第一章

一 『ランドール・ノクス』

 ランドール・ノクスはラーテナ王国の参議の一員である。元は王都における建築組合の幹部だった。名家の出身ではなく、平民の出である彼がこの地位に就いたのは異例の出来事である。


 ノクス家は建築家の家系である。血筋の人間全員が建築業に携わったわけではないが、長男として生まれたランドールはその道を期待されていた。もっと正確に言えば、期待よりも当たり前だと思われていた。長男が家業を継ぐという事は、世界中のどこであろうと一般的な常識である。特別な事情が無い限り。


 ランドールには特別な事情があった。ただ、その事情が傍からはおろか、身内にすら理解できず、本人にしか理解出来なかったため数多くの騒動を引き起こした。

 ノクス家以外にも建築の家系は多数存在する。それぞれが得意とする分野や技術なども、同様に様々だ。しかし、共通している事柄が一つある。

 それは傲慢的な職人気質である。どの家も腕に自信があり、それが行き過ぎて他家を暗に嫌うようになっていった。

 それぞれの家が受け持つ地区が存在していた。暗黙の不可侵条約が締結されており王都民のみならず、王室ですら工事を命じる際に配慮していた。

 その様な状態はランドールが生まれた時から既に出来上がっていた。

 ランドールは生まれた時から存在している世界の姿が、自然な姿であるとは考えない人間として生まれた。


 世間の人間からしてみたら、随分とひねくれた性格の人間が生まれたと取られるかも知れない。しかしそうではない。ランドールはただ、純粋な目を持ち、素朴な疑問を抱く人間だった。


 建築の家系同士が冷戦状態にあるとしても、他家に負けてなるかと切磋琢磨し、それが王国の発展に繋がるのであれば特に問題は無い。寧ろそうであれば、ランドールは大人しく鋸を握っていただろう。

 先に述べたが、家系により一長一短である。短所の改善は即ち、その地区を担当する家系が技術を向上するまで忍耐強く待たなければならないという事だ。

 馬鹿げている。実際はもう少し汚い言葉を使ったが、ランドールはこの現状に気づいた時、そう吐き捨てた。

 そのためランドールは、大人しく鋸を握る事を拒んだ。ランドールが見たいのはノクス家の苦手克服ではなく、建築技術の発展した世界だった。

 建築の家系を纏める必要があるとランドールは考えた。不得手を心得るならば、その道を知る者に教わる必要がある。その様な考えを理解する人間は、ランドールの周りにはまずいなかった。


 ランドールは多くの書物を読み漁った。王国の建築技術を発展させる術について、家族は教えてくれないからだ。

 そのため、過去の賢人達が相談相手であり、建築技術の師匠であった。

 ランドールが書物から主に学んだことは、人々を纏め上げるにはどうしたら良いのかである。その他、建築に関わることは勿論、一見すると関係無い様なことであっても興味を抱けば学んだ。実際、それは見識を広げることに大いに役立った。

 ただし、ランドールは全く建築の技術を身に着けなかった訳では無い。

 身体に技術を身に着けるというのは、本からは得られない知識があったからだ。何より、纏め上げる対象の人々との共通言語であると、ランドールは認識していた。

 そして、家族から教えを受けるというのは、ノクス家ならではの家族の交流があり、絆を育むことであった。


 ランドールが三十二歳の時、王都建築組合の会合にて遂に行動へ移した。


「王都東商業区である〈貝殻広場〉の整備案がある。これを各家で分担して作業にあたってほしい」


 その場にいた誰もが度肝を抜かれたが、一番衝撃を受けたのはランドールの父だろう。〈貝殻広場〉を受け持つのはノクス家である。それを唐突に他家に明け渡して、手を加えてくれと長男が言い始めたのだ。

 当然、首を縦に振る者などいなかった。自分達が受け持つ地区なら、自分達で始末をつけろ。何故、お前が勝手にその様な事を決める。誰もが一斉にランドールを非難した。

 次にランドールが口にした言葉は、建築家系の誰もが口にしたことの無い言葉だった。


「ヨーク家の石工技術は素晴らしい」


 会場は沈黙に包まれた。


「ノクス家の技術は未だ、ヨーク家の領域まで到達していない。武骨な石達が非常に滑らかな肌に生まれ変わり、緻密な採寸の元で精密に切り出されている。〈貝殻広場〉の石畳は荒れている。馬車の往来が多いが、車輪が破損する事故も多い」


 誰もがランドールの話に耳を傾けていた。ランドール自身の技術力は高くない。しかし多くを学び、その純粋な目で他家の建築を見ていた。彼は正当に評価することが出来た。

 家族から技術を学んだ事も役に立っている。想像し、設計し、加工する。そして建築することの何と難しいことか。上手くいくことなど少ない。

 建築大工としての技量が低い分、ランドールはノクス家や他家の技術力を見て尊敬の念を抱いていた。


「ノクス家も当然、誇れる技術を持っている。他家より優れる面もあれば、劣る面もある。どの家もそうだ。では、自分達の家系は何が劣る? 何が優れている? どうしたら、短所を改善することが出来る? どうしたら、長所をより広げることが出来る? その問い掛けが〈貝殻広場〉の荒れた石畳に現れている。建築技術はそれぞれの家系のものではない。それは我々が歴史の中で生み出した赤子だ。それを育み、その恩恵を受けるのは我々の暮らしであるべきだ。どうかそれを思い出してほしい。今一度、この国の建築について考えてほしい」


 こうして、その日の会合は終了した。それぞれが家路につくなか、ランドールはその日、家に帰らなかった。

 翌日、ランドールは〈貝殻広場〉の石畳を眺めていた。先週は無かった穴があることに気づいた。行き交う馬車をぼんやりと眺めていた。

 結局、その日は誰も訪れなかった。それはランドールにとっても想定内の事であった。構想の段階ではなく、形にならないと分からない問題というのがある。だから、何事も無く上手く建築が進むというのは少ない。

 次の行動に移るために、ランドールは家に戻った。先ずは、家族を説得しなければならない。


 ランドールが帰らなかったのは、家族に考えを整理してもらいたかったためだ。その時にランドールがいては、感情が揺さぶられるだろうと考えて帰らなかった。

 ランドールは家族を避けていたわけではない。寧ろ、家族と一番に話し合わなければならないと考えていた。

 何も悪びれることなく、真っ向から対立するつもりもない。ランドールは真摯な姿勢で家族の元へ戻った。

 ランドールを待ち受けていた光景は意外なものだった。家族がランドールの構想が書かれたパピルス紙を、机に広げて眺めていた。


「明日の朝から全員で向かう」


 ランドールの父親は短く、それだけをランドールに伝えた。

 次の日、ノクス家は〈貝殻広場〉の荒れた石畳に向かった。港に船は到着していないというのに、朝の時間帯から〈貝殻広場〉は多くの人で賑わっていた。

 人だかりに近づく程、その理由がはっきりしてくる。荒れた石畳を囲む顔馴染み達の輪に、ノクス家も加わった。


 そしてランドールはこれまでに無い、とても充実した時間を過ごした。初めて家族と同じ目線で会話が出来た。

 これを切っ掛けに王都の建築・建設事業は、一つの案件に各家が混成してあたるようになった。

 最初の頃は意思疎通に問題があった。喧嘩が絶えない現場もあった。ランドールはよく、仲裁に出向くことがあった。

 建築の家系同士が繋がり合うことで、商流も広がって行った。管理や運営の幅も広がり、建築組合の仕事も増えていった。その中心を担っていたのがランドールである。


 目覚ましい発展の立役者がランドールであるということは、王室の耳にも届いていた。評議会の参議による提案と推薦により、ランドールは参議の仲間入りを果たした。

 今、ランドールは建築だけでなく政治という、ノクス家の歴史に無い世界への参入を果たしている。




 ランドールは朝早くに起こされ、小会議場に座っている。グルズ山から調査隊の一人が帰還したためである。

 これが新たな試練の始まりの合図であるとは、ランドールはまだ気付いていなかった。

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錬金術師と無翼の竜 夜塑肇 @yaso-hajime

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