19.貴方にしか出来ない

「いた」


 カルナシオンはドーナッツを噛みちぎりながら呟くと、視線だけで上空を示した。

 シノもそれに倣って上を見るが、道を照らすための街灯が並んでいる他は何も見えない。


「見えないわ」

「一瞬だったからな」

「でも此処って、まだ貴方の言う「偽装の疑いがある店」からは遠いわよ」


 指摘に対して、カルナシオンは不思議そうな表情を浮かべる。


「その店は直方体。とても外壁を登れる構造じゃない。この界隈の地図と建築様式の資料は、来る前に読んだだろう?」

「えぇ、あの分厚くて頭がクラクラするやつね」

「それは同感だ。でもあの二つの情報を組み合わせれば、どの建物がどの形状か、頭の中に立体図を描ける。そうすれば、何処から屋根に登って、どう動けば目的地に着くのか推測できるだろう?」

「……出来ないわよ」

「俺、何か間違ってるか?」

「貴方にしか出来ないわ」


 呆れたようにシノは溜息をつく。

 平素は大雑把で何も考えていないように見える男だが、一度頭を回転させると、とんでもない速さで物事を処理していく。

 それでいて気が進まないと、買ったパンのお釣りが間違ってても気付かないのだから、これまでカルナシオンに負けて来た秀才たちからすれば憤死ものに違いなかった。


「でも違法行為をしていそうな店なんて、よくわかるわね?」

「刑務部には独自の情報網ってのがあるんだよ。軍なんかも持ってると思うぜ。……えーっと、屋上への出入り口があるのは」


 カルナシオンは煌びやかな建物に目を止める。

 そこは所謂、女性の従業員が男性客をもてなす種類の店であり、歓楽街の代名詞にもなっている場所だった。


「此処か。……お前、此処で待ってるか?」

「どうして?」

「どうしてって……。え、まじか」


 きょとんとしているシノに、カルナシオンは驚いた顔をする。


「すげぇな、お嬢様は」

「何のこと?」

「嫌じゃなきゃいいや。行くぞ」


 城門を模したような立派な扉を開くと、中は豪華な内装が広がっていた。いくつものテーブルが並び、そこで男たちが綺麗な女性を傍に座らせて話をしている。

 女たちがつけている香水の匂いが何種類も混じりながら入口まで漂っていた。


「いらっしゃいませ」


 身なりの良い男が一歩進み出る。明らかに若いカルナシオンが女連れであるのを見ると、僅かに眉を寄せた。


「失礼ですが……」

「一応成人してるし、女連れてきちゃダメなルールなんてないだろ。というかそっちが目的じゃねぇんだよ」


 カルナシオンは左腕の袖を少し持ち上げ、手首に嵌めたバングルを見せる。制御機関の人間であることを示すそれに、男が驚いた表情をした。


「こ、この店で何か?」

「放火事件の関係で見回りをしている。この店の屋上を見たいんだが、構わないか?」

「はい。ゴミなどが置いてあるかもしれませんが」

「別に構わねぇよ。適当に調べたら戻るけど、その間は誰も上がらないようにしてくれ」

「か、かしこまりました」


 男に案内されて店の奥に入ると、煌びやかな内装が一転して、何処にでもあるような無機質なものに変わる。


「この階段の先が屋上への出入り口となります」

「どうも。行くぞ、シノ」

「世の中には色々なお店があるのね」


 何やら感心した様子のシノに、カルナシオンは複雑な想いで溜息を吐く。


「お前、もうちょっと世間ずれしたほうがいいぞ」

「何のこと?」


 年の離れた兄三人に溺愛されて育った自覚のないシノは、どうして相手がそんなことを言うのか、全く見当がつかなかった。

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