ゲス不倫や問題発言で干される有名人は許されるべきなのかと、その先の話

最近、ゲス不倫で干されてた某芸人さんがテレビ復帰するという話が出てきている。

それに対して色々な意見が出ていて盛り上がっているわけだけど、その内容としては、結局、彼が復帰していいのか悪いのかというところの話になっていると思う。


不倫は犯罪じゃないから復帰してもいいとか。

生理的に受け付けないから無理という話とか。

どうでもいいからご自由に、とか。

クスリで逮捕された人より謹慎が長いのは間違ってるとか。

不倫は夫婦間の問題なので他人が口出しする話じゃないとか。


まぁそれぞれ意見は色々とあって、どれが正しいとか間違ってるの話ではないと思うので、それらの意見にどうこうは思わないわけだけど。

個人的には、この問題って割とシンプルな図式で単純に答えが出るモノだと思ってるわけです。


その答えを言う前にそもそもの話をすると。

芸能人とかスポーツ選手とかプロゲーマーとかもそうだけど、根本的な部分でその職業がどういうモノなのかをちゃんと考えていないのでは? と感じることがあって――

つまり、彼らは番組やスポーツで結果を出すことによってお金を稼いでるわけじゃないんですよね。

実のところはね。

勿論、プレイヤーが出した結果に応じて報酬を与えられるように出来る限りしていこうと多くの裏方の方々が努力してはいるのだけど、実体はそうじゃない。


要するに、スポンサーさんが広告費としてお金を出すところが大元なんですよ。

スポンサーさんは広告をCMという形や看板という形で出して、その商品が多くの人々に知られるようになって売上を上げることで広告の効果を回収する。

ここが最初。

それらの広告がより多くの人々に見られるようにするには、番組なら視聴率を上げることで、スポーツなら観客を増やしたりすること。それは分かりやすく数字として、一種の指標となるからそれらが重要視されていて。

であるから、多くの人々に面白いと思われるコンテンツを作ったり、成績という結果を出すことが最終的に重要視されるようになる。

流れとしてはこっちが正しいわけで、彼らは結果を出したからお金が貰えてるわけじゃない。


つまり、テレビ番組でもスポーツでも広告収益モデルのモノは全て、

『そのプレイヤーが、そのスポンサーの広告塔として相応しいか』

という部分が諸々の条件の前に来る一番重要な要素になっていて、その人の能力とか実績は実質的には二の次であると。


という視点から考えると、有名人のゲス不倫やら問題発言がアリなのかナシなのかはシンプルに答えが出る話だと思いません?

つまり、例えばスポンサーさんが売っている商品が大衆向けであったなら、大衆から不快感を持たれるような人は普通にアウト。スポンサーさんがその人を『OK』にするメリットがない。

テレビなんかは大手企業がスポンサーになることが多いので、必然的に大衆向けの商品を扱う企業が多くなり、アウトになりやすいと。


なので結局のところ、広告ビジネスであれば大衆から不快感を持たれる内容の不祥事は大体アウトになっても仕方がないと思うんですよね。

だから「不倫や失言にしては罪が重すぎる」とかそういう話ではそもそもないというか。

要はスポンサーが広告塔としてその不祥事を起こした人物を使い続けてもまだメリットの方が大きいかデメリットの方が大きいか、というところで決まるわけで。今の時代、SNSで不祥事が拡散拡大されやすい世の中になると、ちょっとしたことに思えてもほぼほぼアウトだし。

恐らく、これからどんどんアウトの範囲は拡大していき、ちょっとした問題でも許されない世の中になっていくことはほぼほぼ確実だと思っています。


◆◆◆


で、ここからは、これからの話。


最近、失言でチームをクビになったプロゲーマーがいて、テレビでも取り上げられてたわけですが。

そういうのを見て「いや、○○はもっと暴言吐いてるだろ!」みたいな話をする人がいますよね。

でも、上記の不祥事が問題になる話って概ね『広告ビジネス』の中の話なんですよ。

暴言吐きまくってる有名ユーチューバーとか沢山いるけど、彼らにはスポンサーはついていないわけです。

(正確に言うと、YouTubeも広告ビジネスだし、広告収入は得ているのだけど)

つまり逆に言うと、スポンサーが付いてなかったら上記の問題はそこまで問題になったのか?という話なんですよね。

暴言でチームをクビになったプロゲーマーも「ごめんなさい」で反省して済んでいた気がするし、ゲス不倫で干された芸能人もすぐに復帰していた気がする。

犯罪系の不祥事でもない限り、大衆に嫌われたとしても文句を言う先が本人しかない場合、本人関係者らがそれにどう対応するかだけの話になるので。

プロゲーマーはスポンサーがいなくても大会には出られるし、芸能人もYouTubeなどで独自に活動することに制限はかからないからね。


なので。

一時期話題になったオンラインサロンでファンから直接お金を集める手法。

世間一般では評判があまり良くなかったりするけど。

あれって要するに、世間からの反応を気にしなければならない企業スポンサーからの広告収入に頼る道を止めて、自分の支援者からお金を支援してもらって活動する道なわけで。不祥事があっても自分の支援者からの信頼が続くなら別に問題はないので、世論を気にしなくてもいいわけで。今こそ、こういう場面こそ活きる道だと思うんですよね。


つまり……いや、勿論、例のプロゲーマーが言っていたような差別や人権に関するモノを擁護したり肯定するようなつもりは毛頭なくて。そうではなく、ああいった不祥事を起こさないように自分の行動を過剰に制限して、それでつまらなくなるなら別にスポンサーに頼る道に固執する必要はないでしょ?という話なんです。

前に某大物芸人が、テレビのコンプラが厳しくなって出来ることが制限されて厳しいという話をしてたけど。これも同じ話で。

じゃあ別に他の道もあるでしょ?ってね。


だからテレビでもスポーツでも、スポンサーに頼るなら今の時代のコンプラに対応したメディア露出をしなければならないし。

それが嫌なら別にスポンサーに頼るような仕組みに拘る必要は、必ずしもない。

という話。


ちなみに小説家については別に広告ビジネスではないものの。

出版社の方にコンプラがあるわけで、作家も色々とちゃんとしてないとダメだけど。

これについても、そういうモノにも別の道はあるのでは?とは思うけどやっぱり難しいよね……という感じなんですけどね。

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