18.犯人の目的
「要するに、だ」
カルナシオンは繁華街を歩きながら、出店で買ったドーナッツを頬張る。拳大の球体をした揚げ菓子は、シロップ漬けにした上に、更に砂糖でコーティングされていた。冬の長いこの国で作られた菓子は、どれも脳が痺れるほどに甘い。
「今まで放火された店は何か不正を行っている可能性があるというわけだ」
「不正行為?」
シノは相手の手の中の紙袋の中から、断りもなくドーナッツを取りつつ聞き返す。
「まぁ例えば食品偽装とか、脱税とかだな。それも大掛かりではないやつ」
「でも、それなら法務部に通報すればいいじゃない」
「犯人はそれが出来ない立場にあるってことだ。脱税や食品偽装が明らかになるのは、内部告発が主だと言うのは知ってるだろ」
「えぇ。じゃあ犯人は従業員?」
「違うって。それなら普通に法務部に行けばいい。第一三つの店で掛け持ちで仕事してる奴なんかいない」
店先にいる客寄せは、カルナシオンを見ると誘い文句を掛けようとするが、シノの姿を見つけるとすぐに口を閉ざして身を引く。このような界隈で、女連れの男は良いカモにはならない。逆に言えば、煩わしい客引きを避けたい場合は、誰でもいいから女を連れ歩けば良い。
「考えられるのは「空き巣」だな」
「泥棒さん?」
「そう、泥棒さん。金目のものを物色している時に、店の不正を見つけた。でもそれを告発すれば、自分の罪が露呈しちまう」
「だから火事を?」
「不正の見つかった店を連続放火すれば、刑務部が何か気付いてくれる。そういう算段だったんだろうよ。迷惑な泥棒だ」
「そんなに正義感があるなら、泥棒なんかしなきゃいいのに」
ドーナッツをもう一つ持っていくシノに、カルナシオンは「太るぞ」と揶揄った。
「犯人が危険を冒して、軍や制御機関の警戒中に放火したのは、そうすれば俺達が更に本腰を入れて調べると思ったからだろう。それに犯人には捕まらない自信があったと考えるのが自然だ」
「どういうこと?」
「あのな、レシガン……ひったくりのガキ。あいつ、逃げる時に下水道とか使うんだよ。だから捕まらないんだ。俺達は地上には慣れてるけど、地下とか空中は慣れてないし、そっちに注意を向けることも少ない」
「犯人もそうってこと?」
「店に空き巣をした割りには、窓を割ったりドアをこじ開けた痕跡もない。つまり別のルートで侵入したと考えられる。でも地下は、地上に出る時に人の目に付く可能性が高い。となると残るは屋根の上だ」
カルナシオンが上を指さし、シノがそれを視線で追う。
地上の喧騒とは裏腹に、各建物の屋根や屋上は静まり返っていた。
「確かに、盲点になりやすいわね。でもこの国の建物は雪が積もらないように傾斜がついてるでしょ? 簡単に登れるものかしら?」
「多分、屋根の修繕を行うような専門職、または専門知識を持った人間だろう。火事を起こすための装置は屋根の傾斜を利用して転がした。これならある程度離れたところから放火出来るし、危険も少ないってわけだ」
【マズル預言書 ヘティの章】
ある盗人は捕らわれて、マズルの前へと進み出た。
「偉大なる指導者よ。私が盗みをする罪を貴方は裁くと良いでしょう。そうすれば私は明日のパンのことで悩まなくて済むのです」
マズルは盗人に言った。
「それは私が与えられた役目ではない。私はお前達に生きる術を与えた。それをどう使うかはお前達の自由である。人は生きる権利がある。私にはない自由を持つのだから」
繁華街が段々と賑わって来た頃、ミソギの足元を何かが通った。犬よりは大きく、猫よりは早い。擦り抜けた何かに対して、ミソギは一歩踏み込むと、その背中に手を伸ばして力任せに掴んだ。
建物の裏へ入り込もうとしていた何かは、甲高い悲鳴を上げる。ミソギの手の下で何やら暴れていたものの、そのうち諦めたように脱力した。
「どうした」
煙草を吸っていたホースルが視線を向ける。一部始終を見ていたはずなのに白々しい態度で、それが余計にミソギを苛立たせた。
「引ったくりだよ。あんた、自分の財布は無事だからって、見逃さないでくれるかい?」
「お前が引ったくりに遭うわけがないからな。現に捕まえただろう」
咥え煙草のまま、ホースルはミソギの手の位置に視線を合わせるように屈みこむ。
そこには鮮やかな碧眼を獣のように光らせ、まるで世の中全てを憎んでいるかのような目をした子供がいた。
「良い殺気だ。暗殺者にでも育てれば、良い金になる」
「どういう感想だよ。そいつが持ってる俺の財布、取り返して」
「あぁ」
ホースルが子供に手を伸ばすと、肌を刺すような殺気が一瞬だけ向けられた。しかし構わずに、薄汚れた服の中に手を入れて財布を奪い返す。
「あの赤毛が言っていた、子供の引ったくりか」
「そう。前も俺の同僚から財布抜いた癖に、全然懲りてないようだね」
「そもそも狙われる時点で、お前達の警戒心が薄すぎるのではないか?」
泥か煤で汚れた子供は、悔しそうにしながらも何も言わない。両手両足は生傷だらけで、五歳にしては体が小さい。恐らく栄養失調が原因と思われた。
「とりあえず放してやれ。猫の子じゃあるまいし」
「まぁ財布戻ってきたしね。ほら、もう行っていいよ。俺達は今、お前に構ってる暇ないんだから」
放り投げるようにして解放された子供は、小動物のような声を上げて地面に倒れる。しかしすぐに立ち上がると、ミソギに視線を合わせた。
「それ、なに?」
「え? あぁ、煎餅だよ。欲しいの?」
勢いよく頷く様子に、ミソギは溜息をついた。
「あげるから、さっさと何処かに消えてくれる?」
「ちょうだい」
「はいはい」
袋ごと放ってやると、子供は嬉しそうな顔をした。
「お腹空いたなら、教会に行けば食べ物くれるよ?」
「あそこの人はなぐるから嫌い」
「そう。じゃあ仕方ないね。でも軍人の財布盗むのはやめな。せめてこういう、ちゃらんぽらんな商人の方にしなよ」
ミソギはホースルを指さして言ったが、子供はそれを一瞥しただけで首を振った。
「そいつ強そうだからやだ」
「随分賢い子だな。少なくともお前よりは身の程をわきまえている」
「いちいち嫌味な奴だね。……何、もう食べ物はないよ」
煎餅の袋を抱えたままその場に立ち尽くしている子供に、ミソギは乱暴に言う。だが子供は怯えるでもなければ機嫌を損ねるでもなく、無邪気な様子で口を開いた。
「おじさんたち優しいな」
「おじ……っ」
ミソギは絶句するも、ホースルは「この年齢から見たらそうかもな」と寛容に受け入れた。
「さっき屋根の上で会ったやつは俺のこと蹴り飛ばしたけど、そんなことしなかったし」
「屋根の上? 何処にいたんだい?」
咄嗟に聞き返したミソギに、子供は右の掌を上にして差し出した。
「うわ、ちゃっかりしてるな」
ミソギは銀貨を一枚相手に与えた。子供はそれを握りしめると、明るい声で話し始める。あまり語彙力もなければ筋道も立たない言葉であったが、内容に嘘がないと判断した二人は、急いで繁華街の中へと走っていった。
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