ビックリするぐらい普通にマズいラーメン屋に行った話

 その日、私は電車に揺られて中心街へと来ていた。

 時間はおやつタイムの少し前頃。予定していた用事も終わり、『そろそろ昼飯にしようか』と思いながら商店街を歩き、店を物色していた。


「せっかく中心街まで出てきたんだ、いつもとは違うモノを食べよう」


 そう思いながら歩いていたのだけど……一人で入るにはハードルが高い店も多い。気がつくと自然と足がラーメン屋の方へと向かっていた。


「……まぁ、それならせめて新しい店を開拓するか」


 実は最近このあたりの店にはまったく詳しくないのだ。

 地域を離れた期間が長かったり、再開発で店が全部入れ替わったり、気がついたら自分が知っている『街』はそこにはなかった。


 駅前のチェーン店の看板だけ確認しつつ通り過ぎる。

 野菜タンメン? 塩スープ? 違う、私が求めているのはそれではない。

 若者で賑わうカフェを素通りし、営業前の居酒屋を横目で確認しながら歩き続ける。

 すると、その店を見つけた。


「背脂とんこつ……ライス無料、だと……これだ!」


 この全力で意識低い感じ! 今の私が求めているのはこれだ!

 そう、私は直感した。

 世間ではミシュランに星を貰ったラーメン屋が人気になったりしているが、そんなお上品なモノは私には合わない。そう、私のボデーが求めているのはまさしくこれ。

 滴る油、ごんぶと麺、肉厚チャーシュー。モリモリにんにく。ガツガツと貪り食うような濃厚ラーメン。あぁ……たまらない。

 よしっ! 今日はガッツリチャーシュー麺にするか! と外の看板に描かれたラーメンの絵を見て妄想を膨らませながら暖簾をくぐって店のドアをガラガラと開け――


 ――私は戦慄したのだ。


 時間は昼過ぎ。店の中は二〇席程だろうか。決して広くはない。入り口からその全ての席が見渡せる。

 のだが――客が一人しかいない。

 中年男性がカウンター席に座っているだけだ。

 あれ? 何か間違えた? 今日は休みか? 貸し切りか? などと頭の中に様々な言葉が走馬灯のように浮かぶ中、ヨイショヨイショと私の中で危機感大明神大先生が準備体操を始めて一秒と半分程。その場に立ち尽くしている間に事態は風雲急を告げる。


「らっしゃい!」


 店中に響き渡る声。

 そして次の瞬間、ありえない事が起こった。

 私の眼の前で、唯一の客だった中年男性がその場から消失したのだ。

 心霊現象か瞬間移動か、客の中年男性が消え、厨房の中に中年男性が現れた。

 さっきまでカウンター席でスポーツ新聞を読んでいた中年男性はどこに消えたのだろうか……。


 全国のミステリー作家の皆さん、このトリックを使って一作書いてもいいですよ!


 ……かくして退き際を見誤った私は後ろ手にドアをガラガラと閉めるしかなくなったのだ。



◆◆◆



 店内へと一歩踏み出し、そしてもう一歩。さらにもう一歩踏み出したところで靴底にネチャネチャと違和感を感じた。

 ふむ、どうやらこの店は床でスライムを飼っているのかもしれない。襲われないように気をつけなければ。


「こっちで」

「……はい」


 脱出路を確保するため、出口から一番近い席に座ろうとした私を店の奥の席へと誘う店の親父。仕方なく奥の席へと向かい、座る時に机に手をつくと、ここにもねっとり違和感があった。

 この店はどれだけのスライムを飼っているのだろうか。ラーメン屋は表の顔で、裏ではスライム牧場でも経営しているのではないだろうか。それならこの店に客がいなくてもやっていけてる理由も説明が出来る。

 そう考えながらチャーシュー麺と餃子を注文した。


「ライスは?」

「えっ……いや、結構です……」

「えっ、無料だけど」

「あっ、後で……」


 ようやく準備体操を終えた危機感大明神大先生が私の中で警告を発したのだ。

『ライスはやめとけ』と。

 私はその叫びを信じて無料のライスを断った。

 店の前でライス無料の文字に覚えた興奮は既にそこにはなかった。


 カウンターの中で中年男性の店主がザクザクパチパチと調理しているのを待ちながらカウンターテーブルの上にあるものを確認した。

 醤油、酢、ティッシュ、爪楊枝、高菜、紅生姜ふりかけ、辛味噌、おろし生姜。

 おっと間違えた。紅生姜ふりかけではなくて、ただの紅生姜か。上の部分がカピカピだからふりかけかと思ったぞ! 流石に、もう既に入れ物が半開きなだけはあるな。

 あ、こっちもおろし生姜じゃなくておろしにんにくか! 黄色いから生姜かと思った!

 

 そうやってスライム牧場を楽しんでいる間にラーメンと餃子が出来上がり、カウンターの上に乗せられる。

 それをおもむろに受け取り、小皿にタレとラー油を入れ、いただく事にした。


 ラーメンの見た目は予想以上に普通。脂の多い醤油系だろうか。チャーシューと海苔と卵とネギなど、具材も普通。

 まずはスープから。レンゲで軽くすくって恐る恐るズズッとすすってみる。

 そのファーストインプレッションは意外にも、『あれ、意外といけるぞ』だった。

 脂は多いけど味は濃厚という程ではない。味は薄めだがちゃんと豚骨の味は出ている。悪くはない。

 予想外の状況に首をかしげながら麺をズズズッとすする。

 麺は中太麺か太麺という感じで、やっぱり悪くはない。

 次はチャーシューにかじりついた。

 チャーシューは焼豚系ではなく煮豚系。しっかり味が付いていて、脂身がホロホロと崩れる。私が大好きな系統のチャーシュー。これは好きだ。


 はて? 普通に食えるんだが?

 何故こんなに客がいないんだ?

 店主の親父が腋でおにぎりを握ってサービスしてくれるとか、それぐらいのアドベンチャーがないと説明がつかない。


 などと考えつつ、次は餃子を一つ口の中に放り込んだ。



「……」



 餃子、それは中国から伝わった料理。紀元前六世紀頃から食べられていると言われ、本場中国では餃子は水餃子で食べるのが一般的だ。焼餃子を作るのは余った水餃子で作るぐらいなものだし、餃子をご飯のおかずにするなんてもってのほかであるとかなんとか、どうでもいい事を考えて現実逃避してしまうぐらい衝撃的にマズかった。

 はっきり言って、今まで食べた餃子の中で一番マズい。

 これ以上にマズい餃子はこの世に存在しないのではないかと思うぐらいマズい。

 まさに餃子のぉ、産業革命やぁぁぁ!




 ……アウアウしながらマズい理由を考えてみた。

 まず餃子に味がない。

 酢と醤油で食べても味がない。

 その理由は単純だろう。

 この餃子、恐らく餡に下味が付いていない。

 そして――


 かじった餃子の断面をよく観察してみた。

「……」

 その断面は、火が通った白っぽい色……一色。



『豚肉オンリーやないか!』



 私は心の中でそうツッコミを入れた。


 恐らく、下味ナシのニラもニンニクも野菜もナシで、混じりっけなしの豚肉100%。

 そりゃマズいよ……。

 せめて下味ぐらいは付けてくれよ……。

 それはやっちゃダメだよ……。


 ため息を飲み込みながら口直しにスープをすする。

 まぁ……飲める。

 そんなに悪くはない。

 もう一度、麺をズルズルとすする。

 うん、まぁ悪くはない。

 そしてチャーシューを一口。

 うむ、悪くはない。


 分からない。何故こんなに人がいないのだろう。

 餃子はマズいがラーメンは普通に食べられる。ぶっちゃけこれぐらいの味の店なら全国どこにでもあるだろう。

 旨いと評判になる事はないけど、なんだかんだ近所の人がたまに訪れる。地域に一つはあるラーメン屋さんだ。


 そう考察しつつ、スープを一口すすった。

「……」

 ……そろそろ飽きてきたかも。トッピング入れて味の変化を楽しもう。

 テーブルの上に目線をやり、暫く考えてからおろしニンニクに手を伸ばした。


 何を隠そう、私は高菜と紅生姜が大好物なのだ。

 豚骨系のラーメン屋でトッピング自由なら必ずと言っていいほど高菜と紅生姜を盛って食べる。それがジャスティス!

 そう考えつつニンニクの瓶を開けると、中にはおろしニンニクとスプーンのニンニク漬けがあった。

「……」

 中々斬新な趣向だなぁと思いつつ、ぺっぺっぺっとおろしニンニクをラーメンに入れ、次は辛味噌の瓶を開ける。

「……」

 中に入っていたモノは言うまでもないが、とにかくこちらも少しラーメンに入れ、ティッシュを箱から引き抜きつつ、黒緑っぽい影が見える半開きのケースとピンク色っぽい影が見える半開きのケースから目を逸らした。


 ニンニクと辛味噌を丼の中でまぜまぜし、スープを一口すする。

 ニンニクの風味と少々ピリッとする程度の辛さ。

 少し味が変わった気がする。

「……」

 麺をすすってみる。

 うん、なるほど。

 スープを飲む。

 うん、なるほど。

 もう一度、麺をすする。

 ……なるほど。

 もう一度、スープを飲む。

 ……そうか。


 ラーメンを半分ぐらい食べ終わり、休憩がてら餃子を片付ける事にした。

「……」

 バリバリもぐもぐと味のない餃子を口に詰め込み、ベトついたグラスの冷水で流し込む。

 マズい。

 しかし餃子は完食だ。

 次はラーメン!


 そう考えて麺をすすった時。私はとある変化に気付いてしまったのだ。



『あれ? 何故、ラーメンを食べるのがこんなに苦痛に感じるのだろう?』



 これは本当に、自分でも驚きの新感覚だった。

 確かに、間違いなく、最初このラーメンを食べた時は『意外といける』と感じたはずなのだ。むしろ美味しいと言っていい程度には感じていた。

 しかし半分食べ終わる前の段階で、既に『味に飽きていた』

 そして今は苦痛しかない。

 麺が喉を通らない。入っていかない。

 スープを飲みたくない。

 チャーシューを口に入れたくない。


 旨いラーメン屋さんに行った事がある人なら分かるはずだ。

 スープが旨すぎて無限にスープを味わいたくなる感覚。『あと引く旨さ』でスープを飲む手が止まらなくなる、あの感覚。

 その感覚の真逆の現象が、この時の私には起こっていた。


 はっきり言おう。

 これは、マズい……。


「……」


 しかし、この味。謎すぎるのだ。

 確かに最初は普通に美味しいと感じたはず……。

 でも今はマズいとしか思えない。


 今までもハズレだと感じるラーメン屋はそれなりにあった。

 二度と行かないだろうなとぼんやり思うラーメン屋もあった。

 しかしそれらのラーメン屋とは明らかに何かが違うのだ。

 今まで、こんなに味の印象が途中で(しかも悪い方向に)ガラリと変わる食べ物なんて初めて……。

 衛生面? 味のない餃子? そんなチャチなものではない何かがこの一杯のラーメンには詰まっている。


 味を確かめるようにゆっくりとスープをすすってみる。

 豚骨スープの味……。しかし旨味を感じない。豚味のお湯に脂の重み。味に奥深さがまったくない。

 何故これを『美味しい』と最初に感じたのか、それが分からない。


『何故なんだ? 何故? 何故?』


 そう考えながら二度三度とスープをすするが答えが出ない。

 何度すすってもマズいとしか浮かばない。

 狐につままれたような気持ちになりながら何とか麺を食べ終わった。


 私はラーメン屋に行ったらスープを最後まで飲み切るようにしている。

 なので今回も頑張ろうとレンゲを持った。しかし手が動かない。喉の奥に入っていかない。

 もうスープは飲みたくない。

 これ以上、口に入れたくない。


「……」


 私はレンゲを器の中に置いた。

「……ごちそうさま」

 謎の敗北感に満たされ、お尻からバリッとイスを引き剥がし、靴底をバリバリ鳴らしながら店を出た。


 チャーシュー麺と餃子で1200円程。

 高い授業料だった。

 いや、スライム牧場の入場料としてはそんなものだろうか。

 それとも親父が腋でおにぎりを握ってないだけまだマシなのだろうか。

 そう考えながら駅のトイレでベトつく手を洗ったのだった。

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