「呪術廻戦は今年流行ったアニメ」に感じる違和感とモヤモヤ
先日、某番組を何気なく見ていると、その中で『今年上半期のトレンドワード』的な話になって、こんな感じのやり取りがあった。
(うろ覚え)
偉い人「今年上半期のトレンドワードは、○○、✕✕、△△……そして呪術廻戦、と。……これ、なんでしたっけね。私ちょっと詳しくないもので……」
アシスタント「えっと……(資料ペラペラ)今年流行ったアニメですね」
偉い人「あぁ、そうですか」
みたいな感じの流れ。
一見すると普通の流れだと思う。
確かに呪術廻戦は今年アニメが放送されたし、人気があった。それは疑いようがない話。
それはそうなんだけど、一点、少し違和感を覚えてモヤモヤとする部分があるのだ。
それは『呪術廻戦はアニメなのか?』ということ。
いや、確かにアニメだったんだけど、そうではなくて。
『呪術廻戦は漫画』もしくは『呪術廻戦という作品』と言われるべきなのでは?
と少し引っかかってしまうのだ。
こうやってこれを書いてても細かすぎる話をしているとは自分でも思うけど、これが少し気になってモヤモヤしてしまって、なんだか不思議な気分になってしまう。
なんと言うか、そこはもう少し原作者と原作者が作り上げたモノがリスペクトされるべきなのでは?という気持ちが湧いてしまう感じ。
勿論、そんなことをいちいち全部調べて話をするのも大変だろうし。こんな話をしている僕だって似たようなことを言ってしまっている可能性はあるから声高に主張出来るようなことではないのだけども。
◆◆◆
どうして僕がこういった感覚を覚えるようになったのか。そこを思い返してみると、この番組以前の別の番組とかYoutubeとか複数の媒体で感じたモノがある気がする。
サブカルチャーというか日本のヲタク文化について見識が深いとされ、語ることの多い何人かの人やら番組でも、結局のところ彼らがアニメの話しかしていないことに気付いてしまったからだ。
別にそれが悪いという話ではなく、小説というモノを書いている僕的に違和感があるという話だけど。
……あんまり詳しい話までしてしまうと色々とアレなんでボカしながら書いていくが。
アニメ好きというならアニメを語るのは至極当然だと思うのだけど、もっと広い範囲の日本のヲタクカルチャーが好きと言いつつ、語る話はアニメをベースに語り、時に作品の内容の評価(つまり原作の評価)もアニメベースで語られてるのがモヤッとするという感じ。
例えば『異世界転生モノ』とか『なろう系』についての話をする、といった流れでも、結局はなろう作品の中でアニメ化した人気作品の中の、しかもその『アニメの話』をする的な。
本来『異世界転生モノ』とか『なろう系』について語るのであれば『WEB小説』についての話が本筋になるべきだろう。百歩譲って、なろうからアニメ化した人気作品の話だけが主題になるのはまぁ仕方がないとしても、どうしてその題材でその作品の『アニメ版』について語るのか?と。そこは小説の話をするべきだろう?
こうやって小説を書いている側から思うのは、どうやらこの世ではアニメ化された作品(のアニメに)だけ人権があって、そうなっていない作品は認知の外に置かれているような変な疎外感を覚えるところがあるのだ。
「それはおかしい!」と言ったところで負け犬の遠吠えとしか思われない。いやむしろ遠吠えを聞いてもらえて「うるせぇぞ負け犬が!」と罵られるだけまだ『認知はされているのでマシ』まである。
寂しい話だけど、人生ってそんなもんよね。
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