怪我をさせたくない。俺のことを信じて下さい」


 ホースルはシノに優しく告げる。優しいのは口調だけで表情は殺し屋が裸足で逃げそうな有様だったが、それが見えていないシノは頬を赤らめた。

 気を付けて、と言い残してシノが隣のビルへ避難するのを見届けると、ホースルは改めて男を見た。


「さて、貴様は幸運だぞ。此処がフィンでなければ瞬時に殺しているところだ。命が惜しければ素直に投降しろ」

「……お、お前は」

「私は通りすがりの商人だ。それ以上を知りたいなら殺してやるが、どうする?」


 男はホースルの放つ、殺気とも違う何かに怯えて首を左右に振る。


「それは良い判断だ。私も無駄な殺生はしたくない」


 手首を離された男は、その場に力なく座り込んだ。手元には先に落とした刃物があったが、それを握る気力すら失われていた。生気を奪われてしまったかのような男を見て、ホースルは満足そうに微笑む。


「何しろ私は堅気だからな。当然のことだろう?」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る