「映画を撮る上で大切なこと」第8話『第三の男』

 大阪、中崎町にある『ノイエ・キネマ』を彩るイベント。


 それを告知するチラシは凶器であった。


 アキトシの心を怯えさせるのには充分な威力を持っているからだ。


 ――新進気鋭の若手監督たちが語る、これからの映画界。


 ここ最近の若い監督を日ごとに呼び、最新作を鑑賞。その後に新人だからこその目線で映画界のことを語ってもらうイベントのようだ。


 そのゲストの一人こそ、アキトシが専門学校時代にライバル視していた一年上の先輩であり、二歳年下の男『七谷稟冶』。


 稟冶は専門学校のときから目立っていた。


 専門学校の上映会で流れる映像には、不思議と「あ、コイツ出てくるな」という空気を感じるものがある。


 その理由は脚本であったり、カメラワークであったり、役者の演技であったり、判りやすいことが多い。


 しかし、稟冶の映像は一味も二味も違った。当時、彼は二年生に上がったばかりなのにだ。


 彼の映像は『情報の密度』が違う。


 つまり演出、ロケハン、編集などの技術が上ということを意味している。そこに脚本、カメラワークが加わる。


 いわば、役者の演技を抜いた総合力が群を抜いていたと言える。


 最初にこの映像を観た時、なぜ「すごい」と感じるのか判らなかった。


 正体を突き止めたのは二年間の勉強後だ。


 以来、アキトシは稟冶のことを天才だと思うようになった。


 実際、目の前で流れている彼の作品は学生時代よりも磨きがかかっている。


 どこを見ても妥協がない。


 映画の内容はCDが売れなくなり、音楽業界が厳しくなったうえでなお、音楽の道を目指し、四苦八苦する若者たちの物語だ。


 音楽に対する愛や途中に出てくる暴力の悲惨さ。生活の匂いに家庭環境。どれを見ても身につまされるほど、入りこんでしまう。


 そこにあるのは徹底的なディティールの作りこみ。


 とくに感心したのは風呂場の水垢だ。自分も一人暮らしをしていてシャワーしか浴びない。そのせいで風呂場にはオレンジ色の水垢がついているのだが、それが妙にリアルだった。


 汚れを描いたのか、それとも場所を探したのか……どちらにしろ、そこに気づき用意できるのはすごい。一見、どうでもいい箇所だが、そこから毎日の暮らしが見える。こだわるからこそ、作りこむ場所だ。


 ただし、アキトシは『彼のすごさ』が判る。相手の力量を見定められ、どんな技術を駆使しているのか判るならば、彼と戦えるはずだ。


 それなのに、今、自分は客席に座り、彼が登壇するのを待っていた。


 惨めと言わないで、なんと言おうか。


「それでは、イベントの方を始めさせていただきたいと思います」


 スクリーンの前にある、舞台と呼ぶにはいささか便りない、小さな段差の上で支配人の大鳥がマイクを使ってしゃべりだした。


 統一感のない拍手の中、出入り口から稟冶が入ってくる。


 久々に見た。


 黒い服に黒い髪……相変わらず人を刺し殺せそうなほど鋭い目つきだ。病的な体の細さも恐ろしさを感じさせる。


 その視線が一瞬だけ、こちらを見たような気がした。


 一方的にライバル視しているだけで、相手は自分のことを知らない。


 それもまた、悔しかった。


「今日はお越しいただきありがとうございます」


「……いえ、ボクなんかで喜んでくれる人、いるんですかね?」


 いきなりのネガティブ発言。少しギョッとする。


「ここに来てくださってる方々は喜んでくださってると思いますよ?」


 ――オレはあんまり喜んでないけど。


 心の中で一応、反論しておく。大鳥に直接は言えないが。


「……まず、今の作品以外でボクのを観てる方ってどのくらいいるんでしょう? ほとんどいないと思うけど……」


「またまた。わたしは観ましたよ?」


「まぁ、でなきゃ呼んでくれたりはしないでしょうから、それは判ってます」


 割と面倒くさい男だ。ちょっとだけ呆れる。


「じゃあ、来場された方で監督の他の作品をご覧になった方、挙手をお願いしちゃってもいいですか?」


 大鳥も大鳥でなかなか危ない質問をする。これで誰も手が挙がらなかったらどうする気だろう? 最悪の空気になってしまう。


 しょうがないのでアキトシはうつむきながらも手を挙げた。


 ちらりと横目で回りの様子を探る。


 前にも横にも手を挙げている人が多少いた。さすがに全員ではないようだが。


「お、やっぱりそれなりにいらっしゃるじゃないですか」


「ありがとうございます」


「……あ、えっとでは……」


 お礼の後になにか言葉が続くと大鳥は考えたのだろう。一瞬、間が空いた。アキトシも同じように、他になにか続けて喋ると思っていた。


 思った以上に口数が少ないのだろうか?


 学校では、話す機会がなかった。在籍期間が一年しかかぶっていなかったし、上級生との交流も少なかったからだ。


 考えてみると、ライバル視している男の人柄を見るのは、これが初めてかも知れない。どれだけ一方通行の思いなのか。ますます情けない。


「これからの日本映画について、監督はどうお考えですか?」


 話が本題に入ってきた。


「……若い人に聞くっていう趣旨なのは判りますけど、ボクが語るようなことなんですかね?」


「業界に入った新人さんの方が面白い視点を持ってるときってあると思いますよ?」


「若さゆえの無知とも言えなくないですか?」


 厳しい返しだ。大鳥のことが心配になるが、彼女は楽しそうに笑っていた。


「それはそれでひとつの視点ですよ! というわけでぜひお願いします」


「……そうですね。他の有名な監督もおっしゃってましたが、基本的に邦画は下火です。ヒット作もありますが、主にコミックの実写映像化やアニメ化です。オリジナルの映画はかなり厳しい」


 実際に二〇一六年の邦画は一位から一〇位までアニメか、コミック原作の映画だ。大ヒット作『シン・ゴジラ』は違うが、あれも特撮と言われる、世の中ではアニメに近い部類で認識されている作品。


「監督はアニメがお嫌いなんですか?」


 大鳥はけっこうきわどい質問をする人なんだなと改めて思った。


「アニメは好きですよ。実際にいろいろと観てます。ただ、僕が撮ってるのは人間で、絵ではないんですよ」


 その言い方に思わずアキトシはうなずいた。


「絵には絵の表現があって、それを実写でやるのは、ちょっと違うんです。写真と絵画が同じ土俵かって言ったら違いますよね?」


「そういえば、写真が世の中に現れるまで、絵画は正確に風景や人物を描写するのも仕事でしたけど、それが変わったって聞いたことがあります」


「そうです。肖像画家のレンブラント、風俗画家のフェルメール……それらを経てマネ、モネの印象派が出てきたんですよ」


「それはどうしてですか?」


「写実主義は写真には敵わない。なら、絵には絵でしかできないこと……つまり、想像や印象……主観を描くことによって活路を見出した」


「そこから、絵と写真は別の道をたどったと言う感じですか?」


「ですね。ただ、日本はもともと絵が独特であったし、空想を入れるということを浮世絵でやっていた。ファンタジーを描くのは日本のお家芸と言えます」


「なるほど、そんな時代から……」


「結局、映画もそうです。アニメにはアニメにしか、漫画には漫画にしか、小説には小説にしかできない表現があります。絵の方が空想を描くのには向いていて、写真の方が現実を描くのに向いている。そういう違いがあります」


 大きくうなずくしかない。


 しかし、ひとつ反論するとすれば、実写でファンタジーを描ければ、絵にはない説得力を出せる……という点だ。


 ただし、チープな作りだと視聴者は納得しない。違和感ない世界づくりには膨大な予算がいる。悩みの種だ。もちろん、アニメはアニメで人件費が大変だろうが。


「結局、なにが言いたいかと言うと、別のメディアの原作に頼らざるを得ない状態が悲しいですね」


「なるほど。なぜ、原作に頼らなければならないんでしょうか?」


「原作の持っている知名度の問題もありますが、才能が散らばっていることが一番の理由です」


「才能が散らばっている、ですか?」


「サブカルチャーの種類が増えたため、ひとつの世界に才能が集まりにくくなってるんですよ。物語が描ける人は映画でなくとも小説、漫画の世界へ。絵が描ける人はイラストレーターやアニメの世界へ。造形やカメラについてもゲームの世界へ。あえて手間のかかる映画の世界を選ぶ人は少ないんじゃないですかね?」


「あれ、でもそれなら他のメディアから原作を引っ張ってきても問題はないんじゃないですか? 散らばった才能を集めるというか……」


「原作がもともと『映画を想定して描かれたもの』ならいいでしょうが……そうでないなら、元のメディアに合った表現をしているので、映画化するとズレが出てきます。そのズレにみんな敏感ですね。とくに原作ファンは」


「だから原作付き、アニメ映画とオリジナル映画を別に考えられるわけですね」


「はい」


 原作付きであっても映画に適した形に直し、かつ原作も大切にする監督はちゃんといる。そこもフォローしてあげて欲しかったが、稟冶にはあまり関係のないのだろう。


「とにかく、業界は映画に対して失礼ですね」


「映画に対して失礼……おぉ、なるほど」


 映画のために才能を集める気概がない業界へ、怒りを向けているようだ。


 それは映画を創作物として扱っているのではなく、神として扱っているような言葉に聞こえた。


 いや、実際そうに違いない。


 彼の中心は自分ではなく『映画』なのだ。


 思わず唾を飲みこんだ。


 自分だって気持ちも技術も負けていないと思っていた。


 けれど……やはり差があるのだ。


 一方が登壇する側で、一方が客席に座っている側というのは。


「もっといろいろ聞きたいところですが……最後に、映画を撮る上で大切なことなど聞かせていただけますか?」


 最後、という単語に意識を呼び戻される。


「数えきれないほどたくさんありますが……ひとつ言えるとしたら『使うにしろ捨てるにしろ、自分の命を自分で掴め』ですね」


「命ですか?」


「簡単に言えば『一番大事なもの』ですよ」


 心臓が急に委縮した。


 稟冶の言葉は、前の日に大鳥がアキトシにくれた言葉と同じだ。


 むしろ、大鳥の言葉は稟冶の言葉だったのだろうか?


 大鳥の目が輝いている。


 稟冶が急に怪物に思えてきた。


 若き才能という称賛も、監督という地位も、舞台の上の椅子も、大鳥の横も……


 自分が欲しがっているものをすべて蹂躙して根こそぎ持っていく恐ろしい存在。


 息が苦しくてたまらない。


 恐ろしくて、自分が情けなくて、辛くて、悲しくて、怒りくるってて、それでも憧れてしまうようで、悔しい。


 そんな混沌とした気持ちが喉に絡まっているのだ。


 ぐったりと全身から力が抜けていく。まるで死んだように。


 目頭の熱さだけが、生きていることを教えてくれている。


 情けない。


 泣くな。


 自分にだって、なにか勝てる部分がある。


 今は判らないだけなんだ。


 だから、お願いだから、涙よ、流れないでくれ。


 男なんだぞ!


 必死に願ったはずなのに、涙は頬を伝っていった。

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