飢えと贄

サルティオ

第1話

 彼が少女と出会ったのは雪の降るひどく寒い時期だった。その村は蓄えもあまりなく、この冬にいくらかの犠牲も出ようかというくらい貧しい土地であった。このような辺境の村に彼が訪れたのはおそらくはたまたまであったのであろうが、彼自身の呪われた運命がそうさせたのは疑いようもなかった。


 今年で5歳を迎えたその少女、クリャーネは、その小さな体にあまりにも過酷な呪いを受けていた。それはこの土地に古くから存在している忌まわしきもので、それを身に宿して生まれた子供は5歳の誕生日を迎えるとともに一切の食事が出来なくなってしまうというものである。正確には、本来食物から得られるであろう栄養のすべてが肉体に溜まらなくなるという呪いである。つまり、どれだけ食事を摂ろうとも身は痩せ細っていき、徐々に生気を失い、いずれは死に至るというものである。この呪いはかつてこの地に住まう悪魔と当時の村人が土地の実りを得るための代価として支払う事となったものと言われており、この呪いを受けた子供が飢えの果てに死したのちには大いなる恵みが得られるとされている。ゆえに、村にとっては望まれて生まれた奇跡の神子であると同時に、両親にとっては死の約束された忌むべき呪いを身に宿した子供ということである。


 クリャーネは大人しく物静かな少女であった。子どもらしい快活さはなかったが、好奇心旺盛な性格のため両親や村の大人たちにくっついてはあちらこちら歩き回りあれは何、これは何、と問いかけてくるのだった。時にはそんなクリャーネに困らされる事もあったが、基本的に聞き分けのいい子どもであったため皆に好かれていた。そんな何気ない日々を過ごしながら少しずつ成長していくクリャーネだったが、5歳の誕生日を迎えてから徐々に彼女を取り巻く世界は変わっていくのであった。

 

 最初に変化に気付いたのは彼女の母親だった。誕生日翌日にクリャーネを起こすために彼女の部屋を訪れた母親はベッドに横たわる彼女を見て思わず悲鳴をあげた。彼女の口からは前日に食べたささやかながら奮発した夕食がうまく消化されずに吐き戻されており、腰周りにも同様に消化不良の状態で漏れ出た大便と思しきものがあった。明らかな娘の異変を目の当たりにした彼女の母親は、取り乱しながら娘の下へと夫を呼び付け、対応を迫った。混乱気味の妻をなだめながらクリャーネの父親は村唯一の医者を家に呼び、娘を見てもらった。

「本来食事で得られるであろう栄養が一切得られていないようです。それどころか、昨晩の食事で口にしたものが消化しきれておらず、拒絶反応を起こしています」

 医者は夫婦の顔から少し目を背けながら続けて言った。

「お二人にとっては残念ですが、おそらく彼女は呪いに選ばれていたのでしょう」

 その言葉を耳にして、母親はその場でひざをついて泣き崩れ、父親は医者の胸倉を掴んで叫んだ。

「お二人にとって?お二人にとってってなんだよ!あんたたち他の村人にとっちゃクリャーネは他人かも知れないが俺たちにとってはかけがえのない一人娘なんだぞ!」

 父親は硬く握った右拳を振り上げたが、その拳を振り下ろすことなくゆっくりと解いた。こうなっては仕方がない。誰にもどうしようもない。土地が恵みを取り戻し村が潤う。頭では分かっていた。理解はできても納得はできなかった。どうして自分の娘が。答えなど出ない疑問が頭の中でぐるぐると巡っていた。


 それからのクリャーネは食事を摂ることも出来ずにただ飢えていった。初めのうちはなんとか出来ないかと食事を与えていた両親だったが、嘔吐や下痢で苦しむ娘の姿を見てやめることにした。それでも娘が空腹を訴え苦しむ様を見るのはこの上ない地獄でなぜ自分たちがこのような仕打ちを受けなければならないのかと神を呪う日々を過ごした。


 クリャーネが5歳の誕生日を迎えて数日が過ぎたころ、村で騒ぎが起きた。娘のことで心身ともに疲弊しきっていた夫婦は、はじめは外のことに無関心であった。だが、次第に大きくなるざわつきが気になり、少しだけ外の様子を見てみることにした。

 家の外に出てみると村の中央あたりで住人たちが人だかりを作っており、何やら騒いでいた。事態の確認をしようと近づいてみると、遠巻きにできた人だかりの中央に黒い塊のようなものが見えた。遠くから見えたそれは2メートルほどの巨大な影のようで、靄か何かをローブのように纏っている様に見え明らかに異質な存在だった。娘の事があったせいか、どこか納得のようなものがあった。人だかりに混ざっていた村長がクリャーネの両親に気付くとこちらに近づいてきて彼らに言った。

「以前、旅の者に聞いた生け贄を喰らう怪物と思われるモノが現れた。山を越えた彼の地では生け贄を出さなかった事により恐ろしい呪いや病が振り撒かれたとの事だ」

 村長が言葉を選んでいるのが伝わった。

「いずれにせよ辛い事だとは思う。だが、このままクリャーネを村に置いていても苦しむ姿を見るだけだ。ならば生け贄としてアレと共にこの村を去らせるのはどうだろうか」

 村長の言う通り、もう苦しむクリャーネを見ているのは二人とも堪えられなかった。

「クリャーネにはアレが村に戻らぬよう、また、喰われぬよう着いていけと。そう言われるんですね」

 語気を強くしてクリャーネの父親は言った。分かってはいたが、そうせずにはいられなかった。

 村長は、ゆっくりと首を縦に振り、小さくすまないと漏らした。


 両親に連れられ村を出たクリャーネは、後ろからゆっくりとついてくる黒い塊についてたずねた。困った妻の顔を見た夫は、娘の視線の高さに顔を合わせて言った。

「クリャーネ。父さんと母さんはこれから一足先にこの山を越えたところに行っている」

 娘の視線に追わせるようにゆっくりと、今自分たちが向かっている山を指差した。

「クリャーネにはあの黒い塊と一緒に目的地に向かってほしい。父さんたちもクリャーネと一緒に行きたいが、アレはクリャーネとじゃないと着いてきてくれないんだ」

 父親は娘の肩に置いた手に力を入れながら言った。

「一人で不安かも知れないが、クリャーネにしか出来ない事なんだ。お前にしか出来ないんだ」

 父親は震える声をグッと抑えた。

 全てを察したのか、ただただ素直だったのか、クリャーネは首を縦に振って頷いてみせた。

「すまない。本当に、本当にすまない」

 精一杯の言葉を娘にかけながら父親はこれから旅立つ娘を力強く抱きしめた。

 

 先に行く両親を見送ったクリャーネは一人残されて戸惑った。父親に言われた事を全うしようと幼いながらに考えたクリャーネは、ゆっくりと自分のもとへと向かってくる黒い塊のもとへと向かった。そして、おもむろに手を差し出すとその黒い塊の側面部分をぐっと掴んだ。彼女なりに考えた結果、先ほどまで両親にしてもらっていたように手を握って行こうと考えたのだった。手はおろか、足や胴も曖昧なためクリャーネも少し戸惑ったが、よくよく見ると顔のような部分に目があるためちゃんと見えているんだなと少し安心した。

「お父さん、お母さん、向こうにいるから」

 父親が指差した方へとクリャーネも小さな指で指し示した。

 じっと見つめるだけで何の反応も示さない黒い塊を見て、クリャーネは小さな子どもに問いかけるように声をかけた。

「言葉は分かる?話したりできないの?」

 先ほど同様ただ見つめるだけの黒い塊に少し腹が立ったクリャーネはもういいと言って引っ張って先を急ごうとした。

「・・・エ・・・・・」

 かすかに聞こえた音にクリャーネが向き直ると、ゆっくりと声を漏らした。

「ウエ・・・」

 呻き声とも取れるそれは確かに黒い塊から聞こえていた。

 ゆっくりとクリャーネが繰り返す。

「ウエ?」

 再びはっきりとそれは発声する。

「ウエ・・・」

 間違いなくそこから聞こえる音にクリャーネは少し嬉しくなった。

「声はちゃんと出せるのね。私はクリャーネ。あなたの言う通り飢えて死にそうよ」

 クリャーネはため息交じりに言葉を交わした。

「キュリャ・・・ニェ・・・?」

「ク、リャ、ア、ネ」

 ゆっくりと自身の名前を繰り返す。

「ネの発音だけずいぶん近いようだけど・・・」

 少し呆れ気味につぶやいた。

「ク・・・?キュリャ・・・?」

 クリャーネの言葉を追うように黒い塊が発声する。

「・・・ニェ!」

 最後だけ聞き取りやすかったのか、自信ありげに発声する。

「分かった。もうそれでいいよ。どうせ呪いの生け贄だしね」

「ニエ!ニエ!」

 認められた事が嬉しかったのだろうか。黒い塊は繰り返しニエと発声した。

「私がニエなら、あなたはウエで良いわよね。はじめにウエって喋ってたし」

 会話とは言えないものの、コミュニケーションを取れたことに嬉しく思ったクリャーネは彼にウエと名付けて呼ぶことにした。


 少しだけ互いの理解を深めたクリャーネとウエは、クリャーネの父親が指し示した山を超えるためまっすぐと進んで行った。

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