烏城の中で

備成幸

烏城の中で

 朝露が庭土めがけてしみ込む様子を、金吾は縁側の柱に寄りかかって眺めていた。寒い、今日あたり季節外れの雪でも降るんじゃないか、といったことを考えているうちに、小さな口から漏れた吐息が曇り空へ散った。彼の親類はみなよく喋ったため、そのツケが回ったのか彼は無口で、二重のたれ目と色白い肌も相まって、女々しい陰険な印象。

 白い下着の上から羽織った直垂は、裏地に鮮やかなスカーレットを秘めていて、桔梗の表地にうっすらと紗綾形文様が浮かんでいる。不断長久を意味する文様に金吾中納言が袖を通すなんて皮肉めいた話だ。さて、直垂とはこの時代の仕事着であり、早朝から袖を通すようなものではないが、それも昨日の昼間から宴の賑わいが収まらなかったこの城ならば、うなずける。辺りは妙に静かで、二日酔の彼にはそれが心地よい。しかし、彼が良い気持ちになる度、その脳裏にはかつて親しかった備前中納言の顔が浮かんでいた。この男は同胞であった備前を裏切り、まんまと彼の拠点であった城を手に入れている。彼が烏城の黒天守の下で冬を迎えるのは、初めてのことであった。金吾が曇天に浮かぶ黒塗の城郭を見たときに湧き上がる感情は、罪の意識ではなく「ただの猿真似ではないか」といった備前に対する嘲笑だった。烏城の天守閣は、備前がかつて太閤への敬愛として大坂城を模して上から塗潰しており、この城郭を「忠義の証」とばかりに自慢する備前が滑稽で仕方がなかった。備前は豊家一門同様に扱われているが、彼にその血は流れていない。よって国王からの寵愛を受けようとも、如何なる官位を与えられても、備前のコンプレックスが消えることはなかった。備前の劣等感がべったりと染み込んだ黒い瓦のさらに上には彼の脆い自尊心が黄金の鯱となって向かい合っている。金吾はこの城郭よほど痛快だったらしく、この城に入ってより彼が弟に宛てた手紙において、この城のことを「烏の城」と表現している。先の寝返りについて、金吾は備前を嘲りこそすれ、一度も悪いと思ったことはない。備前の他に、治部少輔や刑部少輔に対しても、同等であった。

 徳川内大臣家康に、京にて備前中納言挙兵の知らせが届いたのは、内大臣が上洛を拒んだ越後中納言の拠点である会津に向けて進軍している最中であった。当然、二人の中納言は内通している。その時、内大臣はその場にいる皆に「京に人質がおる者は、無理をせず帰ると良い」と切り出した。これは内大臣最大の賭けのつもりだった。案の定、内大臣の心をつかんでおきたい山内対馬守などが「何を仰られます、我らは身命を賭して、内大臣様と共に、豊家を巣食う奸臣どもを成敗いたします」と言い出したのを皮切りに、皆は団結して内大臣に味方した。が、その中で一名のみ真田安房守は彼の言葉に虫唾が走ったらしく離脱し、彼の拠点である上田へと引き上げた。それと同じく、金吾中納言もまた治部や備前の言葉に強い嫌悪感を覚え、この時点で彼らを半ば見限っていた。甘言を並べられると無性に腹が立つ金吾の性質は、幼い頃より彼の家がじっくりと育ててしまった魔物である。太閤の政治において、その甥である関白秀次や、秀保が不審な死を遂げているのを誰よりも近くで見てきた金吾にとって、人が行動を起こす際にはやましいことを考えているに違いない、という理屈が実るのは不思議なことではない。それゆえに金吾は、「亡き殿下への義」などとぬかす治部少輔と備前中納言のことを信用するに至らなかった。大坂城で檄を飛ばした備前らの理屈を引用すれば、内大臣は亡き太閤殿下の御遺言に背き、政を己の好きなように操っている大罪人である、とのことだ。赤と黒で誂えた具足の上から、背に家紋である違鎌が大きく染められた朱の陣羽織に袖を通し、床几に座する金吾は、脳裏で自分たちが内大臣を成敗した後の世を思い浮かべたが、そこには内大臣のいた席に備前と治部がいるだけ、ということに気が付いた。それより金吾には、備前と治部がただ世を乱す愚者として瞳に映すようにした。とはいえ、彼には内大臣もその愚者の一人としか思っておらず、結局のところ、この二大勢力における彼の居場所は無かった。

彼はその後、内大臣を追い落とせると鼻息を荒くする備前と共に、京における政治の中心である伏見城を攻め、無事城を陥落、大将の鳥居を討ち取った。この時点で、金吾は散々と内大臣側に寝返るように、と催促を受けていたが、金吾は答えを出さなかった。そもそも彼には、寝返る以前に「備前らと同じ組織にいる」という感覚が無く、言ってしまえばはなから備前や治部の側につくつもりはなかった。とはいえ、周囲の者が甘言を並べて結託していく様を見ているうち、いつしか自分の周りはそう全て備前治部派で固まってしまい、御身のために付き従わざるをえなかったのだ。そのため彼は、自分が安全に裏切ることができるまで息をひそめることにした。心うちでふつふつと、どちらにつけば得かを計算しながら。

決戦が終わった直後の彼の心は、秋空に負けぬほど爽やかに澄んでいた。何度目を醒ましても、酒を呑んでも、自分の行いに非があったとは思えない。冬が近いというのに、彼の心には一足早く春がやってきたような温かさだった。

 しゅそ、しゅそ、と袴を床に擦る音が聞こえたので首を回すと、家臣の平岡石見守が目の下にどっぷりくまを作り、口元に笑みを浮かべていた。

「御屋形様。内府様からの使者がお見えで御座ります」

「おや、なんであろう。兎角、会おう」と返したが、彼は内心「遅い」と笑っていた。あの関ケ原での戦は、今後の日ノ本全国の在り方を左右する決戦だと言って良い。その戦の勝敗を、あろうことが自分が決めてやったのだ。あの時自分が松尾山から刑部少輔の陣に攻めかかるよう指示を出したからこそ、内府は江戸で太鼓のような腹を反り返らせていられるのだ。金吾中納言はすぐに石見守を連れて大広間へと足を運び、その上座へと腰かけた。使者は黒い着物の上からグレーの肩衣を羽織っていて、肩衣には徳川の葵紋がふたつ並んでいる。彼は金吾が入ってきたのを感じると、よりいっそう頭を下げた。使者は「内府様よりの書状を持ってまいりました」と伝え、懐から蛇腹におられた紙を取り出し、それを広げ、掲げた。そして彼は、いかにも伝令だけで食い扶持をもらっているような淡々とした口調で手紙の内容を読み上げると「とのことで御座ります」と加え、書状を金吾に向けて差し出した。

 金吾は絶句した。内府は自分に感謝をするどころか「決断に時間がかかったのは叱咤すべきところだが、終わり間際に味方したので、許してやる」という無礼な文を送り付けてきたのである。書状を差し出す使者を左から見ていた石見守も口を開け、ことの真意を求めるように金吾に目を配った。金吾はうっすらと、自分の顛末を目の前の葵紋に感じて、下半身から首筋にかけて寒気が走った。彼は主家にこそ不忠不孝であれ、国家国民に恥じるようなことをしたつもりはない。内府はこれから、全国の大名らの力を削ぎ落して行き、この国に戦を起こせるような強固な国は無くなる。それを思えばこそ、自分は内府にその理想を実現できるように手助けしてやったというのに。とはいえこの段階で、金吾は「内府は礼儀を知らぬな」と、思うだけであった。無論、石見守をはじめ多くの家臣は不満を覚えていたが、だからといって自分が戦を起こしては本末転倒ではないか、と金吾は諫め、城の改修や寺領の安堵といった領内の政に積極的に取り組み、周囲の熱意を発散させようと考えた。

 ちょうど、烏城の堀を拡大する普請を初めた日の夜である。雨音を聞きながら絵地図を見ながら一人で思案にふける金吾のもとに、元々彼の重臣で鉄砲頭の松野主馬が、濡れた落ち葉を踏みながらやってきた。既に主馬は、遠出の支度を整えており、金吾は「主馬」と驚いて絵地図を落とした。この男は、金吾が東軍に寝返ろうとするのを良しとせず、戦場を離脱するとともに小早川家を出奔していた。彼はこの男が、自分を謀反人と呼んで斬りかかるのではないかと、慌てて立ち上がり、ゆっくりと自分の太刀へ手を伸ばした。それを見た主馬は笠を取り、庭に膝をつけて頭を下げた。

「某、明日より田中筑後守様にお仕えいたす所存」

 筑後守は先日、戦場から脱走していた治部少輔を捕縛した男である。金吾の心に、怒りが沸き上がった。決戦においてこの男は自分のことを「ここまで不義を働く将がおられただろうか」とまで言い放ち、戦場を離脱した。その言葉を金吾は噛みしめ、己がどれほど天下万民のために尽くそうとも、このように思う輩もいる、と自分に言い聞かせた。その主馬の理屈で言えば、彼は大坂城に駆け戻り「我が主は裏切り者でございますが、某は違いまする」と申し出るのが筋。それがこの男は、内府に尻尾を振る筑後守のもとへ駆けたのだ。しかし主馬はまるで「お互い様」とでも言いたげな目つきで、血管の浮き出る金吾の顔色を窺っている。金吾は主馬が、筑後が治部を捕らえた時の武勇伝など語ろうものなら、自分は憤怒の任せるままにこの男を斬ってやろうと考え、太刀を手にした。嫌な汗の滲んだ手で鞘を掴んだので、多少滑る。それを力でねじ伏せ、金吾は縁側の上から主馬に声をかけた。

「何故、戻って参った。よもや、士官先を知らせるために隠れ潜んでいたわけではあるまい」

「金吾中納言様。心中、御察し致しまする」

 金吾にとっては、内府も治部も、愚者でしかない。その彼にとって、主馬という男が自分の心中を察するなど侮辱でしかなく、当然ながら金吾の白い肌に青筋が刻まれた。

「黒田殿や福島殿などは、内府様が手を取ってまでお褒めいただいたそうですが、金吾中納言様に左様なことはされますまい」

「内府の腹の底など、わかっておったわ。元より、奴に褒められようなどとは思うておらぬ」

「では誰が褒めるのです。よもや、石田治部少輔などが「敵ながら天晴」とでも言うてくださるとお思いですか」

「称賛など不要だ」

 金吾は刀身を表すと、一瞬のうちに縁側から裸足で庭へ飛び出し、雨の中主馬の左肩からわき腹にかけてを両断した。しかし、手ごたえがない。主馬の躯は気味の悪い笑みを浮かべたまま、ぬかるんだ地面に沈んでいった。気が付けば金吾は、どこか果てしなく泥にまみれた場所へ立っていた。鉄の錆びたような臭いが鼻を突きさし、あたりには何人かの躯が主馬と同じく沈んでいる。全員が蛆のわいた顔でこちらを睨んでいた。

「愚者どもめ。内府も今頃、同じ夢を見ておるわ」

 金吾は太刀を逆手に持つと、うち一つに突き刺した。気づけば躯は消え、雨の降る庭の中で彼は立っていた。見渡すと、暗闇の中で烏城の影がそこにある。そして、家臣たちが自分に獣を見るような目を向けていた。金吾は太刀を鞘にしまいながら、今頃田中筑後守の下にいるであろう主馬を思い浮かべ、鼻で笑った。

「大事無い。悪霊を斬ったのだ」とでも言えばよいものを、彼は生まれついての無口から、家臣共が避けた縁側へと上がり、そのまま就寝した。

 翌日から、家臣どもは金吾をあからさまに避けるようになった。金吾が普請の話などをしようとしても遠ざかり、影で噂をするようになった。金吾の裏切りによって関ケ原で死んだ、刑部少輔が呪っているというものである。金吾はあの晩のことをよく覚えていない。何やら無礼なことを言われた気がしたので刀を走らせたが、気のせいだったのだ、と釈明したが、家臣らが信じる様子はなかった。金吾は自分がかかわると政が進まないと気づき、その日から政務の一切を、側近の石見守に委任することにした。行政は石見守に任せたとはいえ、最終的な決断を下すのは金吾であり、夜になると石見守が金吾のもとを訪れ、やれ堀を大きくしよう、など話し合うことになっていた。金吾はこの側近の石見守には絶大な信頼を寄せ、自らの小刀を拝領したこともあり、特に現状に不満を抱こうとはしなかった。だがある日、石見守が部屋へやってくると同時に頭を下げた。

「金吾様、今後一切の政は、この石見にお任せくだされ」

 石見守の口調は重々しく、己でも自分の命を削って口を動かしているようだった。

「実は某がこうして金吾様と共に話しているのを勘づかれまして、誰もが「金吾中納言様の命など聞けるわけがない」と申しました」

「どういうことだ。俺の政は、そこまで頼りなかったのか」

「金吾様は悪霊に憑かれて乱心されておられる故、とてもまともな指示など出せるわけがない、と」

「バカバカしい」と笑い返す気力は既に無く、金吾の白い手から杯が落ちた。彼はぼんやりと畳を見つめながら、ただ石見守の言葉に首を上下に動かす人形と化した。彼は全てに裏切られ、気づけば石見守もいなくなった部屋の中で、冬の風に吹かれながら延々と酒を呑んでいた。

 彼の乱行を耳にした北政所は、彼を大坂城へ呼び出した。たまにはゆっくりと茶を飲みながら、話したいという。母同然の彼女に呼ばれては行かぬわけにはいかず、金吾は鹿毛にまたがった。供を連れようとしたが、石見守他、皆多忙と断ったため、彼はあろうことか一人で大坂へと馬を走らせることになった。

 大坂に向かう際、彼は一度も烏城の天守閣を見ることができなかった。姫路を過ぎるまでにも、多くの人々を追い越し、すれ違った。もしも自分の決断が無ければ、茶屋で主家について語らう武士二人も、畑で息子を叱り飛ばす農夫も、威勢よく家屋の屋根に釘を打ち付ける大工も、今頃戦場へ駆り出されていたやもしれない。だが、彼らは自分のことを、人面獣心の卑しい裏切り者として見るだけなのだ。彼らは自分の意志や心情など、一度も考慮することなく、延々と自分に指をさし続ける。

「大政所様は、辛かったでしょう、と言ってくれるかな」

 時は九月二十二日。関ケ原の戦いから、一週間が経過している。


 完

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