『ドラクエは鋼の剣を手に入れた頃が一番楽しい説』は創作で活きる説

『ドラクエは鋼の剣を手に入れた頃が一番楽しい説』


なんて説がこの世の中にはあったりする。

他にも『ドラクエは破邪の剣を手に入れた頃が一番楽しい説』もあるけど、こちらも意味的にはほぼ同じ説と言っていいだろう。

これらは個人的にはかなり納得していて、正しいのではないかと思っている説で。

なので逆に?これを応用すれば創作に活きるのではないか?と思っているのです。


◆◆◆


ドラクエは言わずと知れた人気シリーズで、シリーズおなじみのアイテムが多数存在していて、そのアイテムの能力も大体一緒。なのでシリーズをずっとプレイしている人ならおなじみのアイテムを手に入れたタイミングで現時点のシナリオ進行度が大体分かってしまう。

で、鋼の剣がどういうモノなのかと言えば、特殊な金属でもない鉄製で、特殊効果もないけど鉄をベースに作られた剣の中では最強クラスの業物、という感じの扱いで、手に入れるのはシナリオ全体の4割から6割ぐらい経過したあたり。要するに中盤ぐらいに手に入る武器と言っていいと思う。

破邪の剣に関しては、入手時期は鋼の剣と近く、大体、鋼の剣の後ぐらい。

魔力を持ち、使用することでギラの魔法効果がある武器。

だけど普通の町中の店でいくらでも買える装備で希少性は低いと考えられる。特殊効果がある武器の中では比較的入手が容易。

ストーリー的には5割から7割ぐらい経過したあたりで手に出来る。


それでは『ドラクエは鋼の剣を手に入れた頃が一番楽しい説』について、ドラクエ5で考えてみよう。


ドラクエ5の最初、幼年期はレベル1から始まる。

最初は攻撃も回復もロクに出来ず、レベルがある程度上がるまでダメージを受けると家に帰って寝るという繰り返しになってしまう。多少レベルが上がってきてもMPの回復手段が睡眠以外ないので魔法の使用は慎重になる。色々とやれることの幅も狭く試行錯誤も出来ず単調になりやすい時期。

ストーリーはともかく、ゲーム性としてはちょっと物足りない印象。


そして問題の『鋼の剣』が手に入る青年期前半の最初。

ここでは馬車が手に入り、やっとモンスターを仲間にすることが出来るようになり、ようやく世界をゆったりと旅することが出来るようになる頃。

青年期の最初の戦闘パーティは主人公とヘンリー王子だけで、そのヘンリー王子もすぐに離脱するので主人公と仲間モンスターだけになる。

そして『鋼の剣』が手に入るのは青年期のラインハット。

馬車があると8人までのパーティを組めるし、5はシステム的にとにかく人数は多い方が入れ替えとか出来て強いので誰もが最初とりあえずモンスター集めをすることになるし。最初はスライムの一匹ですら心強い仲間で、そんな彼らを探し、育て、バランスを考えて回復魔法を使えるモンスターを探したり、前衛を任せられるモンスターを探したりと、試行錯誤したり強化したりと楽しいのがこの頃だと思う。

しかし、サラボナあたりになると仲間モンスターも大体揃ってきて、能力的に限界が見えてきた初期にお世話になったモンスターをモンスター爺さん送り終身刑にしなくてはいけなくなってしまう。

やればやるほど倍々ゲームで成長していくフェーズが終わり、非情にも能力で仲間を選別しなければならなくる。まぁそれはそれで面白くはあるのだけど。

そして結婚。船を得て世界中を自由に歩き回れるようになる。

この結婚イベントがあるサラボナで『破邪の剣』が買えるようになる。

新婚旅行がてら砂漠の街に寄り、天空の兜の情報を得たり。メダル王の城で強力なアイテムを貰ったり。自由で楽しい時間。

グランバニアに着く頃には終盤まで戦えるような強い仲間モンスターも多数登場するので、それまで不動の主力だったメンバーの入れ替えも検討し始めるようになっていく。


物語的に言っても中盤頃はある程度の強さも手に入れ、ストーリー的に切迫した状況もなく、物語の大きな謎を解くためのヒントを探しに行くフェーズ。ドラクエ5で言うと、それは天空装備探しと天空の勇者探しで、手探りの冒険が続き、自分が進む先になにがあるのかとワクワクしつつ、世界に触れていける期間だろう。

主人公的にも長い奴隷時代から開放されて自由を手にするし。結婚、子供の誕生と素晴らしいイベントが発生する期間。


一番楽しいのはこのあたりまでだろう。

なぜならこの直後、ドラクエ5最大の鬱イベント(小説版)があるからだ。


青年期前半の最後、主人公は大きな戦いに挑み、実質的に敗北。

小説版では仲間モンスターの大半がここで主人公達を守るために命を落としてしまう。

ゲーム版では侍女が主人公の子供達をベッドの下に隠したけど、小説版ではガンドフが勇者である主人公の子供を守るため自らの腹を裂き、その中に子供達を隠し死亡する。

スラりんは仲間を守るため、本来ならレベル99になって覚えるはずの灼熱の炎を無理に使い蒸発。

パペックは自らの体を砕いて道に落とし、ビアンカが連れ去られた方角を示し残して死亡。

スミスも主人公達を守ってバラバラになり絶命、等々……。

そして主人公と嫁は石化魔法を食らって石にされ、長い間、石像として生きることになる。


最後に青年期後半。

子供達により石化から救い出され、妻を救うという使命を帯びる。

そして主人公の子供達のPT加入。

特に男の子は前衛として優秀な能力を持っていて天空装備を使えるので強く、勇者らしく回復魔法も使え、少しレベルを上げるとすぐに仲間モンスターを抜いて余裕のスタメン入り。

モンスターを仲間にして育てていくのが本作から始まって後の多くのシリーズに引き継がれた人気システムで楽しみの1つなのだけど、ここから人間キャラが本格参入してくることで仲間モンスターの出番が少なくなってしまう。

オリジナルのSFC版では戦闘参加人数が3枠だったので特に。

それに家族をルイーダの酒場に預けてモンスターと旅をするのも、なんか…こう…アレじゃない?と思って家族を仲間に入れたくなったりもする。家族全員をパーティに入れるなら4人。そこにサンチョ・ピピン・プックルを入れるなら7人。仲間モンスター枠がなくなってしまい、楽しさが半減してしまう。

モンスターを仲間に出来ることをウリにしている今作でこれはちょっとした問題。

そして仲間も武具も充実し、レベルも上がって強くなり。魔王の配下を倒したりしていると世界の全容が見えてくる。

天空城も、この世界の神であるマスタードラゴンも乗り放題で世界中の全てをくまなく探索し、勇者専用の天空シリーズよりも強い謎アイテムであるドラゴンの杖や王者のマントも発見し、次元を超えて魔界にも行く。

お気楽な旅は終わり、世界の成り立ちを知り、明確に見える場所にある目標と使命が生まれ、それを達成する必要がでてくる。

レベルも上がって強くなり、なんでも出来るようになる。

祈りの指輪もエルフののみぐすりも手に入り、もうMP管理を気にする必要もない。

しかし世界中を旅して地図が埋まっていく度にワクワク感はなくなっていく。

最強の装備は手に入れてしまうと、それより上の目標はない。

強くなればなる程、終わりも意識してしまうのだ。


◆◆◆


ドストエフスキーの名言にこんな言葉がある。


『コロンブスが幸福であったのは、彼がアメリカを発見した時ではなく、それを発見しつつあった時である。幸福とは生活の絶え間なき永遠の探求にあるのであって、断じて発見にあるのではない』


コロンブスが幸福であったのは、コロンブスのアメリカ探索の旅の序盤でも見つけた後でもなく、旅の途中。『それを発見しつつあった時』という言葉からすれば旅の中盤から終盤の手前ぐらいの頃だった、と言っているのだろう。

つまりそれは『ドラクエは鋼の剣を手に入れた頃が一番楽しい説』の時と同じではないだろうか。

ドストエフスキーの言葉を借りるなら、『幸福とは生活の絶え間なき永遠の探求にある』ということなので、物語が進んで世界が見えてくれば見える程、答えは得られるものの探求するモノがなくなり幸福感はなくなっていく、ということだと思う。


ドラクエ5での話に戻すと。

鋼の剣を取得した頃が楽しく感じる理由は、システム的にもゲーム性的にも自由があり、試行錯誤も可能で、新しいことをどんどん知っていけるフェーズだからだと思う。

そして終盤になるにつれて面白さが減っていくのは、ストーリーはどんどん重くなり、世界の謎がどんどん解けていくせいでワクワク感がなくなるからで。ゲーム性的にも、強くなって色々と可能になったことで試行錯誤の必要がなくなるからだ。


話を変えよう。

なろうで小説をよく読んでいた頃、万能最強チートモノをいくつか読んでいると気付いたことがあった。

それは、

『主人公のチートが強すぎてなんでも可能になってしまうと、そこで面白くなくなってきたり、エタったりする』

というもの。

主人公は最強チート能力で無双。壁はチートで乗り越え、世界レベルの問題を解決し、ハーレムを作ったり、お金を稼ぎまくったり、最強の武具を手に入れ、地位や名声・権力の全てを手に入れる。

それはよくある万能チート主人公のお決まりムーブだけど、チートを使って一通りのことをしてしまうと面白みが薄れてきたり、作品の更新が途絶えてしまうのだ。

それが何故かと考えてみると、恐らく、主人公にやらせることが存在しなくなってしまうからなのだと思う。

勿論、無理に主人公を動かすことは出来るけど、そこにワクワク感を作り出せる面白い話は作りにくくなる。

作者的にも、書いていてそこに気付いてしまうから(あるいは無意識に理解してしまうから)書けなくなってしまうのではと考える。

これってつまり、チートモノはゲームで言うところの終盤部分にチートで一足飛びで進んでしまうことになるのではないかと思う。要するに鋼の剣や破邪の剣のエリアを一瞬で飛び越えてしまうのだろう。


こうなってしまうと、あとはドラゴンボール式に敵の強さをインフレさせるぐらいしか解決策がなくなってしまう。

あるいは何らかの理由で主人公がそのチート能力を積極的には使わない(使えない)という設定にするか。水戸黄門のように割り切って同じ流れを続けるか。

主人公がチート能力を持っている、という設定の作品で上手く続いているのはこのどれかではないかと思う。


自分も小説を書くようになってから見えてきたことなのだけど、物語(主人公)とはボールのようなモノで、地面が平たいと転がりはしない。地面に凹凸や傾斜があるから動き始める。

地面の凹凸とは設定の一つ一つで、それらの障害物があるからこそボールの進路が限定され、道となり、進む方向が決まる。

しかしチートモノではそもそもボール(主人公)が大きすぎて障害物が意味を成さなくなる。

ボールは障害物を軽々と乗り越え、コースを無視して進んでしまう。

最初はそれこそが快感で楽しいのだけど、気が付けばすぐにゴールの手前に来てしまっていて、その先がないことに気付くのだ。


◆◆◆


ということで長くなってしまったけど。

『ドラクエは鋼の剣を手に入れた頃が一番楽しい説』が正しいとするなら万能チートモノはダメだ!

という結論ではなく。

万能チートモノが書きたいのだとしても、チートの範囲をある程度は限定する。つまり一定の制限を設けて主人公を縛った方が恐らく面白い話になるし、ストーリーも作りやすいのではないかと思う。

そして鋼の剣や破邪の剣を手に入れた頃のような、ワクワクするなにかを常に見つけられる位置をキープし続けた方が面白いのではないかと考える。


なんとなく結論がまとまりきれてない気もするけど、長くなってしまったのは今回はこれぐらいで。

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