「映画だから」第10話『荒野の決闘』

 古い民家を、そのまま喫茶店に変えたようなお店『うてな喫茶店』は、穏やかな空気を醸し出すなごみの空間だ。


 なのにアキトシのテーブル席だけ荒野の様相をていしている。


 ピリピリと肌に電気が走るような感覚がある。呼吸が浅いせいでしびれているのだろうか?


 思わずコーヒーを一口。


 向かいに座る七谷稟冶も同じようにコーヒーを飲んだ。


 アキトシがライバル視している新進気鋭の映画監督。通っていた学校の一年先輩で、二つ年下の男。


 敬語がいいのか、くだけた方がいいのか……一応、相手は商業映画監督なのだから敬意を示すべきだが、妙なプライドがそれを邪魔している。


 しかし、相手を認められない小さな男にはなりたくない、という意地が、アキトシに敬語を使わせてくれた。


「あ、ど、どうしましょうか? この後……」


 恐る恐る言葉をかけるアキトシ。会計は大鳥が済ませてくれたようなので、帰ろうと思えばすぐに帰れる状態だ。


 稟冶は口を覆うような手つきでメガネの位置を直す。


「もう聞きたいことはないんですか?」


 稟冶はまだ自分の質問会に付き合ってくれるらしい。


 これが不思議でならない。


 そもそもデビューしたてとは言え、商業映画監督がアマチュア映画監督のためにわざわざ時間を取ってくれるというのが謎すぎる。


 学校時代にしっかり知り合っていれば可能性はあるだろうが、稟冶がそもそも自分のことを知っているとは思えない。


 人とあまり関わらないということも、学校の噂で知っている。


 孤高の天才だったのだ。


 いや、過去のものではない。現在進行形。


 孤高の天才なのだ。


 そのせいか、少しだけイライラしているように見える。


「……じゃあ、なぜオレに付き合ってくれてるんですか? アマチュアを相手にしたって得にならないんじゃ……」


 稟冶が目をそらした。


「……別に。ボクなんかとは話たくないですか?」


「え、いや、いろいろ聞きたいけど……あっ、聞きたいですけど……」


「だったら別に気にしなくてもいいでしょう? それに敬語はいいですよ。ボクのは癖みたいなものなんで」


「いや、そういうわけにも……」


「学校の先輩後輩ですけど、年はそちらの方が上じゃないですか」


「…………あれ? そ、そうだっけ?」


 不意に稟冶から自分の情報が出てきたので、驚きを隠せない。


 なぜ知っている……と聞く以前に誤魔化しの言葉を選んでしまった。


 稟冶は、自分のことを認識していた?


 しかも学校時代から?


 いや、ひょっとすると大鳥が先に話しているのかも知れない。


 どちらにしろ心臓が止まるかと思った。


 気を付けなければ、どんな飛び道具が、いつ飛んでくるか判らない。


「無理はしなくていいですよ。自然体の方がボクも得をするんで」


 つまり、人間観察のために付き合ってくれている?


 だとすれば、確かに無理に敬語を使わない方がいいのかも知れない。


「……なんか、ちょっと失礼な感じで気になっちゃうけど……」


「大丈夫ですよ。ボクは気にしないんで」


 ああいえばこういう。


 からかわれているような気もするが、稟冶の元々の性格なのだろうと思い始めている。しかし、イライラしているように見えるのはなぜだろうか?


「……一番大切なものが判らないときってどうすればいいか、聞いても?」


 気にしても仕方ない。気持ちを切り替えアキトシは質問を再開した。


「比べればいいかと」


「比べる……?」


「そうです」


 短く言って稟冶はまたコーヒーを一口飲んだ。


 詳しくは教えてくれないのだろうか?


 試されている?


 ……いや、なんとなく判ってきた気がする。


 天才だからこそ『短い言葉で相手に伝わる』と思っているのだ。


 たしかに時間をかければ自分で考えられるだろう。


 ただ、今は暗闇の中から抜け出たい。


 マダピーに言われた『なにが撮りたいのか』を見つけ出したい。


 アマチュアがもたついていれば、それだけ全員の『やる気』が失われる。


 日々の生活に追われるようになり、映画を撮るどころではなくなっていくのだ。


 時間がない。


 ここで食い下がらなければ。


「……なにと比べれば?」 


 稟冶の視線が上がった。意外な質問をされたような顔だ。


 やはり『比べればいい』と言っただけで判ると思っていたらしい。


「……そうですね……大切なものと大切なもの、ですかね。そうすれば『これだけは譲れない』ってものが見つかりませんか?」


「大切なものと、大切なもの……」


『一番』の大切なことを見つけるのだから『大切なもの』同士を比べれば『一番大切なもの』が見つかる。


 なるほど。言われてみれば簡単なことだ。


 焦るあまり思考停止に陥っていた。


 悔しいが、事実だ。


「……案外、人は『あたりまえ』に気づかない……ってことか」


 ぽろっと口に出た。頭のどこかで映画に使えるのではないかと考えたらしい。


「……なるほど。いいですね、それ」


 稟冶が真剣な顔つきで言う。


 思わずアキトシは首をひねった。


 今の会話の流れで稟冶のセリフ、態度の変化は明らかにおかしい。


 直観だが、自分の思考が読まれたのだと感じる。


 稟冶が一方的に『伝わる』と思っていたこと。


 それをアキトシが理解した上で、プライドを捨てて聞いたこと。


 そして『あたりまえ』ということが、いかに簡単で難しいことなのかを実感し、映画の題材、セリフに使えると考えたこと。


 すべてをトレースされたのだ。


「監督も『あたりまえ』に気づかなかった」


 精一杯のカウンター。『あたりまえ』の価値を共有するための言葉でもある。


 稟冶の片眉だけがピクリと動いた。


「……少しは、話せるみたいですね」


 一を聞いて十を知る。


 そういう相手でなければ話さないと断言した。


 これだから天才は恐ろしい。


 できない人間の気持ちなど考えもしない。


 だが、ライバルだと思っていた相手。そうでなくては困る。


「監督は、そういうのが趣味なんですか?」


 いつも思考の追跡をして、楽しんでいるのか? と聞いた。


「でも、そうでなくては困ります」


 さっき考えていた言葉が、まるまる相手から出てきた。思考の追跡どころか、読心術でも心得ているかのようだ。


「映画だから」


 アキトシと稟冶が扱っているものは。


 そして、映画には人生が詰まっている。


 人の気持ちを理解しないで、なにが語れると言うのか?


「映画ですからね」


 言葉を少なくして相手の思考を読み合う『遊び』が面白くなったのか、稟冶は少しだけ笑って見せた。


 アキトシも、つい口角が上がる。


「最初の質問……答えたくなかったんですが……」


 稟冶がまた、メガネの位置を直した。


 穏やかだった目は元の鋭い目つきに変わる。


 最初の質問とは、たぶん『なぜ自分の相手をしてくれるか?』だ。


「……恩師に言われたんです。あなたの映画を観ろと」


 なにを言われたのか理解できなかった。


「絶望しかけましたよ」


「オレの、映画……?」


「卒業の一作。まだ観てません」


 急に肌が粟立った。


 震えが尻から脳天にかけて突きあげてくる。


「でも、映画は、まずシアターでしょう?」


 商業に乗っていないアマチュア作品は観ない。


 遠まわしに、そう告げられた。


 悔しい気持ちに火が灯る。


 だが、受けて立つ。


「適当に撮った映像を適当に流すくらい、小学生でもできる……」


 きっと、稟冶はこのくらいのことを言いたいに違いない。


 ニヤリと笑った稟冶はゆっくり立った。


「『映画』楽しみです」


 早く新作を撮れ。


 間違いでなければ……間違いでなければ、ライバルから『同じ土俵に立て』と言われたのだ。

 稟冶はアキトシを置いて店を後にした。


 まだまだ見下ろされている。それはそれで屈辱だが、どことなく片思いが両想いになったような嬉しさもあった。


 気持ち悪い気もするし、楽しくて仕方ない気もする、そんな複雑な気持ちを掴み出すようにアキトシは自分の胸に手を当てた。


 ――やってやる。


 今までにないほどの強い気持ち。


 自分は、自分が天才と思った相手に観られている。


 負けられない。


 少なくとも、恥ずかしい真似はできない。


 ――絶対、すぐに追いついて、追い越してやる……!


 いてもたってもいられず、その日アキトシは全力疾走で家に帰った。

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