『日本料理と欧米料理の決定的な文化的違い』が異世界モノに与えるであろう影響の話
最近、子供の頃からたまに行っていた洋食屋さんのレビューを読んでいて、その中の『ソースがダメ』といういくつかの投稿を見てちょっと考えたことがあったんですよ。
その洋食屋のステーキソースって、自分としては好きなんですけど、嫌いな人がいるのも分からんでもない味というか、ぶっちゃけ自分でも『旨いけどちょっと微妙だな』というなんとも曖昧な感想を持つ瞬間がある味で、今から考えるとパンチが効いてない味なんですよね。
評判も良い店だし美味しいのは間違いないんだけど。
◆◆◆
話は変わるけど。
世の中には様々な異世界モノがあって、そこには様々な日本料理無双の描写があるわけですけど、それでまぁ色々と感じるところがあったりなかったりするんですよ。
「その日本料理って本当に異世界人でも美味しいと思うのか?」
みたいな感じで。
そういう感じに考えていたけど、ようやく最近になって理論的に言葉に出来そうになってきたのでこれを書いているのだけど。
結論から書いていくと、日本人って洋食が一般化して日本料理に吸収されたおかげで広義での和食と欧米料理(日本で食べられている『洋食』ではなく欧米料理)の決定的な違いをあまり意識しなくなってるんだろうなと思うわけです。
で、その決定的な違いとは。
『日本料理はおかず+主食(もしくは酒)前提の料理』
『欧米料理は皿の中で味が完成している料理』
なんですよね。
つまり口内調味の話になるんですけど。
この100年ぐらいの間に『日本料理』には、日本ナイズドされた『洋食』も広義で含められるようになった。なので例えばステーキなんかでも基本的に日本人は『おかず+米』で合わせてパランスの良い味付けになるように調味料を調整すると。
しかし欧米料理では1つの皿の中の味で完結するように調味料を調整している。
仮に100が調度良い味の濃さ数値だとして、日本では200の濃さで味付けし、それをご飯と合わせて100にまで落とすイメージで。
欧米料理では皿の中で100の味付けをして、最初から最後まで100の濃さの味を楽しむ。
洋食屋でセットを頼むとライスかパンを選べる場合があるが、そもそもライスとパンでは食べ方が違うし役割が違う。ライスはおかずと合わせて食べるけど、パンは食事の最後にバターをつけて単体で食べる。
パンに関しては欧米でもコース料理だとそれは同じで、主食であるパンは最後に単体で食べるモノだし。日本でも朝食なんかにパンとバターで食べたりするのは普通だからそこに違和感は少ないと思うが。
で、日本人の食事って、まずおかずを口に入れて、それを洗い流すように米を食べるじゃないですか。それで調度良い味にしてるんだけど、日本人はその最初の200の濃さの味に慣れちゃってるんだと思うわけですよ。
おかずを口に入れてガツンと200の刺激を与え、それをご飯との口内調味で塩味の濃さレベルを下げていく。そういった食事に慣れているモノだから、最初から100の味付けの欧米料理を食べても刺激が足りないんじゃないかと思うわけです。凄く薄味に感じるんですよね。
だから、ぶっちゃけ海外で食べる料理って日本人には物凄く物足りないんですよ。
今までいくつかの国に行ったことはあるけど、比較的文化が日本に近い中国韓国はともかく、そこ以外は大体どこに行っても料理は薄味で味気なくて淡白に感じてしまう。
日本人が海外は料理がダメだと感じる最大の要因はここにあると思う。
その例外的なモノがドイツなどのソーセージで、これは元が保存食なので塩分が濃い。これがドイツではメインディッシュみたいになっているものだから、付け合せにザワークラウト・マッシュポテト・ライ麦パン(それにビール)などを食べ、塩分を中和する。日本の口内調味と似たような形があると思うのだけど。というか、それらで中和しなきゃ塩辛すぎて食べ続けられないわけ。
アメリカのバーベキューソースに関しては日本でも本場のモノが売られてたりするけど、コレを日本人が使っても物足りなさを感じる人が多いと思う。
なぜならアメリカのバーベキューソースは肉(メインディッシュ)だけ単体で食べるために開発されたソースだから。
だからこれを日本人が食卓で使ってみても凄くイマイチに感じるんですよね。
米に合わせるおかずには出来ない味付けなので。
◆◆◆
最初の話に戻るけど。
うちの地元の洋食屋。いくつかの客から『ソースがダメ』だと書かれていたけど、よく思い出してみると、あのソースって完全にステーキを食べるためのソースなんですよ。
っていうと『いやいや、ステーキソースはステーキを食べるためにあるんだろうが?』ってな感じになりそうだけど、そうではなくて。あのソースは『ステーキだけを単体で食べるためのソース』なんだと思うんですよね。
つまり、あのソースにつけてステーキだけを食べるなら美味しくずっと食べ続けられるけど、そこに米は合わせられないんですよ。
ソースをつけたステーキと米を合わせるようにソースが出来てないんです。
上の例で説明すると、バーベキューソースの例と同じ。この店のステーキソースは最初から100の濃さで、このソースをつけた肉と米を合わせると50になっちゃうんです。なので味が薄すぎてまったく合ってない。これではステーキをごはんのおかずに出来ないんです。
そして200の濃さに慣れてる多くの日本人的にはこの100のソースでは薄すぎて、その時点で微妙だと感じちゃうんだと思う。
このことから思ったのは、日本の洋食屋には2パターンあるってこと。
つまり、西洋料理のテイストで作っている洋食屋と、欧米料理を日本人に合わせて改良して作られた洋食屋。
前者は本来の西洋料理の味の濃さで作られてるが、後者は日本人向けにご飯に合うような味付けに変えられている濃い味の洋食。
どちらの店でも日本にある店だからセットメニューではパンとご飯から選べることが多いが、前者の店ではそもそもご飯と合うようには作られてないからご飯を選ぶのは大きな間違いなのだと思う。
洋食屋で食べる時はこの見極めが大事なんだろうと今になって気付いたし、初めての洋食屋に行く時はとりあえず最初はパンを注文しておくのが無難なんでしょうね。
◆◆◆
少し前にYoutubeで某ラーメン屋の店主が近年のラーメンの傾向について話してたことがあって、彼が言うにはラーメンの流行がどんどん濃い味付けに変化しているらしいと。だからラーメン屋はスープの塩分量と油の量をどんどん増やしていっている傾向がある的な話をしていた。
別のYouTubeで海外のラーメンを日本人とか日本のラーメン屋店主が食べてみる企画をいくつか見たけど、その彼らの共通した感想は「美味しいとは思うけどラーメンではない」というモノで……。で、僕も一応海外のラーメン、というか海外版カップヌードルを食べた経験からこの感想を補足していくと、単純に海外のラーメンって味が薄いんですよね。
どういう薄さか、というと『スープ』なんですよ。
コンソメスープとかそういった類のスープに麺を入れた感じ。
つまり、海外の人々のラーメンに対する認識はスープ料理というか、スープヌードルなんですよね。スープとして美味しい料理に具として麺を入れたモノ。でも、日本人のラーメンの認識は麺料理で、麺を美味しく食べるための料理でスープが麺のディップソースみたいな役割になっている。
これは関西と関東のうどんの考え方の違いにも似たようなモノがあると思っていて。
関東はラーメン文化で、うどんも『麺を食べるためにスープで味付けする』という考え方が最初にあるのだろう。だからうどんのスープが濃い醤油味になっていると。
関西は出汁文化で、うどんも『出汁を楽しむために麺を食べている』という考え方が最初にある。だから極論を言えば麺は別にいらないわけで、だからこそあまり麺にはこだわらないし『肉うどん、うどん抜き』という『肉吸い』が生まれたのだと考える。
話を戻すが、こういう食文化の違いってかなり致命的なところがあると思っていて。
例えば日本人ならおなじみの丼物なんかは初見の欧米人は食べ方が理解出来なかったりするわけです。
つまり、欧米料理は皿の中の料理が『口の中に入れられるサイズ』で完成しているのが基本。なので例えばカツ丼なんかを食べる時は最初に上のカツだけを全て食べてしまって、それから下のご飯を食べようとして、しかし白米には味がついてないから『マズい、微妙』という感想になってしまう人もいると。
これは丼物だけでなく定食とかでも同じで、欧米のマナーからすると料理は一皿ずつ食べていくのが普通だからおかずの皿を順番に食べていって、で、米は単体で食べても『美味しくない』ということになって残して、結果的に『日本食は量が少ない』みたいな話になる場合もあると。
味噌汁なんかもこの違いの話があって。
外国人からしたら味噌汁は『スープ』であるけど、日本人にとっては『汁物のおかず』的なモノじゃないですか? ご飯と合わせる感じのね。だから日本人が作る味噌汁はスープよりは濃いめに味付けされるけど、外国人が作ると薄味になるとかね。
とにかく、この致命的な感覚の違いが主に欧米の過去である中世ヨーロッパモドキの世界観を舞台にした異世界モノでは様々な問題を起こすのではないかと考えていると。
(中世ヨーロッパにエルフはいない的な話……つまり中世ヨーロッパと異世界は違うから別に問題ないだろ的な話はとりあえず置いといてもろて……)
だからよくある日本料理無双の展開も実際のところ難しいモノも多いんじゃないの? と感じるというか、そもそもその料理が作られる文化的な背景の違いって想像以上に大きいんだなと感じるんですよね。
一例として、餃子とかって日本人は酢醤油+ラー油で食べるけど、中国人は黒酢で食べると。日本人からしたら餃子を酢だけでサッパリ食べる感覚がよく分からないし、中国では餃子は焼かずに水餃子が中心になっているのもよく分からない。それではご飯のおかずにならないと思うから。
でも、それも中国の食文化を理解していくと理解出来てくるというか。
日本での餃子はご飯のおかずにもする食べ物だから濃い味付けにしないといけなくてタレに醤油を入れるし、おかずにするならコッテリさせるため油分があった方がいいから焼餃子にするのは理にかなっているが。
中国では餃子は主食であって、つまり麺類とかご飯物と同じ扱いになっていて、しかも欧米が主食としてパンを最後に食べる形と似た文化スタイルになっているらしいので、主食は最後に食べることが多いと。そして中華料理はコッテリした味が多い。
そう考えるとコッテリした食事の最後のシメに食べる主食はサッパリしたモノにした方が良いわけで、そりゃ水餃子に黒酢でサッパリ食べるわなと理解出来るわけ。
こうやって色々とその国の食文化がどうやって形成されていったのかを分析して考えていくと、地域によってそもそもの食の文化の概念から違う可能性があって、そうなってくると『美味しい』という感覚の基準からして違うのではないかと感じるところがあると。
ただ、最近は日本のラーメンが海外でウケているという話もあるし、少しずつ欧米人も日本の濃いめの味付けに慣れてきているのもあるんだろうけど……。
まぁとにかく、この文化的な違いというところは少し考えてみても面白いのでは? と最近思った、という話でした。
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