10.小鹿と大狼
それから不思議なほど、変死体の事件は止まってしまった。
警察が調査をし、当時表沙汰にはならなかったものの、今回と同様の変死体として処理された案件を含めると、被害は十数件にも上った。断続的に行われていたらしい殺人は、今後も続くと思われたのだが。
「ぱたっとやんだな」
有馬が疲れたようにため息を吐いて、スペアの眼鏡をきれいに拭いた。目を閉じて、眼鏡を取り換える。直接視線を合わせてはいけないから、人の多い場所で眼鏡を変えるとき彼はいつもこんな面倒な動作をしている。
「本当にきれいになくなりましたよね。有馬さんたちのほうで何の情報もつかめなかったんですか?」
小鹿は昨日検挙した、光化症能力者による痴漢の報告書をまとめながら有馬に聞いた。小鹿は担当から外れたものの、隣の席の有馬は件の事件の担当になっていたはず。数名の刑事とともに、聞き込みやら調査やら、犯行予測やらを行っていたようだったのだが、このところ暇そうにデスクに座ったままだ。テレビでも変死体のニュースはすっかり消えてしまって、社会的に忘れようとしているようだった。
(最初に発覚してから半年くらいしか経っていないはずなのだけど)
移り変わりは早いものだとひっそり息を吐く。有馬は肩をすくめて、「なあんにも」と答えをくれた。
「大狼さんの推理から、それ以上はねえな。犯人が女性だろうことは明白だが、被害者たちに共通する女性像が浮かばない。密着するほどの関係性となれば、共通点が見つかるかも、と思ったんだがな。共通点がなさすぎるんで、売春や水商売のほうにも手を広げてみたんだが……これといった情報はない」
お手上げ、お手上げ、と有馬は本当に両手を上げて、そのままぐっと伸びをした。
「大狼さんもこれ以上は情報得るの難しいだろうって。一応、光化症研究所からのデータとかは見せてもらったんだけど、あそこ患者特定できるような情報ないしなあ」
「そうなんですよね。まあ、今のご時世じゃ難しいかもしれないですが」
一応、有馬たちは問題の内臓光化の診断を下した病院へ赴き、事情聴取を行ったらしい。研究所にデータはなくとも、病院には残っているはず。昔の診断とはいえまだ五年前のことだ。だが当の病院にも患者のデータは残っておらず、目ぼしい情報は得られなかった。当時在籍していた看護師が「先生のご友人の診察、と聞いたような気がするけれど」と曖昧な記憶を呼び起こしてくれたが、件の医師が三年前に他界しているため、結局何も見つけることはできなかった。
「せめて少しでも、変な光化症の噂とか、そんなのがあればよかったんだけど」
恨めしそうに有馬が言って、そりゃそうだろうなと小鹿は頷いた。心臓の光化、小鹿も一度見ただけだが、確かに内臓光化は外面的な光化と違い、光化部位が分かりづらい。不自然でない程度に服を着れば光だって漏れないし、気づかれることはまずないだろう。それも女性の胸だ、自分から見せない限り暴かれることはないし、自分から見せることはまずない。
(結局、目的も何もわからぬままか……)
光犯課の中でも、これは迷宮入りだろうという空気が強くなっていた。今なお続いている連続殺人ならばそれでも捜査し続けただろうが、現状止まっているのなら優先順位は下がっていく。有馬は並行して別の案件を任されたと言っていたし、他の担当刑事も同様だった。
「迷宮入り、ですかね」
はっきりと声に出して、小鹿は問う。有馬は答えずに肩を竦めただけだった。
(はたしてそれで、大狼さんはいいのだろうか)
考えるのは大狼のことだ。あれほど事件について興味を示し、のめりこんで調べていた大狼は、未解決となりそうな事態をどう受け止めているのか。
「まあ、大狼さんもお手上げ状態だったしな……遺体の発見がせめてもう少し早ければよかったんだけどな。数日経ってから発見される例が多いし、唯一すぐに発見されたホテルの件でも、病死と処理されたがためにすぐに捜査はできなかったし……鑑識も何の情報も得られなかったんだから、ヒントが少なすぎるよな」
有馬はそう言うと、パソコンの電源を落として立ち上がった。そろそろ行かねえと、と呟きながら、小鹿の肩に手を置く。
「まあ、小鹿も自分の仕事あんだし、あんま他のことに気を取られすぎないようにな」
軽く笑われて、有馬が部屋を出ていく。小鹿はぼんやりとその背中を見送ってから、大狼さんはそれでよいのだろうか、と、繰り返し考える。
(それでよいのなら、別に、)
小鹿がどうにかできる問題でもない。ただ少し気になって、小鹿もまた、席を立った。
すっかり来慣れてしまった光犯研究室は、今日はテレビも点いておらず、珍しくデスクではなくソファに座った大狼がコーヒーを飲んでいた。
「やあ、そろそろ来るんじゃないかと思っていたよ」
扉の前に現れた小鹿に驚くこともせず、手を招いた大狼に従い部屋に入る。ガラス張りの小部屋だから、科捜研を訪れただけで小鹿が来たとわかってしまう。いっそ小鹿の来訪を待っていたような口ぶりに、小鹿は戸惑いながら「そうですか」と頷いた。
大狼がソファに座っているので、小鹿は手持無沙汰に立ったまま。背の高い小鹿が立っていて、小柄な小鹿が座っているとなれば、目線の高低差はいつもより大きかった。ぐい、と見上げる大狼の顔をぼんやり見つめて、その顔に疲労がないのに安堵する。
(心配してたわけじゃない、んだけど)
「わかってたんですか?」
「君はこの件に関して、というよりも、俺のこの件へのかかわり方について、些か納得いっていないようだったからね。推理するまでもなく、近いうちにやってくるだろうと予測していたし、正直に言えばもう少し早く来ると思っていた」
違うかい、と大狼は首を傾げる。小鹿は違いませんと同意してから、大狼の目の前まで歩み寄った。
「ならお聞きしますが。結局のところ、大狼さんが何をしたかったのか、俺はいまだにわからないままです」
大狼が何をしたくて……何を求めていたのか? そのために小鹿は振り回されて、余計な心配ばかりをした。大狼は困ったように眉尻を下げると、「ああ、そうだろうな」と口の中で呟いた。一番最初から、大狼がこの事件について小鹿に話をした時から、小鹿はその問いを口にしていた。
「初めに答えたとおりだよ……俺は彼女の能力に興味があった。強制的に成長を促進させる、という能力は脅威だ。小鹿くん、一つ昔話をしたいんだが」
言いながら、大狼は軽い動作でソファの端に座りなおす。一人分、スペースの空いたソファを見つめて、大狼を見た。隣に来て座れ、ということらしい。躊躇ったのは一瞬で、けれども言われたとおりに座り込む。対面から隣に移動すると、大狼は満足したように笑った。
「八生さんの能力について知っているかい」
問われたのはそんなことだった。
「八生さんの能力ですか……? 知ってますけど、今は関係のない、」
「いいから答えてくれ。八生さんの能力は、どんな能力だと思う?」
奇妙な質問に気圧されて、小鹿は考える。
小鹿の脳裏に黄金に輝く八生の足が浮かぶ。まばゆい足は、触れた先から根を生やし、緑豊かな植物を生んだ。八生が歩いた先はまるで魔法のように草木花が咲き乱れ、きっかり三分経つと枯れ消えてしまうのだと、いつだったか教えてくれたのは大狼自身だ。
その通り、答えると、大狼は「大まかにはその通りだ」と頷く。答えに間違いはない。
「間違いはないが、実は大きな情報が抜け落ちている」
大狼はじっとコーヒーカップを見つめていた。茶色い液面に大狼の顔が写っている。八生によく似た顔だ、髪を伸ばして女装をすれば、きっと小鹿も八生と区別はつかないだろう。声は大狼のほうが低く男性的であったけれど。
「八生さんの能力の構造はやや複雑だ。八生さんの足は……触れたものから〝何か〟を奪って、奪った〝何か〟で植物を生やす」
「何か?」
「俺は生命力、と呼んでいる」
大狼は力なく笑うと、コーヒーをテーブルに置いた。かつん、と陶器とガラスのぶつかる音が響く。今日は静かな空間で、大狼と小鹿の声ばかりが聞こえていた。ガラスの小部屋は防音性に優れているから、外の音は聞こえない。今はそれが少しだけ疎ましかった。
「実のところ、七年も研究していながら、八生さんの能力についてはその全てを解明できていない。実際問題、君の能力についてや、他の者の能力についてもそうだ。イレギュラーな要因で引き起こされたイレギュラーな能力について、俺たち研究者は探っても探っても答えを見つけることができていない」
前置いてから、大狼はこちらを向いた。
「八生さんの足は……触れたものから生命力を奪って、奪った場所から根を張り植物を生やすのだ。生やした植物を経由して、さらに別のものから生命力を奪っていく。奪われすぎると命を落とすし、そこまでいかずとも、心身に影響を与えてしまう」
俺のように、とは、ぽつりと零された言葉だった。
「……大狼さんがちい……小柄なのは、八生さんの近くにいたからということですか?」
小鹿は問うた。大狼は頷きも首を振ることもしなかったが、沈黙は答えだ。話が続く。
「ただ、吸収できる対象は何か一定の法則があるのか……選別されているようだった。俺はおそらく血縁で、八生さんのもっとも近くにいたからだろう。得た生命力は一体何に使われているのかと調べたら、八生さんの中に蓄積されているとわかった」
大狼はそのまま、軽く笑って「俺としては、それでも別にかまわないんだが」と言った。小鹿もさすがに話が読めず、首を傾げる。大狼は話しておきながら「理解しなくていい、それでいい」と頷くと、ぱちん、と一つ、頬を叩く。
「俺が彼女の能力を研究したがったのは、彼女の能力構造が八生さんのそれと限りなく似通っていたためだ。成長促進、と俺は言ったが、鼓動を媒介に対象の〝時間〟を奪っているに過ぎない。奪われた対象は奪われた分だけ老いていく。過ぎれば死ぬのは自然の摂理だ」
「……じゃあその、奪った〝時間〟は、彼女の中に?」
「おそらくは蓄積されているだろう。憶測でしかないが、彼女の外見は七年前、能力が発現して以降一切変わってないのではないだろうか」
大狼は言いきって、再び小鹿を見つめる。ふろうしゃ、と、小鹿の口が音を出さずにゆっくり動く。大狼は頷いた。
「彼女の奪う〝時間〟と、八生さんの奪う〝生命力〟は限りなく似ているものだと俺は予測している。八生さんも八生さんで、七年前からほとんど姿を変えずに過ごしているのだ。彼女も同じと考えれば、症例が一つ増えたことになる」
そこまで言われて、小鹿にも大狼の目的の一端が見えてきた。つまるところ、結局は、
「八生さんを治してやらねばならない。俺はそのためだけに光化症研究を始めて、ここにいるのだ」
そうですか、と頷く声は少し震えていて、情けない色を帯びていた。知ってはいたけれど。予測はしていたけれど。
(じゃあなんだって、八生さんはあんなに、大狼さんとの間に壁を築くのか!)
兄としての責任なのか、もっと別な要因があるのか。現時点で小鹿には判断できず、また聞き出そうとも思わなかった。それ以上、は、もっとデリケートな問題である。
(俺はそこまで大狼さんと親しいわけじゃない)
むしろ、この目的を話してくれたことだけでも感謝しなければならなかった。小鹿の気持ちのつっかえを取るためだけに、きっと触れてほしくないだろう話なのに。
「だがまあ、めぼしい情報は得られなかったがな。今回は俺の負けだよ、小鹿くん」
完敗さ、と、肩を竦めて大狼は笑った。
ふと、その顔がいつか見た八生の笑顔と重なる。八生もこんな風に、ちっとも楽しくなんかない様子で、困ったように、曇りがちに笑うのだ。ああそっくりだ、と小鹿は思って、情けないような、やるせないような気持にこぶしを握る。
小鹿はそれきり何も言えず、少し迷って、大狼の頭をぽん、と撫でた。右の掌、手袋のしていない素手のほうで、柔らかな黒髪を撫でる。あの時八生には、触れることができなかったけれど。
「あんま無理、しないでくださいね。それからあんま、一人で溜め込まないでくださいね」
言えば大狼は驚いたようにこちらを見上げた。きょとんとした瞳に自分の困った顔が見える。それから、くしゃりと顔を歪めた大狼が、うん、と一つ頷いた。
「きっと、きっと善処しよう」
lonely liar 佐古間 @sakomakoma
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