第10話 カースト上位の中学生たちの人生が再開するうようにと願ってたわたし自身の人生はどうすればいいんだろうね?

「カナエ、お遣い頼まれてくれんか」

「えー。また時間外?」

「そう言うなよ。ちゃんと交通費も支給するから」

「何当たり前のこと恩着せがましく言ってんのよ。あんまり適当なことやってると労働基準監督署に告発するよ」

「お。難しい言葉知ってんじゃんか」

「伊達に前の会社で就業規則の更新やらされてた訳じゃないんだよ」

「そんなことまでさせられてるのにリストラされたのか」

「言わないでよ」


オーナーの今回のお遣いはまたも平日の夕方近く。

今度はポピーの市内にある税理士事務所に一ヶ月分の伝票の束を届ける、っていうただそれだけの仕事だ。別になんてことはない。

当たり前だけれども、オーナーは経営者だ。会社ではなく、個人事業主と呼ばれる類の一人親方だ。他のライブハウスがどんどん淘汰される中で件生き残った実力はあるので、ポピーは売り上げも仕入れもそれなりに金額が大きい。

売り上げは日々のチケット収入がメイン。仕入れはドリンクや軽食の材料がメイン。ディスカウントストアやスーパーの買い出しで回せるレベルではなく、ちゃんと卸業者を使ってる。買掛の伝票管理も大変なので確定申告のために顧問税理士を持ってる。それがこれから行く『たなべ税理士事務所』だ。

なんでも税理士事務所には珍しく、夫婦で経営しているらしい。ダンナも妻も税理士のセンセイ、ってことだ。

へっ、と成功者への僻み根性旺盛なわたしに向かってオーナーが一言だけ情報をくれた。


「センセイらしくない人たちだがら安心しろ」



「いらっしゃいませ」


あれ? 間違えたかな?

バス停を降りてすぐに見つけた商業ビルの2階。

わたしを出迎えたのはセーラー服を着た女子高生だった。


「え、と。駅裏にあるライブハウスのポピーです」

「あ、ポピーさんですか。いつもありがとうございます。田辺は今接客中ですので、しばらくこちらでお待ちください」


如才ない、というのだろうか。とても気持ちの良い応対をされたので、却って気持ち悪く感じるわたしはやっぱり僻み根性の塊ということか。パーテーションで仕切られた応接スペースに通され、すぐにその女子高生がお茶を出してくれた。その所作の一連が、なんというか、とても大人に見えて正直わたしは驚いた。

つい、訊いてしまった。


「先生の娘さんですか?」

「わたしですか? いえ、アルバイトです」

「へえ。高校生ですよね?」

「はい。フタショーの3年生です」


あ。じゃあ、わたしと同学年だ。ちなみにフタショーとは、二神商業高校。今では県内で1つだけとなった商業高校だ。なんだかまた僻み根性が出てきて自虐的な質問をする。


「フタショーだったらもう就職決まってるんでしょうね」

「はい。なんとか。正直内定もらうまでは眠れないぐらいでしたけれどお陰様で決まりました」

「どこですか?」

「金谷文具です」


県内の中小企業では大手の文具卸・小売の業者だ。小売の大規模文具店も5店舗と手広くやっている。2代目社長は若いながら人望も厚く、ここ数期は毎期最高益を更新しているはずだ。


「金谷文具さんだったら、親御さんも喜んでおられるでしょう」

「だと、いいんですけど」

「?」

「あ、すみません。私事ですけど、わたしいわゆる捨て子なんです」

「え?」

「赤ちゃんポストって聞いたことあります? あの走りみたいなことをやってた病院が実は市内にあるんですよ。わたし、生後1週間ぐらいの時にそこに入れられてたんですよ。今は施設に入ってますけど、結局18年間、両親は現れなかったです」

「・・・そうなんですか。ごめんなさい」

「いえ、そんな。たまたまそうだ、ってだけで、就職も決まったので施設を出て自活する目処もつきましたし。逆に高揚感がありますね、今となっては」

「偉いですね」

「いえ、そんなこと。高校でここのアルバイトも紹介してもらえたので貯金も少しはできましたし。それに、うちの先生、とても親身になってくれて簿記の指導もしてくれるんですよ。お陰で商業簿記の1級にこの間合格しました」

「え! 高校生でですか!?」

「商業高校で専門分野ですから何人かはいますよ。でも、わたしみたいに飲み込みの悪い生徒が合格できたのはうちの先生のおかげです」


そう言っていると、ふわっ、と柔らかな空気が流れてきた。


「すみません、お待たせしました」


立っていたのは柔和な笑みの女性。びっくりするほど若い、というのがわたしの第一印象だった。


「ポピーさん。いつもありがとうございます。新しいご担当の方ですね。 わたくし、税理士の田辺と申します」


そう言って丁寧に名刺を渡してくれた。名刺を持っていないわたしは名前だけ告げて受け取る。

失礼します、と言ってアルバイトの女子高生は席を外し、田辺税理士と向き合った。


「今月分の経理書類一式です」

「ありがとうございます。では10日までに試算表を作成してお店へ伺いますので社長によろしくお伝えください」


オーナーのこと、社長だって。いや、確かにそうか。社会人を2年やってたけど、あんまりこういう意識を持たずに会社員生活を送ってたような気がするな。

用件が終わったので帰ろうとしていると、田辺さんはわたしを引き止めた。


「カナエさん、て呼んでいいですか? その方がわたしも話しやすいですから」

「え、どうしてわたしの下の名前を・・・」

「社長からお聞きしてるんですよ。今日うちのホープが行くからって」

「え? ホープって・・・わたし、アルバイトですよ」

「アルバイトとか正規とか特に関係ないですよ。現にさっきの高校生の女の子、シズルちゃんって言うんですけどね、うちの最大戦力ですよ」

「あの子がですか?」

「はい。うちは主人と2人して営業してますけど、結構お客さんの数が多いので事務周りは完全にシズルちゃんに依存してましたね。でももう卒業で金谷さんに取られちゃいましたから、後任をどうしようかって悩んでたんですよ」

「・・・・」

「カナエさん、失礼ですけど、就職先を探していると聞きました」

「はい」

「うちも個人事業主ですから、人材確保は非常にシビアに考えています。カナエさんはご親戚の色々なご事情もあって北星高校の普通科を1年生の7月で中退してますね」

「はい」

「ポピーの社長からの伝え聞ですが、文系科目が得意で特に国語の成績が抜群だったそうですね。事実ですか?」


事実。事実かそうでないか、2つにひとつ。難しく考える必要はなかった。


「はい。中退する前に受けた期末考査では国語は学年1位でした」

「それは素晴らしい」

「ですが、数学は下から数える方が早い順位でした」

「それも事実は事実としてわかりました。ところでカナエさん、簿記には興味はありますか?」

「簿記、ですか」

「一応税理士事務所ですから、事務をやるにしても最低限の簿記の知識は必要になります。その点シズルちゃんは最適の事務員でした。建前を言っても始まらないので本音を言います。カナエさん、あなたは高校を中退しています」

「はい・・・」

「わたしにとってはそれがあなたのセールスポイントなんです」

「え? どういうことですか?」

「こんな小規模な事務所でも一応就業規則は持っています。賃金体系もきちんと定めています。現時点でわたしがあなたを雇用するとしたら、高卒の人財よりも低い賃金で契約を結ぶことが就業規則上可能となります」

「・・・」

「もし今わたしが人員を確保するとしたら使えない大卒なんて要りません。それどころか、やる気のない高卒すら必要ないです。カナエさん、もしあなたが本当に切実に就職を希望しているのであれば、うちで働くことを考えてみませんか?」

「でも、さっきお話したようにわたしは数学が苦手ですよ」

「数学なんてものは虚構です」

「え?」

「わたしたちが相手にするのは事業主さんたちの生々しい実務の数字です。お金、というものが実体を伴って動く世界の血の通った数字です。血税、なんて言葉がありますけど、地元の社長さん方が死に物狂いで商売して得たそのお金を管理・計算・場合によっては経営コンサルも行う重責をわたしたちは持っているんです。学者が数学のなんとか証明とか言って議論しているようなのはわたしから見たら趣味の世界でしかありません」


びっくりした。世界がひっくり返ったような心地がした。


「むしろ国語力を持つカナエさんは、冷静に、緻密に、わたしたちの顧客の資料を読み解き、数値化する能力を持つと推測します。あなたの潜在能力に非常に興味があります。まして、こう言ったら差別と言われるかもしれませんが、北星高校は鷹井第一高校、鷹井高校と並ぶ県内有数の進学校です。少ない情報で人財確保せざるを得ないわたしにとって、非常に大きなアドバンテージです」

「すみません。急なお話でびっくりしました」

「こちらこそ、初対面でいきなりこんな話をしてすみません。ですが、シズルちゃんがいなくなった後任確保は死活問題なんです。ただ、わたしらもお給料を払う以上、あなたがどこまでできるかの確証が欲しい。しばらくうちでアルバイトして、その間に簿記3級の勉強をしてみませんか? わたしが教えます。そして、正式採用にあたり簿記3級の合格を条件として課させてください」

「・・・とても大事な話ですから、親とも話させてください。わたしは未成年ですので。それと、ポピーのオーナーとも」

「当然ですね。あなたはポピーにとっても戦力ですから。カナエさん。あなたが望むなら簿記1級、いいえ、税理士試験の受検もバックアップしますよ」


人生が再開しはじめるのって、こういう時なんだろうか。

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