中国系の漫画に共通している設定上の問題点と、そこから得た教訓
以前から韓国・中国の漫画をよく読むようになってるんだけど(勿論、日本の作品も読んでいるが)1つ中国作品に設定上の問題を感じる部分があるんですよね。
それが、
『強くなる方法』
なんですよね。
普通バトルモノとかで主人公が強くなっていく場合、なんらかの方法を用いていくのは当然だが。
例えば日本の作品だったら修行を積んで力をつけたり、モンスターを倒して経験値を稼いでレベルアップしたり、トレーニングを積んで身体能力を上げたり、技術を学んで強くなったり、武器とかアイテムを得て強くなったり。まぁ大体そんな感じじゃないですか?
チート系とかはとりあえず別としてね。
でも中国系の作品だと大体の場合『物』で自己強化するんですよね。
中国系の作品で強くなるための大体の要素を大別すると。
①霊薬を飲む。
②武技を学ぶ。
③武具を手に入れる。
④内功を蓄える。
この4つっぽいと。
僕が読んだ感じではね。
こう書くと分かりにくいけど、実質的にこの全ての要素が『物』に依存している場合が多いんですよね。
説明すると。
①は貴重な薬である霊薬という物が必要。
②の武技を学ぶには武功書とか秘笈(ひきゅう)と呼ばれる書物が必要。
③当然、これも物。
④内功を蓄えやすい場所やアイテムが存在。
まず中国武術(ファンタジー的な方の)の成長過程を大まかに書いていくと。
一番重要なのが内功という気のようなモノで、これを体内に蓄える必要があり、その蓄積量こそが格になっている。しかし内功はすぐにためられるモノではなく、長い年月をかけてためるものだから修行には時間がかかってしまう。
内功をためて力を上げ、武功書で技を身につけ、武具を纏って強くなる。これが武侠モノの基本的な強くなる道筋になる。
それを前提として話を進めるが。
武侠モノには『霊薬』というアイテムが存在し、これを摂取することで内功を一気に大量に獲得出来たり、獲得速度を上げたり出来る。
良い霊薬一つで10年修行する分とかの内功が得られるので、あるのとないのとでは強くなる速度が段違い。
そして内功の蓄積を促進する場所。龍穴とかそういうパワースポットがあって、そこで修行をすれば早く内功をためることが可能。
で、問題なのが、霊薬なんかは凄い効果があるわけで、高値で取引されるから金や身分がなければ入手出来ない物であると。
そして内功の蓄積に向いているパワースポットは凄い武侠一門に占拠されてしまう。
加えて技を覚えるための武功書は、お金を持っている人や強い一門の書庫にしかなく、一般人が閲覧することは難しい。全て権力者が独占している。
そして当然ながら良い武具を揃えるには金がいる。
全体的にそういった設定になっていることが多いのだ。
それらをまとめると、中国の武侠モノや武侠モノを題材とした作品世界においては圧倒的に権力者や金持ちが有利になってるんですよ。
金持ちが自分の子供に霊薬を買い与え、良い武術書を選んで習得させ、良い環境で鍛錬させ、良い武具を譲り渡す。なので一般人と金持ちでは最初の段階から圧倒的な差が生まれていると。
で、思うのだけど、この設定って本当に設定として面白いか? という疑問があるんですよね。
はっきり言って設定的にはクソゲーじゃないですか? 金持ちが最初から超有利なのが確定してるんだから。
武侠モノを見ていると、主人公がこれらの逆境を跳ね返すために様々な方法を用いるのだが。基本的に金や地位がないと強くなりにくい世界観だから(主人公が最下層から成り上がる系の話だと)正攻法では強くなれないわけですよ。最下層にいる人間が基本的に正攻法で特別なナニカを手に入れることが不可能だからね。
なので主人公が強くなっていく過程にはなんらかの普通ではない事象が必要になる。
例えば『過去に回帰してきた』『前世の記憶を思い出す』『運良く霊薬などを手に入れる』『誰かから奪う』とかね。
これのどこが問題なのかというと、この世界観で強い人って、
①親ガチャ成功者
②運が良かった人
③上記の普通ではない事象が起こった人
のどれかなんですよ。大体の場合。
だから作中で強いキャラが出てきても、そのキャラをあまり尊敬出来ないというか、凄い人という目で見られないんですよね。
主人公も含めて。
例えば某武侠モノ作品だと、生涯を微妙な能力のまま終えた主人公が若い頃に回帰し未来の情報を用いて修行し直す流れになるのだが。
過去には評価されてなかったけど未来では再評価された武術を使って実力の土台を作り、そこから未来の世界で発見されていた強力な霊薬や武功書を先回りして自分が入手して自己強化する流れになる。
そうやって凄いアイテムを手に入れることが出来た人は個人の才能とかを超越するレベルの能力を手に入れるのだけど……なんかほんと、ちょっと違う感があるわけですよ。
いや、それはそれで面白さはあるのだけどさ。
例えて言うならドラクエでレベルアップ目指すより種を食べる方が圧倒的に効率良く強くなれる世界観というかね。
そして武侠モノにも師弟関係とか存在するけど、ほとんどの作品で師が弟子になにかを教えているような描写がないんですよね。だって世界観的に師匠がなにかを教えるような要素が薄いというか、まず強くなるために重要な方法が内功を溜める修行を継続的に続けることなんだが、それは個人で行うことだから師匠が関係ないことが多いと。
師匠は弟子の中から(武術大会なんかで)強い弟子を選んで霊薬や武功書を授けるのが役割なんですよね。
日本とかのファンタジーなら師匠が持ってる技を直接伝授される流れになるけど、武侠モノの場合は武功書というモノが技を知るための必須アイテムみたいになっちゃってるから師匠の役割が薄くなっているわけ。
いうなれば武功書が師匠の役割をはたしてるわけでね。本当にこのシステムでいいのか?と思っちゃうわけですよ。
そして優秀な弟子は師匠から霊薬を支給されてもっと強くなるから、それ以外の弟子とはもっとどんどん差が開くシステム。
つまり、金持ちとか強者の子供は親から強い霊薬とか武功書を大量に支給されて育つから最初から強くて、武術家の弟子に入っても最初から強いから師匠にも優遇されて良い霊薬や修行場所を与えられてどんどん強くなるから、スタートラインが違うとどんどん差が開くシステムなんです。
そういう意味を含めて武侠モノに出てくる強キャラって主人公も師匠キャラも含めリスペクト感がないんですよ。だって強いキャラってほぼ良い家柄に生まれたから強いだけだし。主人公はその状況を打ち破って最下層から這い上がる展開が多いけど、それにしたって主人公は特殊な能力を与えられて運良く強くなるだけだったり、運良くアイテムを見付けて強くなったりするだけだから、読者目線でキャラに「こいつスゲー」と思えないわけですよ。
一番問題なのが、そうやって親からアイテムを与えられて強くなっただけのキャラが作中でリスペクトされてるのがイマイチ理解しにくくて感情移入しにくいところなんですよね。
言っちゃうとスゴロク大会の勝者が強者になる世界観だから、強い人が作中でMOBに凄い凄いと崇め奉られてるのが理解しにくい感じ。だから主人公が凄い凄いと言われてもあまり爽快感がないわけ。
で、中国作品ってこの武侠システムを現代モノとかファンタジーにまで取り入れようとする作品が多いのだけど、面白いことに中国の作品では『武侠要素』がまったくなくても武侠モノのシステムの大枠が適用されることがあって。
つまり現代モノとかファンタジーとかで、それが日本の作品だとレベルアップとかそういう要素で強くなるけど、中国作品ではやっぱりアイテムで強くなるんですよ。
なんかドラゴンとかの心臓を食べると強くなるとか、魔石を吸収したら強くなるとか、そんな感じ。
個人的にはやっぱりこういう『消費アイテムで強くなる系』のシステムって問題あると思うんですよね。……いや、消費アイテムで強くなるのが問題というより、その消費アイテムの入手に公平さがないところが問題なんだろうけど。
その辺りそれなりに上手くやってるのが韓国武侠モノなんだけど、まぁそれは別の機会にってことで。
とにかく、今回中国武侠モノを読んで感じたのは、世界設定にもある程度の公平さは必要ってことですね。
世界観が不公平すぎると主人公の凄さの演出もしにくくなる。
実際、中国武侠モノで(下剋上系の)主人公を強くする場合、なんらかのチート要素が必須になっていて。つまり世界設定の枠外のチートでもなきゃ主人公を最下層から強く出来る世界観じゃないわけですよ。だから主人公が努力していく場面が薄くなってるんですよね。
それで俺様系の主人公なんかだと、運良くチートで強くなっただけなのに偉そうにするからただの調子に乗った傲慢人間にしか見えなくなるわけ。
努力によって得た力に裏打ちされた傲慢さは1つの面白いキャラ設定として使えるけど、武侠モノの世界観が努力よりも生まれの良さを圧倒的に重要視してるからそういったキャラが作れないんですよね。
今回はここまで。
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