「映画が神であればこそ」第9話『パーフェクト ストーム』
ミニシアター『ノイエ・キネマ』の近くにある『うてな喫茶店』は正直、 そこが喫茶店だと知らないと古い一軒家にしか見えない。
入り口からして四枚の引き戸で、昭和初期の駄菓子屋みたいなのだ。開いていればまだ判るが、ほとんど閉まっている。初見で判る方が凄い。
おまけに看板も手旗のごとく小さい。
何度かここで撮影をしようと考えたのでアキトシは存在を知っていた。
中は明治時代の喫茶店のよう。少し古ぼけた漆喰の壁や木製の引き戸がいい味を出している。奥の格子窓から見える植物も素敵だ。わざわざ小さな庭に仕立てているらしい。ノスタルジックな雰囲気を出すには最高のロケーションだ。
入って左手に木製のカウンター。右手には本棚。カウンター席以外は小さなテーブルで背もたれの低い木製肘掛椅子が囲んでいる。
後で二人くると説明して、奥の席を三人席にしてもらった。
「おまたせしましたー」
しばらくして大鳥がやってきた。隣にはさっきまでイベントのゲストとして登壇していた七谷稟冶がいる。
「あ、どうも……」
「初めまして」
たどたどしく挨拶したアキトシに対して、稟冶は端的な返事だった。
なぜ、こんなことになったのか?
不思議でならない。商業監督デビューした男が、アマチュアの映画監督志望でしかない男となにを話すというのか?
「監督、この人がお話させてもらった映画監督を目指してる杵渕明敏さんです」
一応、質問のとき、最後の最後に勇気を振り絞って手を挙げたが、時間になってしまって終わってしまった。それを見て大鳥が気を利かせてくれたらしいが……それに稟冶が応じたのも謎すぎる。
「あ、杵渕です。よろしくお願いします」
名刺入れを小さめのショルダーバックから取り出し、一応のつもりで作っておいた名刺を渡す。
稟冶もズボンのポケットから皮の名刺入れを取り出した。
「どうも、七谷稟冶です。よろしくお願いします」
渡されたのは端の折れた名刺。ビジネスマンとしては少し問題がありそうだが、いかにも天才監督という感じがしていやらしい。
計算してやっているわけではなさそうだが……ムシが好かない。おまけに名刺は恐ろしいほどシンプル。白地に制作チームの名前と『七谷稟冶』の表記だけ。
観る人が楽しめるように、そして覚えて貰えるようにと、いろいろ工夫をこなしている自分が馬鹿みたいだ。
「ゴテゴテしてるな……」
名刺の感想をズバリ言われた。フレームの外から小石を投げられたような気分。
「わたしは好きですよ。裏と表をひっくり返したらツイッターの鳥が羽ばたいてるように見えるとことか」
大鳥の一言。天使がいた。
「アニメ的な」
隣には悪魔が。
さっきのイベントで稟冶が言っていた『実写とアニメは違う』の発言が心をひっかいている。
「とにかく、座りましょっ。もう頼まれました?」
メニューのことだ。
「あ、揃ってからってお願いしといたんで」
「じゃあ、さっそく決めましょう。監督はなにがいいですか?」
「コーヒー。ブラックで」
メニューを見るまでもない感じ。もうブラックコーヒー以外は飲み物ではないとまで言いそうだ。
「ブレンドとコロンビア・スプレモ、エチオピア・モカ、他にも今月のコーヒーがありますよ?」
種類があった。こういうときの決め打ちはなんとなくかっこ悪い。少しだけニヤリとしてしまうが、そんな程度でしか優越感を得られない小さな自分が物悲しい。それだけ稟冶という存在が、自分にとって負けたくない相手という裏返しでもあるのだが……
「ブレンドで」
「わたしはミルクコーヒーがいいかな? アキトシさんは?」
「えっと、オレは…………オレも、ブレンドで……」
いろいろと悩んだのだが、無難なところに落ち着いてしまう。稟冶と被ったのも悔しい気がした。思わずため息が出る。もっとでかい男になりたい。
「他いいですか? じゃあ、すいませーん、注文お願いします」
「さてさて、じゃあ、アキトシさん。最後に手を挙げてましたけど、なにか監督に聞きたいことは?」
いきなり話題に切りこんできた。
「え……そうだなぁ……」
質問はいろいろ考えた。ただ、なにを聞こうか迷いまくったので手を挙げるのが遅くなったのだが、いざ、なんでも聞けるとなると混乱する。
それに、質問をいろいろ考えたせいで、最終的になにを聞こうとしていたのか忘れてしまった。
質問力こそ人を光らせる研磨剤だと思っている。たぶん、稟冶も同じ考えのはずだ。
だからこそ、下手な質問はしたくない。
映画の細かいテクニック、カメラワーク、企画の作り方、資金の管理、コンテの作り方……いや、そんな学校で習えることをいまさら聞いてどうする?
聞くなら、彼にしか聞けないことを聞くべきだ。
「……なにを考えて、映画を撮ってるかかな……?」
そう思うと質問は自然に出てきた。
映画に従順な男が、自分の命を自分で掴めと言った男が、なにを語るのか聞きたいのだ。
稟冶は、ぐっと姿勢を低くしながら視線を上げる。ナイフのような目つきが一層、鋭くなった気がした。
「……映画のことを考えてますね」
一瞬、思考が停止した。
当たり前すぎてびっくりしたのだ。
だが、よくよく考えれば、これこそが映画信者の答えだ。一周まわってここへ辿りついている。
世界平和とか、人間賛歌とか、そういうものでない。
映画が神であればこそ、映画を撮っているときは映画のことだけを考える。
なるほどと思わずにいられない。
「当たり前じゃないんですか?」
大鳥が一言。これには稟冶も苦笑いを浮かべていた。
「そうなんですよ」
ただ、そこにアキトシは質問を重ねた。
「なら第一作目の『ティーンズ・ミュージアム』の時は『ティーンズ・ミュージアム』のなにを考えて? 次作の『ハローワーク・ブラッド』のときは? 『ゼッコウ症候群』のときは?」
「ぜんぶ観てるんですね。面白くなかったでしょ?」
「逆にどこが面白くなかったのか教えて欲しいくらいだよ」
年下ということと、ライバル視している対抗心から、ついタメ口になってしまった。
しかし、人が面白いと思ったものを、いきなり否定してくる相手に気を遣う必要はない。
「全力を出し切れてない、完璧じゃないのに、それで満足してくれてるなら嬉しいですね」
どこまでも人を馬鹿にするのか?
「一作目の『ティーンズ』のときは確かに粗削りな部分もあっただろうさ。舞台の美術館なんてチープそのものだ。だけど、女子高生の制服が並んでる美術館の耽美さと妖しさ、ミステリーの仕掛け、凶暴で純粋な心や葛藤の描き方。一級品だよ! 足りないものがあったとするなら予算だろ!」
熱が入ってしまった。しかもライバル視している男の作品に対して。ハラワタを煮えたぎらせてる火が、全力で顔から飛び出しそうだ。
「高く買ってもらってますね」
向こうは冷静そのもの。それがまた負けた気分にさせてくれる。
「そ、そりゃ……」
ライバル視しているから……とは言えなかった。
「『ティーンズ・ミュージアム』のときは女子高生のことばかり考えてましたね。女子高生の生活とか、化粧とか、観てるテレビとかインターネットとか……制服とかも着てみました」
「制服、着たんですか! わー、それ見てみたいです! 下着とかも?」
「徹底しますから当然ですね。性転換も考えましたけど、お金がもったいないんで、そこはやめました」
ギャグのように聞こえるが、本気だったのだろう。
そこまで行くのか?
そこまで『映画』に己を捧げられるのか?
思わず生唾を飲みこむ。
自分が考えていること、触っていることは、表面だけということ?
――稟冶は、本物の怪物だ……
頭の熱がひいていく気がした。
大鳥もすごさを感じたのか、それとも単純におもしろいと思ったのか、目を輝かせている。
「じゃあ『ハローワーク』のときはハローワークに通ったんですか?」
大鳥が僕の質問を継いだ。
「通いました。後ろで仕事を見させてもらったり、別のところに仕事を探しに行ったりしました」
「実体験を加えるんですね!」
「空論で語られるより説得力がありますから」
話がどんどん弾んでいく。
それだけ自分の居場所は失われていく気がした。
自分は沈没しかけの船にいるのだ。
早く逃げなければ溺れ死ぬ。
このままでは、映画監督になるどころか、映画を撮れなくなる気がした。
稟冶のものと比べると、自分の作品など子供の遊戯のようで恥ずかしいから。
映画を創るのではなく観るだけにすればよかったと、思ってしまいそうだ。
けれど、いきなり立ち上がって逃げ出す勇気はない。
それに逃げ出せば敗北を認めたことになる。
心を強くしたい。
逃げ道のない完璧な嵐の中でも、絶対に生還するのだと思える強靭な心になりたい。
また、涙が溢れそうだった。
そんな矢先、電子アラームが大鳥から聞こえた。
「……っと、あれ、ごめんなさい。アラーム……? ってしまった!」
アラームを止めると、そそくさと大鳥は荷物をまとめ始める。
「すみません! わたし、この後に用事があったので、この辺でお邪魔しますね! あとはお二人で! ほんと、すみません!」
「へ……?」
アキトシは思わず呆気にとられる。
稟冶と二人きりで話をする?
頼りの船が沈没し、着の身着のままで嵐と直面しろと言われた気がした。
そんな嵐――稟冶は静かに一口だけ、コーヒーを口に含んでいた。
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