異世界ではどういう武術や武器が生まれるのか、地球での事例から深く考察する。

極スタ199話


「セム爺……いや、セムジ・モス伯爵は騎士団の指南役で剣術を教えている。わたしも昔は世話になった」

「あの人が……」

 なるほど、彼が騎士団で剣を教えている一族の人らしい。しかも伯爵ときた――


◆◆◆


「う~ん……」


 これから騎士団が練習試合しているシーンを書きたいのだけど……

 ぶっちゃけ『騎士団がどんな武術を使うか』という部分について、完全にはまとまっていないのだ。


「もう一度、整理してみよう」


 テスラには女神の祝福という、所謂レベルアップシステムがある。

 レベルアップによって身体能力が向上し、素手で剣を弾いたり数メートルもジャンプしたり出来るようになる。

 そして魔法という要素とアーティファクトや魔法武具・属性武具という不思議要素もある。

 大昔からそういう超常的システムがあった場合、果たして地球のような武術が興るのか、という部分に関して凄く疑問があった。


 仮にだけど、地球でアリと戦うための武術があるのか? という話。

 もっと解像度を上げて考えても、ネズミとかタヌキと戦うための武術があるのか? というと、ないはずで。それはそんな小動物を相手にするなら武術として体系的に考える必要なんてないからで。アリなら踏み潰せば事足りるし、小動物でも棒きれを振り回せば事足りると。

 それが明らかなのだから技術として確立する必要性がゼロなのだろう。

 逆に考えてみて、人間より明らかに強い動物、つまり熊とか虎とかサメとかと戦うための武術があるか? というと、こちらも存在してないはず。

 それは、体を限界まで鍛えたり技術を磨いたところで圧倒的なパワーと耐久力を持つ大型肉食動物を相手にするのは無謀すぎるわけで、それよりも罠を用いたり集団で狩りをした方が圧倒的に現実的で、安定していて確実だからだ。

 そもそも人間がこの地球の覇者になれたのはそういった集団戦術と道具を作り出せたからだろう。


 これをレベルアップがある異世界の話に置き換えてみよう。

 レベルがちょっとでも上がればスライムなんて子供でも倒せる世界観なのに、スライムを倒すためにそれ用の技術を磨く人がいるのか? という話。

 それって地球でアリを倒すための武術が生まれなかったことと同じではないか?

 そしてレベルが上がれば強いモンスターでも簡単に倒せるようになるのにわざわざ技術を極めようとする人間がどれだけいるのか? と。

 勿論、そういう人間もいるだろうけど、明らかにそれは変わり者の類だろう。

 昔のRPGだとレベルさえ上がればボスでも簡単に倒せるようになるのは分かりきっているわけで、だから多くの人はそうやってレベルを上げてゲームをクリアするわけで。なのにボスに効くデバフを確かめたり、有効な属性を調べたりしてレベル上げせずに低レベルでのクリアを目指すのって、趣味というかこだわりの領域じゃないかと思うわけですよ。


「俺はレベル上げて倒すなんてつまらないから工夫して倒すけど?」


 ってな人も当然いるだろうし、それはそれで勿論良いのだけど。でもそれって所詮はゲームだからで、娯楽だからで、自分の楽しみとか趣味趣向を優先するってだけで、自分の人生がかかってるなら(普通の人は)そんなことをするか? という話なんですよね。

 例えばだけど、学校のテストで教科書持ち込みアリなのに、一切持ち込まずに必死に教科書覚えて縛りプレイでテスト受けるやついんのか? とか。

 当然そういう人もいるだろうけど、それは個人のこだわりの要素であって『テストに受かる』という目標の達成にはほぼほぼ無意味というか、むしろ楽な方法を捨てるから自ら困難にしていると言えると。


◆◆◆


地球での武具の発展の歴史から考えてみる。


まず、初期の武具は石とか木や布で作られた斧とかで、そこから黒曜石の武器や銅器が出てきて、最終的に鉄器に変わっていき、そこから銃が登場して武器の概念が全て変わる。

ヨーロッパの武具の歴史を見ると、昔は軽装防具に盾と剣(とか斧とか)というシンプルなモノだったが、次第に武器が長くなっていって防御が難しくなり防具に金属を多用するようになり。金属加工技術が発達することで全身鎧やチェーンメイルを作ることが可能になって、そもそも剣とか槍等の刃物がほぼ無意味になってしまう。

なので最終的には切ったり刺したりすることを諦め、ハンマーやメイスで相手をぶん殴って打撃力で倒すようになる。

一部ではエストックのようにチェーンメイルの隙間を突き刺す武器もあったらしいが、実際の騎士は剣と盾で戦っているよりハンマーでぶん殴りあっていたと考えると少しイメージが変わってしまうところだ。


で、最終的には銃が発明されて金属鎧をも貫通してしまうことが分かり、重い金属全身鎧がただの移動式棺桶になってしまったことで防具があまり使われなくなっていくし、武術というモノは全般的に廃れていくことになる。

銃が普及してきた頃の戦術って横列一斉掃射なんですよね。

つまり、防具らしい防具なんて身につけてない兵士に銃を持たせて横一列に並べ、銃を一斉掃射しながら前進していく作戦。


現代の軍隊でも近接戦闘術は教えているが、それは大体の場合は最後の手段としてだろうし。今の時代、近接戦闘術をメインに戦う軍や警察の部隊なんて要人警護とか特殊な事情を除けば存在していないのではないかと思う。

それだけ重火器の殺傷能力が高すぎて武術に意味がなくなってしまった。


◆◆◆


現代地球に伝わっている武術を色々と見る感じ、どれも攻防一体の技なんですよね。

ボクシングなんかも相手のパンチをもらわないように自分のパンチを当てるようにする技術だし、大体の剣術流派もまず相手に斬られないようにするのが最優先だろう。

示現流なんかは攻撃意識高めで肉を切らせて骨を断つ的なところがあるみたいだが、それにしても元々の示現流はあそこまで攻撃的なモノではなかったけど、薩摩の武士に好まれるよう徐々に攻撃的に変化していったらしいし、元々の形はもう少しは守備的だったという話。


そういう話をしていくと、日本の武術・剣術も江戸時代初期の前後ぐらいで大きく変わってるっぽいんですよね。

戦国時代の武術ってつまり合戦場での技であって、お互いに武器を準備・展開した状態でやり合う技術だったが、江戸時代に入ってからは合戦がほぼなくなり戦時の技術から平時の武術が重要視されていく。

当然、平時の武術であるわけで、常日頃から槍や弓・鉄砲など持ち歩くなど出来ないから、持ち歩くことを許されていた刀と脇差しによる防具を身に着けてない相手に対する剣術が武術の中心となっていく。

そして当時は刀を抜くという行為は『相手を殺す』という意思表示であって、刀を抜こうという素振りを見せるだけで問題となった。刀は時代劇のように簡単に抜いていいモノではなく、抜いてしまえば終わりで諸々の責任を取る必要があるから軽々しく抜いてはいけないし、しかし相手が抜こうとしたなら自分も抜いて応戦しなければ死んでしまう。

なので刀を素早く抜いて応戦する技術が重要視されるようになる。

これが居合術で、相手が無警戒なところを一瞬一撃で斬り伏せるか、相手が抜きそうなのを見定めてから自分も即抜刀して対応するため素早く抜く技術が求められた。

なのでこの時代は攻防一体のバランスの良い剣術というより一撃必殺の速度が重視された剣術になる。それに日常では鎧をつけてないため、鎧の隙間を狙うような戦時の手法ではなく相手の体を瞬時に斬り伏せる現代の剣道のようなスタイルになっていったと思われる。

兜をつけている相手に面打ちしたり、鎧を着ている相手に胴薙ぎなんて戦時には無意味すぎて戦国時代にはなかっただろうし。

逆に幕末時代の伝承をいくつか見てると薩摩武士の一撃を刀で受け止めようとして刀ごと頭をカチ割られて絶命した幕府側の兵士も少なくなかったらしいので、やっぱり武術が別物に変わったのだろうと推測する。


少し話が逸れたが、とにかく武術とはその時代の状況に合わせ、必要に応じて変化・進化していくモノであって、必要のあるモノが重視されて必要のないモノは削ぎ落とされていく。

現代、有名な剣術の流派だって実は江戸時代に生まれているモノが大多数だったりするわけです。

そうなったのにはいくつか理由があるみたいだが、やっぱり大きい理由は戦場で武器を振るうことがなくなって平時に強い剣術が求められるようになったからだろうと考える。

戦国時代の武術では江戸時代の状況には対応しきれなかったのだろう。

特に幕末なんかは暗殺や襲撃が増えたため、そういう状況に対応出来る剣術の需要が増えていった。


◆◆◆


武術の技の方から考えていくと。

昔の武術で奥義を高弟にしか伝えなかったり流派自体が門外不出だったりしたのも技というのは大抵は相手に知られると効果が落ちるモノだからだと思うんですよね。

示現流が一撃必殺だったから彼らを相手にするなら初撃は必ず避けろと言われていたり、神道無念流は上段からの渾身の一撃を主体としたから胴打ちに弱いと言われてたり。

動きが知られていくと対応はされてしまうのだと思う。


実は昔、色々とあって浴びせ蹴りという技を実際にこの身でくらったことがあるんです。

どういう技かはググってみたら実践映像あるんで確認してもらいたいんですが。

その瞬間は今でも覚えてるけど、相対していた相手がいきなり崩れるように沈み込んだかと思うと、それに意識が釣られて目線が下がったところ、正面の奥側から足が見えたんです。

見えたことは見えたけど、そんな技なんてテレビのプロレスとかで三人称視点で見た記憶がちょっとあるぐらいで知識としてはギリ知っているけども我が身で受けたことは当然ないわけで、完全に意識外の攻撃で対処法も咄嗟には思いつくわけないし頭も体もフリーズしてしまい、顔に向かって飛んでくる足をなんとか認識して頭だけは守ろうと首をひねるのが精一杯で、肩に直撃で大ダメージと。

それぐらい見たことない攻撃って対処が難しくて怖いんですよね。

何度も同じ攻撃を体感していけば対処法も体が覚えていくんだろうけども。


総合格闘技とかキックルールの試合なんかで、その選手がレスリング出身だろうがボクシング出身だろうが柔道空手ムエタイ出身だろうが、結局トップ層のスタイルが似通ってくるのって、最終的にはどんな攻撃も対応されていくからどんな状況にも反応しやすいシンプルでバランスの良いスタイルを取るしかなくなるんじゃないかと思うんですよね。

癖のある動きをしているとそこを狙われてしまうから癖を消していくしかなくなる的なね。

思い返せばK-1黎明期は異種格闘技戦というモノがあんまりない時代だったというか、キックボクシングからしてそこまで主流とは言えない時代で――

ちょっと今調べてみたらキックボクシングって日本発祥の格闘技で意外と出来てから浅い競技なんだと知って驚いてるんだけど、まぁそれはいいとして。

とにかくK-1の初期頃ってキックボクシングからして出来てまだ日が浅い頃だからキックルールに慣れた人が空手家ぐらいしかなくてキックルールに参戦してくる人って他の格闘技からの参戦者が多かったんですよね。ムエタイは勿論、ボクシングチャンピオンとかレスラーとか。

だから、例えばボクシングルールに慣れたボクサーが慣れないキックルール(パンチとキックだけで肘と投げ技締め技ナシ)に参戦してもあえて自分だけ慣れてるボクシングルール(パンチだけ)で縛りを入れて戦うことがあった。ボクシングシューズを履くかわりにキックを封印する変則スタイルです。

ボクシングってスタンスを広く、足を大きく開いて構えることが多いんですけど、これってボクシングルールでは下半身への攻撃が禁止されているからで、足を大きく開いた方が上半身を大きく振ってスウェーなんかで攻撃を避けやすいからなんでしょうが。今はもう総合とかキックルールではほぼそういうスタイルって見ないわけです。

というのもスタンスを広くとれば足が前に出るわけです。なのでローキックを蹴られやすくなってしまう。だから一時期はボクサー出身選手にはローキックを狙えってのが定番になっていた。

別にこれはボクシングが弱いと言っているわけではなくて、パンチよりキックの方が射程が長く、ボクシングシューズをはいてキックを封印していることを表明してしまった時点で相手からしたらキックを警戒する必要がなくなるからボクサーの射程外から一方的に攻撃出来ると確定しちゃうって話なんですよね。

だから今はボクシング出身選手がパンチ主体で戦うにしてもボクシングシューズははかずにキックスタイルに近いスタンスで戦うようになっているのだと思う。


長くなってしまったが、地球における武術の技というモノは基本的な斬るとか突くとか投げ、締めなどの上手さ、技術、体の動かし方以外の部分って『相手の想定の外からの攻撃をするための動き』なんじゃないかと思うんですね。

例えば佐々木小次郎の燕返しという奥義は、初太刀を相手に避けさせ、相手が反撃するため踏み込んできたところを刀を急に返して真逆の軌道からの二撃目を入れる技だとされている。

つまり初撃を囮に使った二撃目が本命の技。

フェイントなんですよね。

基本的に相手の攻撃をもらわないように自分の攻撃を入れる必要があるため、何より相手にスキを作らせるための動きが重要になってくるんだと思う。


◆◆◆


というところで異世界の話に戻るけど。

やっぱりどう考えてもレベルという概念が存在して、レベルアップによって身体能力が上がる世界で地球のような武術が発展していくようには思えないわけですよ。

僕が書いてる『極スタ』の世界観では回復魔法が比較的貴重という設定にしているからまだしも、回復魔法がポピュラーな世界観だと余計に攻撃を避けるという必要性が薄くなると考える。

ゲームだって攻撃受けて回復魔法で回復するってのが定番でしょ?


そういう話をすると「破傷風になるのを恐れるだろ」的な話が出るんですけど示現流とか薬丸自顕流とかみたいに相手の攻撃なんぞ無視して初撃に全身全霊をかけるリアル肉を切らせて骨を断つ系の流派が実際に地球にでさえ存在することを考えると、レベル差があれば剣で斬られても対してダメージにならないし怪我してもポーション等での回復も存在する設定の世界観なら敵の攻撃なんぞ無視して自分の攻撃をぶち当てることを優先する考え方になってもなんらおかしくないと思うんですよね。

まぁこれは薬丸自顕流というか薩摩武士がバーサーカーすぎるってだけの話かもしれないけど。


剣道とかフェンシングの試合で切っ先と切っ先が触れるぐらいの距離で膠着状態になったり、格闘技の試合で相手の間合いの外ギリギリの位置でジャブ的な牽制技とかを振りながら本命の一撃を入れるタイミングを見るのって、結局のところ一撃死(クリーンヒット一発で勝敗が決まる)からだと思うんですよね。

なので例えば剣道の試合で自分はどこでも一本取れば勝ちになるけど、対戦相手は面・胴・小手の三本取らなきゃ勝ちにならないルールだとしたら、剣道の概念が崩れて試合展開は完全に別物になると思うんですよね。

だって相手に一本取られようが、その間に一本取ってればいいだけだから全力で攻めればいい。相手の隙とか伺う必要なんてなくて、なんならむしろ肉を切らせて骨を断つ戦法で相手が一本取ってくる間に相打ちで一本取る方が安定して勝てるまであるわけで。

『相手の攻撃を一撃でもくらうと負けてしまう可能性がある』という地球における大前提がなくなるだけで地球の武術の常識は根幹から変わってしまうはずなんです。


恐らくだけど、とにかく全体的に地球よりも攻撃的な武術になると思うんですよね。

フェイントとか間合いの読み合いとかをする必要性がかなり薄まるし、そもそもモンスター相手の技が中心になるわけだから隙を小さくするようなコンパクトな攻撃より、大振りでも一撃の威力をより大きく引き出せる技になるはず。

だからシンプルで単調ではあるけどしっかり振り切るような、その個人が一番振りやすい自然体な一撃になると思う。


最近元プロ野球選手のYou Tubeを見てるんですが、一流の元プロでも打撃論が人によってバラバラだし真逆を言う人も普通にいるわけです。一流の元プロが集まって打撃論を語ってるのに「いや、何言ってるのか分からんけど」みたいな感じになってるのが面白いんですけど。

要するに体の作りが違うから良いスイングの仕方もそれぞれ違っていて正解はないっぽいんですよね。

だから恐らく剣術に関しても一番力を入れやすい軌道は人によって違っていると思うんです。

だから剣術という体系化された『技』がなくて自己流で剣を振っていたら人によって力を込めやすい振りも違っているから千差万別な斬撃になるんじゃないかと想像してたりします。


まぁ、対人戦はもう少し違ってくるはずで、相手の動きを読むような要素も加わってくるのだろうけど、やっぱり対モンスター戦を中心に戦う冒険者が地球のような武術を使うとは思えないし、地球の『武術』のような型があるモノが発展していくとは思えないんですよね。


というところで今回の異世界武術に関する考察はここまで。

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