映画『君の名は』の1シーンから考える読者の見え方のコントロール方法と、その重要性

新海誠監督の『君の名は』というアニメ映画。これを何度か見返してみて重要なことに気付いたのでシェアしようと思うが。


今回気になったのは2つのシーン。

物語の時系列順に書くが。


①三葉が選挙演説中の父の横を通り過ぎるシーン。

②三葉が神社の儀式で口噛み酒を作るシーン。


このシーン、凄く視聴者の心を上手く誘導しているなと感じたんですよね。

まず①のシーンから説明すると。

三葉が友達と登校中、意地悪なクラスメイトから「町長と土建屋はその子供も仲が良いな」と聞こえるように嫌味を言われるが、それを無視して通り過ぎようとすると、父が「三葉、胸を張って歩かんか!」と一喝。

それを聞いた陰口を叩いていたクラスメイトが「恥ずかしっ」「ちょっとかわいそうかも」みたいに言う。


続けて②のシーンを解説すると。

三葉が家業の宮水神社の儀式で口噛み酒を作る(つまりご飯を口に入れて、咀嚼して吐き出す)と、それを見ていた①と同じ意地悪なクラスメイトが「あたし絶対無理!」「よく人前でやりよるよな。信じられんわ」と言い、それを聞いた三葉が嫌な顔をする。


この2つのシーンに共通しているのは『意地悪なクラスメイト』の存在。

彼らの存在が絶妙に作中で視聴者の感情をコントロールするために機能してるんじゃないかと最近気付いたんですよ。

よく見てもらいたいのは②のシーンなんだけど。

口噛み酒ってはっきり言っちゃえば実際は少し気持ち悪いところはあるモノじゃないですか? 本音を言えばね。

誰かの口で咀嚼したモノで作るわけだし。

もし仮にあのシーンで意地悪なクラスメイトが存在しなかった場合、視聴者は単純に三葉が口噛み酒を作るシーンを見せられて『伝統とはいえちょっと気持ち悪いかも』という不快感を持っただけのはずなんです。

ところが実際にはその視聴者の気持ちを『意地悪なクラスメイト』が代弁してしまう。

彼らが『意地悪なクラスメイト』で『嫌な存在』であることは①の段階でしっかり明示されているので、視聴者は彼らに良い感情は持てない。そんな彼らがはっきりと『気持ち悪い』と態度に出してしまうことで視聴者は自身が『気持ち悪い』と感じたことに居心地の悪さと罪悪感を持ち、その感情を殺すしかなくなる。

それは『意地悪なクラスメイト』という嫌なキャラと自分が同じ意見だと自分が嫌なキャラと同類になってしまうように錯覚するからで、そちら(つまりいじめっ子)の側に立ちたくないから口噛み酒に対する『気持ち悪い』という感情が抑えられる。

そして主人公の三葉の側に立って口噛み酒を『気持ち悪い』と言った意地悪なクラスメイトに対して『なんて嫌な奴らだ!』という批判の目で見るようになるのではないか。


なので恐らく①のシーンの意味は、

・三葉とテッシーが町長の娘と土建屋の息子という情報。

・三葉が糸守町を出たがる理由の明示。

・テッシーが彗星の話を信じるぐらい三葉と仲が良い理由の強調。

・意地悪なクラスメイトが嫌な存在であるという強調。


という感じなんだろうけど、一番重要なのは最後の部分の意地悪なクラスメイトの強調じゃないかと思うわけ。

ここで彼らが意地悪だと明示しておかないと②で上手く機能しないからね。


ではどうして視聴者の『口噛み酒は気持ち悪い』という感情を抑えなければいけないのか、だけど。

恐らくだけど、あそこで口噛み酒に『気持ち悪い』という感情を持たれてしまうと視聴者の没入感に影響を与えてしまうんだろうなと思う。

人は自分が共感出来ないキャラクター(特に主人公)とか展開に違和感があると物語に上手く入っていけないところがあるわけで、あそこで視聴者に『口噛み酒とか気持ち悪い……そんなモン出すなよな』と思われてしまうと視聴者の心が少し離れてしまうのだろう。

恐らくこの『意地悪なクラスメイト』のシーンがなければ視聴者の印象はかなり変わっていたと思うんですよね。

当然、悪い方に。


自分も似たような手法を使う時はあるので思うのだけど、こういうのって地味に重要なんですよね。

主人公が普通じゃない行動とか非日常的行動というか、違和感のある行動を取る場合、その主人公に読者からの信頼が築かれてないと受け入れられない場合があるんです。

例えばですけど、ワンパンチで全ての敵を倒せる主人公が最初は本気を出さずに敵の攻撃を受け止め続けて、最後の最後でワンパンチで敵を倒す展開が受け入れられてるのって、それは読者がこの主人公のことをずっと見続けていて『どうせどんな敵でも最後はワンパンチで倒せる』という信頼があるから。

その信頼がない時点でその展開をやると、読者は『なんでこいつ反撃しないんだ? 意味分からん』と思ってストレスを抱えるだけになってしまうはず。


ということで、漫画とは違って一本勝負の映画の場合、主人公に信頼の積み重ねがないから、口噛み酒という非日常的なギミックを使う場合そこに作者が意図してフォローを入れないと上手くいかないんだと考える。

漫画とか連続アニメとかで比較的長い時間が確保出来る媒体の場合、世界観とか主人公の成り立ちを流れの中でゆっくり見せていくことも出来るが、映画だとああするしかないんだろうなと感じた。


こういった手法ってよく作品を観察していくといくつもあるのだろうと思う。

それを意図して計画的にやっているのか無意識にやっているのかは人によると思うが、どちらにせよ作者はこれをやれないとダメなんだろうと感じるところ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る