8.バナナトースト
「どうしたのよ、カンナ」
管理部の書類を届けに来たシノは、やることもなさそうなのに椅子に座って呆けている幼馴染を見て、思わず昔の綽名で呼んだ。
「その女みたいな呼び方はやめろ」
「ごめんなさい。でも貴方の名前は長いのよ」
「爺さんに文句を言ってくれ。俺がこの名前にしたわけじゃない。……あの商人、書類読むの遅いんだよ」
後ろ手に指さした先には、灯りが点いた小部屋がある。シノが扉についた小窓から覗き込んでみると、ホースルが書類に目を通しているのが見えた。
「移民だから、読むのは苦手なんじゃない?」
「もう面倒だから返しちまおうかな」
「そうしたら? 読んでも覚えている保障はないしね」
「だな。そういえば、あの商人がお前のこと気に入ったみたいだぜ」
「嫌よ、なんか失礼な男だし。話し方も変だし」
「あー、話し方は普通になってたぞ」
「どういう意味?」
さぁ、とカルナシオンは肩を竦めた。
「気にすると多分疲れるぞ、あれ」
「どういう意味よ」
「疲れるから言わない。煙草吸って来る」
外に行こうと立ち上がったカルナシオンをシノが追いかける。
「ねぇ、お腹空いたんだけど」
「珈琲飲むか?」
「まだ死にたくないわ。シナモントースト食べたいから作って頂戴」
「太っても知らないぞ」
魔動力エレベータを使って下に降り、外へ向かう。一階にある雑貨屋は、そろそろ店じまいの支度を始めていた。
「トースト美味しいじゃない」
「じゃあ自分で作れ」
「自慢じゃないけど、うちの家族は誰一人として料理が出来ないの」
「お嬢様はそれで暮らせるんだからいいよなぁ」
雑貨屋の外にある灰皿の前で立ち止まったカルナシオンは、煙草を一本口に咥えた。
腰に下げた精霊瓶を握り、短い詠唱をして煙草に火を点ける。
「それに、お店のよりもカルナシオンの作ったやつのほうが美味しいんだもの。なんでわざわざ自分で失敗作を作らなきゃいけないのよ」
「まぁ俺もパンが消し炭になるところは見たくないなぁ」
煙を吐き出す。あと一ヶ月もすれば初雪が降る時期になるだけあって、体感温度は低い。
「新作考えたんだ。バナナシュガートースト」
「甘そうね……」
「バナナを温めると甘みが増すからな。欲しいか?」
「えぇ」
シノは暇つぶしについてきただけで、煙草は吸わない。そもそも、女性が煙草を吸うことはこの国では非常に稀だった。
「貴方のトースト作りの才能は大したものだわ」
「ふん。失業したら喫茶店でも開くか」
「珈琲が殺人レベルに不味いのに、喫茶店なんて開けるわけないじゃない」
「まだ皆の舌が俺の珈琲についてこないだけだ」
シノとカルナシオンは幼い頃から様々なものを競い合って来た。
魔法と勉強はほぼ互角。運動神経はシノが惨敗。裁縫は引き分け。絵はカルナシオンが惨敗。
そのように色々競った結果、トースト作りにとんでもない才能を発揮したのがカルナシオンだった。
以来、偶に食べたくなってはシノがねだるのが常習化してきている。シノは食べ物に人一倍興味があるわけではないが、お嬢様育ちで舌が肥えているため、折角食べるのであれば何でも拘るべきという固定概念があった。
「それにカルナシオンに喫茶店は似合わないわよ。刑務長官にでもなってるほうが想像しやすいわ」
「お世辞言ってもバナナは増えないぞ。給湯室空いてるよな?」
「この時間は誰も使わないわ。調査済みよ」
幼馴染があんまり期待した目を向けるので、カルナシオンはまだ殆ど吸っていない煙草を灰皿に落とした。
「あの商人にも持って行ってやるか」
「優しいわね」
「いや、もう五時間ぐらい籠ってるから、倒れられると迷惑だ」
「貴方、もう少し融通利かせたほうがいいわ」
二階にある給湯室は、シノが言った通り誰も使っていなかった。
カルナシオンは冷蔵庫を開けると、中から食パンとピーナッツバター、バナナを取り出した。パンを二枚、適当な皿に置きながらシノに声をかける。
「砂糖用意してくれ」
「バナナ切るのにナイフは?」
「面倒くさい。スプーンでいい」
大きめのスプーンでバナナを掬うように切り、パンの上に並べる。敷き詰めるように並べた後にピーナッツクリームをスプーンでたっぷりと塗り、平坦に均した。シノが用意した砂糖を、パンの縁に沿うようにかけ、準備が完了する。
「よし。縁をカリカリに焼くのが美味いんだ。どうする?」
「勿論、おすすめの焼き方で」
カルナシオンは瓶を掴むと、先ほどとは違う魔法を詠唱した。パンの周りを囲むかのように強い火が現れ、砂糖の焦げる匂いが二人の鼻をつく。
数十秒足らずで出来上がったトーストを、カルナシオンは満足そうに眺めた。
「一枚はあの商人。もう一枚がお前の」
「カルナシオンは食べないの?」
「俺はバナナの残りを食う」
腐りそうなんだ、と熟れ切ったバナナを指さして言うカルナシオンに、シノは肩を竦めた。
「食べきらないなら買わなければいいのに」
「新作を食べたいって言ったのはお前だぞ」
「断ってもいいのよ」
「嫌だね。新作が出来ませんって白旗上げるような真似は」
刑務部に戻った二人は、ホースルのいる部屋の扉を開けた。
そこには書類の山を前にしてうんざりしたように何かを呟いている男がいた。
「おーい。トースト食うか?」
「……この国ではバナナを食いながら人にトーストを薦めるのが流行っているのか」
「流行ってねぇよ。それより腹減っただろ? 作ってやったから食え」
差し出されたトーストを受け取ったホースルは、何度か匂いを嗅いだり、指先で突いたりした後に、一口齧った。
「どうだ?」
「……美味い」
「そうか。そりゃよかった。シノも気に入ったか?」
「えぇ」
我が物顔で部屋の隅の椅子に腰を下ろしたシノは、トーストを真面目な顔で頬張りながら頷く。立ったままバナナを豪快にかじっているカルナシオンとはまるで真逆な光景だった。
「それ食ったら、帰っていいぞ」
「まだ読み終わってないんですが」
「本当にお前がカタギなら、後からでも自力で覚えるだろ。違うなら、また此処で会うだけだ」
「なんかそれだと、俺がカタギじゃないみたいなんですが」
ホースルは苦笑いをしながら、トーストをかじる。
「少なくとも、今は予備軍だな」
「止めてくださいよ。ちょっとした認識違いなんですから」
「あら、本当に話し方変わってる」
シノが小首を傾げながら言うと、カルナシオンが「だろ?」と同調した。
「変なの。商人ってそんなに口調変わるの?」
「多分、こいつだけなんじゃないか。面倒くさいから聞かないけど」
本人を前にして言うような台詞ではないが、カルナシオンは気にしなかった。
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