秋名山にハチロクの亡霊は現れない
その昔、頭文字Dという漫画があった。
当時人気だった走り屋漫画で、アニメ化もされた。
そのストーリーの最初は、
群馬県の秋名山には正体不明で最速の86使いがいるという噂がある、というところから始まる。
そして秋名の走り屋チームと他所のチームとのレースが秋名山で行われることになるが、紆余曲折あって自分達では勝てないと考えた秋名山のチームのリーダーが『秋名山の亡霊』と呼ばれる秋名最速の86使いを探し始める。
で、主人公の藤原拓海に辿り着いたリーダーは彼に頼みこんでレースに出てもらい、主人公はぶっちぎって勝つ、というものが最初の話になる。
この作品が出た時代、これと同じようにアウトロー的な存在を描いた作品は沢山出ていたし、人気で、そのどの作品にも必ず『伝説の○○』『幻の○○』みたいなモノが出ていた。
喧嘩最強の男とか、伝説のバイクとか、幻の車とかね。
あの当時の男子はそういうモノにワクワクしたし憧れたもんなんですよ。
そういう時代だったんです。
どうしてそんなモノにワクワクしたのか?
それは、それらがツチノコであり、ユニコーンであり、イエティだったからなんですよね。
つまり、『存在の確認はされてないけど、どうやら本当らしいぞ!』的な噂が流れてくる的な感じ。とでも言えばいいのか。
昔は『○○君のお兄ちゃんは1人で10人を相手に喧嘩して勝ったらしい』とか『深夜に暴○族を狩るシルビアが出るらしい』とか『理科室の骨格模型は実は本物の人骨で深夜に動き出すらしい』とか、そんな嘘か本当か分からない『噂』はどこの地域にでもあったはずで。だからこそアウトロー漫画に出てくるそういった『伝説』にワクワクする余地が残っていたのだと思う。
しかし、ところが今はどうなのか?
という話なんですよ。
◆◆◆
まず第一に。
たとえばだけど、イニDの世界の時代ですらハチロクという車は既に旧車扱いでFDやGTRには車体性能では完全に負けているという扱いで、GTRのR32(現行モデルはR35で、間にR33、R34がある)がかなりのハイスペとして描かれていたと。
(イニDの面白さは、その旧車で当時の最新車をぶち抜いていくところなんだけど)
その当時でもそういう扱いなので、現代の最新式の車との性能差はもっと圧倒的なはずで、しかもその性能差をYoutubeなんかで、しかもプロのドライバーが乗り比べて比較して検証してデータも出しちゃったりしてるわけで、反論の余地がないというか、妄想する余地を失くしちゃってるんですよね。
説明が上手く出来てない気がするけど。こういう系統の作品では『昔から伝説になっている有名な○○』みたいな感じに、伝説になっている過去の存在が重要で、それがドラクエで言うところの天空装備みたいなモノで、『伝説になっている○○を倒す』とか『伝説になっている○○を譲り受けて乗る』みたいな感じの展開になるんだけど。今となっては旧車はスペック的に速くないと理論的に結果が出てしまっているのでそこにワクワクしにくい的な感じ。
ドラクエで言うなら、武器屋で普通に売られてる量産型の剣に天空の剣がスペック負けしていて、それをインターネットが発達したドラクエの世界ではカボチ村の田舎の民でも知っていて、
「あぁ天空の剣かね。昔の勇者様が使ってたらしいな。今じゃオラのクワより攻撃力低いっぺ(笑)」
と言われるようになってしまった世界線とでも言うか……。そうなってしまうと流石に伝説の勇者の装備ではワクワク出来ないよね? 的なね。
我々の身近なところで言うと、古代の王の古墳から出土した鉄剣や銅剣に歴史的ロマンは感じても実用品としての必要性は感じない的なモノかもしれない。
腕っぷし最強的な伝説にしても、今は全国の腕に覚えがある、地域で伝説になっているような最強の男を集めて試合をする、一昔前の漫画に出てくる地下闘技場でやってそうなマッチメイクを普通に開催してる団体もあって、そこには実際に全国から地域最強で伝説になるような腕自慢が集まって来るのだけど、そういった男達の強さがオープンな場で可視化されてしまい、伝説ではなくなってしまっていると。
ツチノコやイエティが実際に見付かって動物園で飼育繁殖されるようになったら、それは幻でも伝説でもなくただの動物になるということ。
つまり、まとめると、情報が可視化されるようになって、昔は伝説になっていたような話が伝説化しなくなっているのではないか、という話です。
◆◆◆
第二に。
スマホとSNSによって情報の拡散が早いということ。
仮に秋名山に『亡霊』と呼ばれるような滅茶苦茶速い走り屋がいたとして、それが『亡霊』のままでい続けられるのか?という話。
今ならそんなモノが確認された瞬間、スマホで撮影されて拡散されて公にされるか、運転中でそんな余裕がなくてもドライブカメラとかでいつかは撮影されてしまうはず。
そして多くの人に認知されてしまう。
そうなると、もうそれは『幻』や『伝説』にはなり得ないのではないか?
と、感じるのだけど、どうだろうか?
つまり、総合して考えると、今の時代『秋名山にはハチロクの亡霊は現れない』のだと思う。
仮にそんな存在が出てきたとしても、まず伝説にはならないか、なりそうになってもすぐに拡散されて認知されてただの事実になってしまう。
結果的に亡霊は生まれないのだ。
◆◆◆
で、結局のところ、ここまで色々と書いてきて、それでなにが言いたかったのかの話をすると。
今の世界では現代を舞台とした、そういう一種のリアル系『ファンタジー』要素のある作品は作りにくいのだろうな、ということなんですよね。
(ここで言う『ファンタジー』とは、実際のファンタジーの意味ではなく、現実では物理的におかしいとかそういう意味)
それと、今の若い人ってもしかすると、そういう作品を楽しみにくいのではないかと予想してるんです。
昔は真偽がはっきりしなかったことが粗方ネットでググれば出てくるようになってしまったので、妄想して楽しむ余地がないのでは? という感じですね。
昔、ネオアトラスというゲームがあって。
そのゲームは大航海時代をモチーフにしていて、プレイヤーは投資家のような存在となって探検家というか船団を雇って世界中に航海に出し、持ち帰られた報告を聞いて世界の形を知っていく的な内容。
ただし提督がどんな報告をするのかが分からない。
謎の生物や大陸の発見を報告してくる提督もいて、それを信じることでそれが事実となって実体化するし、信じなければ嘘になると。
どの報告を信じるかで世界の形が変わってしまう、というゲーム。
このゲームって大航海時代の世界の面白さ的なモノが詰まっていると思っていて。
つまり大航海時代って自分の国と、交易している周辺国ぐらいしか(その地域視点では)存在がはっきりしていなくて、その外の世界って完全に未知の世界なんですよね。
そこになにがあるのかなんて分からないから、いくらでも想像する余地があった。
もしかしたら海にはクラーケンが潜んでいるのかもしれないし、天空の城が飛んでいるのかもしれないし、謎の超文明の古代遺跡があるかもしれないし、海の果ては滝になっているかもしれない。
そういった可能性があるからワクワク出来る余地があった。
今度は逆に未来の話をすると。仮にロケット技術が進歩して宇宙の隅々まで探査出来るようになって宇宙人なるモノが存在しないと証明された瞬間(もしくは宇宙人が見付かった場合)その時の人類には『宇宙人モノ』のSF映画を楽しむ余地なんて残っていないはずだ、という感じ。
だから漫画でもドラマでも小説でもラノベでも、今ってリアル世界を舞台にしていると、ちょっとした『ファンタジー』要素を書けないんじゃないのか? という話なんですよ。
それならばリアル世界をベースにするにしても最初から『ファンタジー要素が存在している世界線』で書くしかないのでは? と思うんですよね。
つまり、現代を舞台にしたサッカー漫画にGKごとボールをゴールネットに突き刺す超威力の必殺シュートがあったら違和感があるけど、最初からそういう特殊能力を持つ人がいる世界設定なら違和感がない、という感じでしょうか。
上手く説明出来ているか分からないけど、昔の作品って考証が甘かったり設定が甘かったり、とんでも設定・描写があったりする作品って普通にあったように思うんですよね。
(というか、そういう細かい設定・ディティールが重要視されなかったというか、それよりも作品として楽しいかどうかが優先されたという感じかも)
たとえば昔の刑事ドラマに出てくる銃撃戦では銃の発射音が謎の『バキューン!』っていう音で、子供の頃はそれが本当の銃の発射音だと思ってたんだけど、12歳頃に初めて本物の銃を撃ったら『パンッ!』という破裂音でビックリしたし。それを知っちゃって真面目な刑事ドラマの『バキューン!バキューン!』という謎の発砲音を聞くとコントにしか見えなくなってしまって笑っちゃっいそうになったりね…。
そういうのって情報が氾濫してきた今の時代、おかしな部分がバレるようになってきて、視聴者の違和感になるからどんどん許されなくなってきてるんだろうなって思うわけです。
なので今の現代を舞台にした創作物って『リアルに作る』か『最初からファンタジーに寄せる』しかないのではないか? と感じるんです。
たとえば昔のハリウッド映画によくあった主人公が無双する系の作品。
マトリックスのように主人公が無双出来そうな能力を持っている作品は『最初からファンタジーに寄せる』作品なのでいいとして。元特殊部隊員のコックとか、大戦帰りの元兵士が主人公で無双しまくる作品とかだと、昔はただ純粋にアクションがかっこいいと思っていたけど今となっては半分ネタのような扱いになっている感覚があるんですよね。あまりに人間離れした無双すぎるので。
なんかそういうのが許されなくなってきてる感じがあるんです。
だからその辺りのさじ加減というか、ラインを間違えたら現代を舞台にした作品はネタ扱いされるんじゃないかと。
最近の日本のドラマがコメディタッチになりがちなのは、その辺りを回避するためなんじゃないかと思うんですよね。
真面目な作品におかしなところがあったら違和感になるけど、コメディタッチの作品なら多少おかしくても、ある種のコントとしてスルーしちゃう的なところってありません?
◆◆◆
今回はちょっとまとまりきらなかった気もするけど、今日はここまで。
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